No.466(Web版116号)3

 「幽霊船」と「空飛ぶゆうれい船」

 福田淳一

 「幽霊船」は、石ノ森章太郎が「トキワ荘」時代に描いた初期のSF作品で、『少年』(光文社)に1960年(昭和35年)7月号から1961年(昭和36年)8月号まで1年あまり連載された。
 この作品は、謎の幽霊船を巡り主人公の嵐山イサムが、空や海を舞台に大活躍する姿を描いている。その中で幽霊船が飛行したり、巨大ロボットのゴーレム0や、アトランティスの末裔の海底人、海底魔王ボアーが登場するなどのSF的な要素が満載であるが、当時はまだ “SF” という用語は一般的ではなく “痛快冒険まんが” や “痛快探偵まんが” と編集部でタイトルに付加されていた。
 この作品は、本編や単色の扉の原稿はほぼ残されているが、私は5枚のカラー扉の原画は見た事が無かった。その中で2回目の1960年8月号と4回目の10月号のカラー扉は、「まんだらけマンガ目録⑧」(1995年3月21日発行)にそれぞれ95000円と15万円で出品されていた。当然そのとき貴重な原画が散逸してはいけないと申し込みをしたが、見事に両方とも外れてしまった。この2点の原画は恐らく現在も、この時当選して購入した方が所有しているものと思われる。
 この「幽霊船」は、新書版の単行本が発行され始めた頃の1966年(昭和41年)、「ダイヤモンドコミックス」(コダマプレス社)から11月10日発行で初めて単行本化された。連載終了から5年後の事である。石ノ森は単行本化の際、広告等で空いていた部分に加筆することはあるが、その他の部分に手を加えることは少ない。しかしこの作品では、全体的に岩などに影の部分等を加筆し、作画の密度を上げて、よりメリハリのきいた見やすい画面に仕上げている。この頃は、新書版サイズの単行本が出だした頃で、単行本化の際は丁寧に加筆や修正をしていたのだ。

 なおこの「幽霊船」は、「空飛ぶゆうれい船」とタイトルを変更して1969年(昭和44年)7月20日に劇場公開されたアニメーションにより、多くの人に知られる作品となった。
 このアニメが制作された当時は、長編のフルアニメは時間と費用が係る事から、フルアニメとリミテッドアニメの中間的な、上映時間が1時間ほどの中編アニメとして「サイボーグ009」の一作目が制作された。それが大ヒットした事により、それが主流となってこの作品も制作されている。
 このアニメ版では、幽霊船長の仮面がドクロに変更され不気味感を盛り上げ、ゴーレム0の制作者である左巻博士や暗黒団の黒潮鳴人が登場しないなど、登場人物が変更されているのだが、全体的に原作を踏襲し、当時一番原作に近いアニメーションに仕上がっている。
 さらに、このアニメ版では宮崎駿が原画で参画していることにより戦闘シーンなどに迫力が増している。このようにして、「空飛ぶゆうれい船」は、多くのファンを持つ名作として名高いアニメになったのである。
 石ノ森章太郎は、この「幽霊船」の連載を1961年(昭和36年)8月号にて終了して間もなく、次々と「トキワ荘」から仲間が去っていくなか、このままマンガ家を続けるべきかといった悩みなどを抱え、まだ海外旅行が自由化されていない中、世界を一周するという旅行へと旅立って行くのである。

| | コメント (0)

No.466(Web版116号)2

 SF essay (285回)

 川瀬広保

 もう7月だ。もうじき七夕である。今年は7月に終業式を迎えるのであろうか。どうやらSFマガジンは続きそうでやれやれだ。一ヶ月遅れで6月号が出ました。
緊急特集「コロナ禍のいま」が載っていた。すぐ「てれぽーと」欄へ投稿した。SFマガジンが続いてよかったという内容である。

 以下、送った投稿文です。

 いつものように4月25日にSFマガジンが出るだろうとなにげなくハヤカワ・オンラインを見ていたら、SFマガジン発売延期と出ているではありませんか。コロナウィルスのために編集部員が在宅勤務をせざるを得なくなったのが理由と書かれてありました。
 私は53号から欠かさずSFマガジンを取り続けていますが、こんなことは初めてです。発売はいつになるだろうと気にしていました。まさかこれでSFマガジンは終わってしまうのではないだろうかなどと心配しました。
 しかし、今日5月25日に無事、SFマガジンを入手できました。SFマガジンは大げさでなく不滅です。これからも続きますようお願いします。
 「コロナ禍のいま」という緊急企画でいろいろな人がいろいろなことを書かれています。しばらく前に、SFマガジンが隔月刊になった時も、相当びっくりしました。今ではそれにも慣れてしまって、偶数月にSFマガジンを取り続けています。SFファンの楽しみはSFを読む、SFの新しい知識を知る、ファン活動をするなどだと思いますが、SFマガジンは新刊発売やSF作家の話題などの最新の話題を提供してくれます。
 日本で唯一のSF雑誌がコロナに負けないようにこれからも続いていきますようお願いします。

 コロナで家にいる事が多くなったので、映画を買ってきて見た。「インターステラ」というタイトルだ。宇宙で過酷な状況で人類を取るか、家族を取るかというテーマのようだ。結局家族を取ったということらしい。このような究極の設定というのがSFの魅力であり、また大変なところだ。コロナは社会の奥底まで入り込む。今までになかったことだ。人類がおごっているからだと言えないだろうか。人間は文明文化を発展・発達させてきたがまだ不十分だ。最近は、「ウィズ・コロナ」とか言い始めた。コロナとともにである。それまでは、コロナに打ち勝つとか戦うといった言い方だった。花火に想いを託すとか、神仏に祈るなどの方向へ向かっているかのようだ。
 コロナで英語を覚えた。social distance, alert, stay home, with corona などである。小学生も覚えていそうだ。

 コロナ以外では、暇なので、DVDで映画「アベンジャーズ」を買ってきて、見始めた。
まだ批評をするほどには見ていないので見終わったら、感想を書くとしよう。どうしても昔見た映画のブルーレイ版などに関心が行ってしまう。“They live…” とか “Space Vampire” “Soylent Green” などである。
 あまりまとまらないがこの辺にしよう。
(2020・6・10)

| | コメント (0)

No.466(Web版116号)1

ルーナティック32号 アニメ特集について 6


6月末を最終締め切りとして、原稿を再募集しました。おかげさまで大変多くの原稿を送っていただき、32号は無事発行できそうです。締め切りが伸びた事と、多くの原稿の整理で、発行は若干遅れるかもしれませんが、しばらくお待ちください。

2020年春期のアニメも最終回を迎えましたが、話題になった作品のひとつに「波よ聞いてくれ」というラジオ関係の世界を描いたものがありました。(以後、ネタバレあり)
舞台は札幌市で、主人公はスープカレー屋で働いていますが、ひょんな事から、週1深夜のFMラジオパーソナリティーを任されます。
その番組は、ゲリラ的というか、無茶苦茶な内容で、放送事故スレスレどころか、わざと放送事故を装った番組内容で、話題を集めようとします。ラジオ本番中に主人公が金を持ち逃げされた恋人を必ず探し出して殺すと脅したり、その恋人を殺したと主人公が告白する話が、何故かオーソン・ウェルズのマーキュリー劇場「宇宙戦争」になったり、その恋人の死体を富士の樹海に埋めにきたはずが、どうしてなのか、地下世界の超存在と対面したり、など。
でも悪いことは出来ないもので、そんな放送ばかりをしていた深夜の本番中に、札幌を巨大地震が襲います。被害は甚大で、札幌郊外の住宅地が見る見る破壊されてゆきます。札幌市内どころか、被害は北海道全土に渡り、全道内が停電します。それを知った主人公が叫びます。「道民にとって道内とは世界そのもの!その道内が真っ暗になったら世界の終わりだよ!!」
よく、ご当地アニメと称して、特定の地域を舞台にしたアニメ作品がありますが、この作品も、そういう作品の一つだと思って観ていましたが、この台詞でちょっと考えさせられました。
北海道は独立性が強い地域、というより、北海道というある意味閉じた世界という事でしょうか。他の「地域」とはニュアンスが違う「世界」。広大な北海道という、「世界」と称しても違和感のない広さが、一種の疑似的な並行世界感を醸し出していたのかもしれません。
夏アニメが始まるシーズンになりました。どんな作品が始まるのか楽しみです。
                 (ルーナティック32号編集部)

| | コメント (0)

No.465(Web版115号)4

 ウイルスとビールス

 加藤弘一

家族で飲み屋に入った時の事。部屋の壁にこう書いてあった。
「VPは完璧です。」
で、これは何かと細かくみるアルファベットでvirus protectと書いてあった。
すると、奥方が「ウイルスプロテクトよ。英語ではvをウイと読むのよ。」
と、言うのではっと思い出した。
ローダンシリーズに出てきた無数のマイクロマシンが集合した超AI的存在を「ビールスインペリウム」と呼んでいた事を。
日本では昔ウィルスではなくビールスと呼んでいたような気がする。
国別に言い方を見てみるとドイツ・イタリア語ヴィールス、スペイン語ビールス、英語ヴァイラス(ここで奥方の話は間違いだと判った)、ラテン語ウィルスとなる。
明治に西洋医学を導入した時、ドイツからとなり、その時にビールスと呼ぶようになったとみられる。
それが、ラテン語のウィルスになったのは、共通語的な認識があった為に変わったのではないかと言うことらしい。
こんなことをつらつら考えるのも、とある所からウィルスが世界的に広まって多くの感染者と死者を出していて、その出所をめぐって大国が言い争いをしているからである。
とある所の国は独裁の為、隠蔽行為を行い結果世界中に災いが広がった。
従って、これはもう武漢肺炎‥‥とある所の国が文句を言うなら分かりにくいように片仮名にしてブカンビールスと呼称すればよいのではないかと思う。
それにしても、不思議な病である。
発生源のとある所の国を除けば、東洋人以外のヨーロッパ系の人々の罹患、死亡率が非常に高く、まるで狙い撃ちをしたかのようである。
ここで妄想をすることにする。
人類の種が生まれた頃、クロマニオンとネアンデルタールと言う霊長類がいた。
しかし、クロマニオンの方が生存適応性があり、ネアンデルタールは追いやられていった。
絶滅したと思われていたネアンデルタールではあったが現人類の遺伝子にその因子が入っている事が近年わかってきた。
つまり、滅びたのではなく共存し一つになったのだ。
そして特にこの因子が多いのは東洋人だと言われている。(胴長短足?)
最初の武官肺炎は人類等しく罹患するタイプであったが、研究所で改良型され、イタリアで拡散されたL型はクロマニオンを狙い撃ちしたものだった。
ネアンデルタールの因子を持つものはL型に対して強い免疫力を示すのだ。
こうして、滅びの道を歩んだかに見えたネアンデルタールは復活の道を開いたのであった。
何て言う話でした。

| | コメント (0)

No.465(Web版115号)3

 SF essay(284回)

 川瀬広保

 朝日新聞の朝刊(5月11日)にコロナウィルスの世界中の蔓延に関連して、小松左京の「復活の日」を大きく取り上げて、記事にしていた。小松左京は、50年も前に未来を予見していたのだ。こういうことがいつか起こるということを。考えたことはすべて起こりうる。

 さて、SFマガジン6月号がなかなか発売にならない。今までこういうことはなかった。SFMは福島正美が創刊して最初の3号続けばいいと思っていたらしいが、その後ずっと続いてきた。最近になって、隔月刊になった時は、心底びっくりした。それでも偶数月の25日には発売され続けた。値段はその分上がったが、私は購入し続けた。早川書房のホームページにはコロナウィルスのために編集委員が在宅勤務を強いられていて、編集が進まないまたはできないらしい。コロナウィルスはわれわれの生活のどこにまでも侵入してくる。
 SFマガジンに限らず他の出版物や雑誌などにも影響があるようだ。歴史のあるSFマガジンが廃刊にならないよう切に願っている。

 コロナウィルスは、教育界にも大きな影響を及ぼしている。新学期を9月にしようとか分散登校とかオンライン授業とかあれこれ言われている。小1と小6、中1と中3のみが登校するなど大変である。生徒の学力は確実に落ちると思う。たとえ猛暑の8月などに授業をやったとしても。そうならないように教育界あるいはそれぞれの学校は懸命である。コロナはどこまでもわれわれの生活の奥にまで入り込んでくる。
スペイン風邪の時は、世界で5000万人とも1億人ともいわれる人が死亡したと言う。その中に私の母方の祖父母がいた。よく母から聞かされていた。母は別の人に育てられた。私はよくわかっていなかったが、コロナが蔓延し、歳もとって来た今、その大変さが少しわかるような気がする。他にも、そのような境遇の方はいただろう。

 さて、ウェルズの「宇宙戦争」の出だしの部分では「まるで水滴下でうごめく微生物のよう」と火星人がわれわれ地球人を観察していた模様を描いている。コロナから見れば、われわれ人間はやれ3密だ、マスク着用だ、手洗いだ、自粛だとおろおろとうごめく人間かもしれない。その火星人も地球のウィルスにやられて、地球征服は成らなかったのである。

遥か数億年の未来、ダイアスパーという永遠の都市を築いた未来の人類は、あらゆる病気や戦争やいさかいを克服し、芸術にのみ時間を使っていたというくだりが、クラークの「都市と星」の中にある。永遠に午後2時の日差しが照り、働くなど不要になった世界である。もちろん微生物やウィルスに悩まされることもないのだ。
 クラークはオピティミストだった。悲観に走ることはなかったらしい。クラークが生きていれば、このコロナに蔓延された世界について、何て言っただろうなどと考えてしまう。

 どうやらコロナと共存していくしかないらしい。最初に書いたようにSFマガジンがまさか廃刊になどならないよう願うばかりだ。
 では、今月はこの辺で。次回はもう少し、コロナが収束していますように、オプティミスティックに考えていきたい。
(2020・5・16)

| | コメント (0)

No.465(Web版115号)2

 「アメコミドラマシリーズ」のことなど

 中嶋康年

 最近、アメコミ原作のドラマシリーズについて話していて気付いたのだが、少し前まではマーベル全盛だったのだが、このごろはDC系列が増えてきている。「エージェント・オブ・シールド」、「デアデビル」「ジェシカ・ジョーンズ」「ルーク・ケイジ」「アイアン・フィスト」の「ディフェンダーズ」グループ、X-MENのスピンオフ「レギオン」「ザ・ギフテッド」「ランナウェイズ」「インヒューマンズ」「エージェント・カーター」「クローク&ダガー」など目白押しだったが、今ではシリーズが終了してしまったか、新シリーズが始まっていても日本では見られない状態が続いている。マーベル独自の配信システムといえる「ディズニープラス」が始まるにあたって、既存のNETFLIXなどからマーベル作品を一斉に引き上げるなどのうわさも聞かれるので、そのせいもあるかもしれない。
 それに対して、DCでは「スーパーガール」「フラッシュ」「アロー」と、この三者がクロスオーバーする「レジェンド・オブ・トゥモロー」(特にこの3作は「アローバーズ」と呼ばれ、一つの世界観を構成している)、若きブルース・ウェインを描く「ゴッサム」単独系の黒人ヒーロー「ブラックライトニング」ロビン、ワンダーガール、キッド・フラッシュなどサイドキックたちが集結する「タイタンズ」などが配信中だ。サイドキックに限らず、いろいろなキャラクターが出てくるのが面白い。最近見たエピソードでは、スーパーマンとレックス・ルーサーのクローンなんてのも出てきた。この「タイタンズ」の原作コミックは「Teen TITANS」で、1987年の「ペーパームーン」で私が紹介している。なんとも昔の作品をドラマ化したものだ。ことほど左様に、DC系統は「スーパーマン&バットマン」の二大巨頭とその派生キャラクターに頼り切っている。マーベル系統の方がキャラクターに多様性がある。
 と、ここまで書いてきたが、見ている方からすればマーベルがどうの、DCがどうのなんてのはどうでもよく、ただ面白い話を見せてくれればそれでいいのである。

| | コメント (0)

No.465(Web版115号)1

 とても私事が多いSFエッセイ

by 渡辺 ユリア

 皆様、お元気ですか?緊急事態宣言が全国的に発令され、自宅にいる事が多くなっています。食料などの買出しと午後からのパート(平日)には以前と変わらず行っています。けれど土、日、そしてGW中はどうしようか・・と考えています。リラックスできる事を想像しました。例えば音楽を聴く事。歌ったり楽器に触れる事、例えばかわいい動物の映像や写真を見る事。丁度4月25日の夜のTVで偶然子犬がやってきた場面があったのですね。子犬ってかわいいです。出演者の方々は子犬をだっこしたり、話しかけたりしてリラックスされてました。それを見ている私は「子犬はいいなー」と思いました。我が家には犬も猫もいません。でも将来子犬を飼ってみたい・・と思いました。
 ところでSFらしくないので話題を変えます。一ヶ月以上前にNHKのETVで月曜の夜 “100分で名著〜アーサー・C・クラーク特集” が放映されました。第1回が “太陽系最後の日” 第2回が “幼年期の終わり” 第3回が “都市と星” そして第4回が “楽園の泉” でした。私は書店にいきましたが、クラーク作品では “楽園の泉” と “2001年宇宙の旅” だけが置いてあったので1冊ずつ買いました。まだ “楽園の泉” の途中までしか読んでいません。でも、SF初心者にとって、こういった “100分で名著” のような番組は良い事であると思っています。こういったきっかけでSF小説に興味をもってもらうと良いのです。
 またまた話は変わってSFではなく、日本の歴史ものの事です。それもTV番組。皆さん、NHKの大河ドラマ “麒麟が来る” を見てらっしゃいますか?戦国時代の明智光秀が主役の番組。実は光秀と織田信長と竹千代(幼い頃の徳川家康)が信長の居城、那古野城で会っているのです。竹千代はおそらく5才か6才の頃でしょう。今川義元のところに人質として出発する前に那古野城にやって来たのです。実は私の実家は岐阜県の中濃の八百津町です。その隣の市が可児市です。明智城址があります。 “麒麟が来る” の第1話の終わりの “光秀紀行” で見たことのある場所(明智城址)が映っていたのには驚きました。その近くには花フェスタ記念公園があり、公園内に大河ドラマ館もあります。少し光秀さんを身近に感じています。
 では、この辺で
                       2020.4.26 yullia

| | コメント (0)

No.464(Web版114号)4

福田淳一著 
  「石ノ森章太郎とトキワ荘」より

 藤子Ⓐの「トキワ荘青春日記」によると、石ノ森の姉由恵も、上京した石ノ森を心配し、世話をするため1956年(昭和31年)5月15日(火曜日)上京した。この事から、石ノ森が5月4日「トキワ荘」に入居して、10日ほど後に姉の由恵も上京している事が分かる。
 由恵は1935年(昭和10年)4月5日生まれで、1938年(昭和13年)生まれの石ノ森とは3歳違いのように見えるが、石ノ森は1月25日の早生まれであるため、学年では2つ違いになる。よって、石ノ森は「トキワ荘」に入居した時18歳で、誕生日を迎えていた姉の由恵は21歳であった。「手塚治虫とトキワ荘」では、数多くの参考文献を使いよく調べられているが、本人が「小説・トキワ荘・春」の中で”3歳違い”と書いていることからか、由恵が3歳年上と書いていると思われる。
 また、由恵は病弱で、幼い頃から小児喘息の持病を持っており、藤子Ⓐの「トキワ荘青春日記」には、6月9日(土曜日)に喘息の発作を起こし、その後すぐに帰郷した事が記載されている。おそらく東京の空気が合わず、調子を崩していったのだろう。早々に郷里に帰る事になってしまう。よって由恵が最初に上京した時は、「トキワ荘」に1ヶ月も居なかった事になる。だが7月31日には体調がよくなったと、安孫子に暑中見舞いが届いている。その後由恵は「トキワ荘」と郷里を行き来するようになっていく。
 赤塚不二夫は、1956年(昭和31年)6月7日発行の「嵐をこえて」(曙出版)という貸本マンガ似てデビューした。
 この作品は、当時共に漫画家を目指していた横田徳雄(よこたとくお)と共同で住んでいた西荒川の下宿にて描かれたものである。
 その発行日から入稿したのは4月〜5月頃と思われるが、この時期は石ノ森が上京した頃と重なる。最初に住んでいた下宿で倒れていた石ノ森を、赤塚がこの下宿に連れて来た頃だ。この同時期に、ここで石ノ森は上京後の初作品「まだらのひも」を描き、赤塚もデビュー作の「嵐をこえて」を完成させようとしていたのではないだろうか。
 その根拠は、「嵐をこえて」の見返し部分のイラストを石ノ森が描いているからである。石ノ森は赤塚のデビュー作から協力していたことになり、その絆の強さが感じられる。
 その後も、赤塚は同じ曙出版から二作目の「湖上の閃光」(曙出版)1956年8月発行という貸本用のマンガを描いている。赤塚はギャグ漫画を目標にしていたが、このような少女マンガしか描かせてもらえなかった。
 そして三作目の「嵐の波止場」は「トキワ荘」へ移った後に描かれたのだが、気乗りがしないため作品を描くテンポは遅くなっていた。そこで石ノ森は「あと二日で仕上げようぜ」と勝手な締め切り日を宣言したという。
 この単行本「嵐の波止場」は、「狙われたコケシ人形」と「腕時計紛失事件」、そして「あらしの波止場」という三つのエピソードで構成されていた。作画作業は、この「あらしの波止場」の途中まで進んでいたのだろう。残った部分のバックは、風と雨の描写を多用し、長谷も手伝って完成させた。この「あらしの波止場」を見ると、後半は格段に構図やタッチが石森調になっている。
 そして、この本も見返しを石ノ森が描いている。この大胆で斬新な構図には驚かされる。

| | コメント (0)

No.464(Web版114号)3

幻魔の行方(その二)

中井 良景

「サンデーうぇぶり」に連載されていた「幻魔大戦Rebirth」が完結した。月次掲載で第六十六話「終章約束の扉」が最終回だから、五年半連載されていたことになる。
 原作者の平井和正と石森章太郎亡き後、七月鏡一と早瀬マサトが頑張ってそれを継いで来た。これまでの幻魔シリーズから多くのシーンをなぞって本作で再描写している。特に、原点である少年マガジン版「幻魔大戦」からかなりの部分を持って来ている。キャラクターも作画も当時の作品そのままだ。これは早瀬マサトが石森プロ所属であることを考えれば当然ともいえる。そしてそれは、本作を少年まんがと位置づけ、表現することとしたことを意味する。つまり「新幻魔大戦」にも「真幻魔大戦」にもならないということを連載開始時に宣言したということだ。
 ふたりは、独自に創作した登場人物のほかに、平井、石森双方の作品から様々なキャラクターを連れて来て本作に投入した。001しかり、ミュータント・サブしかり、さるとびエッちゃんしかり、ダミアンしかり、ジュンしかり、アニマしかり、数え上げたらきりがない。宇宙全てを破壊しようとする幻魔との戦いだから、対する地球戦団にも強力な超能力者がいないことにはお話にならない。
 「幻魔大戦」という特にスケールの大きな作品だから、作品枠を超えて様々なキャラクターが集結するのは納得出来る。しかし、他の幻魔シリーズに登場していて本作には出て来ないキャラクターもかなり多い。どうしても物足りなさともったいなさを感じる。リアリー、風魔亜土、蘭、犬神明たちだ。いずれも魅力あふれるキャラクターだけに登場させないのは本当に残念だ。逆に考えれば、登場に値する活躍のさせ方を考え出せなかったのかも知れない。役不足にさせないための策だったとも考えられる。
 全話読み終えて、やはり全体的に物足りなさを感じた(先入観もあるかも知れない)。頑張っていることは素直に認めるが、何よりもまず絵が古い。五十年前の絵だ。石森プロの早瀬マサトなのだから、劇画ノヴェルの「新幻魔大戦」やビッグコミック版の「佐武と市捕物控」くらいの絵にしてほしかった。そうすればストーリー展開にも多少幅が出たかも知れない。また、せっかくの幻魔大戦なのに、スケールの大きさが感じられなかった。ただひとつ感心したのは、地球に向かって落ちてくる月を、東丈が真っ二つに切断するシーンだ。ファンならば誰でも、落ちてくる月を地球エスパー戦団はどうするかということを一度や二度は考えたのではないか。真っ二つは私の想像を超えていた。別次元の月を持ってくる(次元を超えて)ことや、次元を変えることも描かれているが、こちらはあまり感心しなかった(画力にもよるのだろう)。
 最終話の締めくくり方は私の納得のいくものだった。このようにスケールが大きく、タイムリープ、パラレルワールド、生まれ変わり等何でもありの作品は、こうでもしない限り完結させることは出来ない。初回作から五十年以上に亘って「幻魔大戦」全シリーズを読んで来たファンとして、いい加減な終わり方はしてほしくなかったが、これならば及第点を付けられる。考えてみれば、数多くの本シリーズの中で、本作は初めて完結したと言えるものではないか。突っ込みどころは多いが、それを言い出したらきりがない。エピローグに描かれた、シグが作り出した世界での丈とルナの改めての出会いも、どこかで見たようなシーンだがこれはこれで良い。これまでの多くの作品の中で丈とルナは結ばれず、イライラしていた読者も多かったことだろう。私もそのひとりだが、やっと幸せなで嬉しい限りだ。ドク・タイガーの記憶が消えていないことで、今後の新たな展開の余地も残している。ここは賢く憎いやり方だ。完結させ得たことについて、若いふたりの作者に敬意を表する。
 さて、単行本(全十一巻)を買って頭から読み返してみよう。
                         二〇二〇年一月

| | コメント (0)

No.464(Web版114号)2

 SF essay(283回)
 川瀬広保

 とうとう一年間の臨時講師が終わった。コロナウイルスの影響で、離任式も放送で行うという異常事態だった。こちらが話したことが生徒に通じたかどうかわからない。
全校体制として、生徒はさっさと帰宅させた。翌日も、最終日も生徒がいないのに出勤した。年休(有給)がもうないからだ。そして、30日16時30分に職員室にいた教員にあいさつして帰った。

 コロナウイルスは社会のあらゆるところに影響している。浜松城のボランティア活動もしばらく中止になった。年一度のボランティアの総会も中止。特に高齢者は自宅にいなさいということだが、テレビばかり見ているだけだと、身体が不活発になる。
 全国民にマスク2枚を配布するのだそうだ。あれこれ言う人がいるけれど、マスク不足の今、さっさと配ればいいと思う。
 このコロナウイルスで思い出したのが、小松左京の「復活の日」だ。この作品では未知のウイルスがばらまかれて、人類は滅びて、生き残ったわずかの人たちが南極に移動して、やり直すという話だ。こんなことがSFでなく、現実として起こらないとも限らない。ノストラダムスの予言はあたらなかったということになっているが、時期がちょっとずれて2020年ぐらいに本当に人類滅亡が起こるのではないかと心配する。明日、緊急事態宣言が出る。かつてないことだ。(4月6日)7都道府県に緊急事態宣言が出された。
 SFが現実になった。かつてはSFだったことが現実になってきているように思う。まさか今年の2月ごろには、まだこのコロナウイルスで緊急事態宣言が日本で出るとはだれも思わなかった。それが今は、この話題で日本中が大変だ。あれこれ言っているときではない。
日本、いや世界が汚染されている。ひどくなる一方だ。台風や豪雨も怖いが、目に見えないウィルスも怖い。皆さんはどうですか。

 さて、SFにできることはあるだろうか。SFはかつて数々のディザスター・ストーリーを描いてきた。しかし、「・・・そして、人類は滅亡した。ジ・エンド」というのはなかったと思う。明るい未来を期待していきたい。クラークの「太陽系最後の日」を思い出す。人類は愚かではないと信じたい。
(2020・4・9)

| | コメント (0)

«No.464(Web版114号)1