No.451 (Web版101号)2

SF essay (270回)

川瀬広保

 ボランティアで〈犀が崖資料館〉へ行ったとき、7年間で初めて、外国人が訪れたという珍しいことがあった。彼はイギリス人で日本の古い歴史に詳しく、徳川家康も武田信玄もよく知っていたし、阿弥陀如来と言う言葉まで出てきたのにはびっくりした。今、日本は世界のブームなのだろうか。日本的なものが世界に浸透していて、寿司や刺身などという食べ物だけでなく、寿司や刺身などという食べ物だけでなく、家康などの歴史や仏教や神道などの宗教にも大いに関心を持つ外国人がどうやら増えていることは確かなようだ。
 これは国際コミュニケーションという観点からいってもいいことだ。難しい歴史的なことはなかなか英語で話せなかった。私が英語で話すより、彼が日本語で話す方がより通じていくと思った。しかし、いい刺激にはなった。

 横田順彌が亡くなった。まだ73歳という。往年のSF作家や関係者が亡くなっていく。実に寂しいことだ。朝日新聞の訃報欄にて知った。今朝の朝刊に載っていた。SFマガジンに連載の「SFこてん古典」の出だしの部分・おしゃべりをよく読んだものだ。
 さて、AIの進歩もいいことかどうかわからない。人は機械に向かって話しかけ、孤独から離れられるというのはおかしな話だ。
 世の中が進歩(退歩?)すると本人を証明するのにやれIDだ、パスワードだ、免許証だ保険証だ、さらには指紋だなどときりがない。自分が自分であることの証明などできるものなのだろうか。この世にあなたとまったく同じ顔、服装、言葉を話す人がいたとしてもまだそれは偽物だと疑って、「証明」をいくつも取らなければいけない。マイナンバー、運転免許証、パソコンだったらIDやパスワードなどいくつも設定しなければいけないことになる。それらを時々、再設定しないとその先に進めない。
 人って何だろう。悪いことを考える人間がいるからだ。詐欺とかなりすましなどだ。日本人一億二千万のたったひとりを確定・認定するには、まず性別の確定、これで約半分に減る。年齢、職業でまた狭まる。同姓同名や性別不明などではっきりしないまま残ってしまう。
 宇宙の星には番号がついている。月のクレーターも名前がついている。昔、双子は別のクラスにしたものだ。
 これからの世の中、ますます個人の証明が複雑になっていくような気がする。そのうち、自分が自分であることを決められない未来が現出し、AIに決めてもらうようになりはしないか心配である。
 私はだれか。永遠のテーマなのかもしれない。

 さて、創元から「重力への挑戦」の新番が出た。ハル・クレメントだ。懐かしい名前である。注文しておいたら、来た。平積みになるような新刊本ではないが、新版になれば、また買ってしまう。名作だからであろう。訳者が変わったり、イラストが変わったり、あとがきが変わったりといろいろあるが、そこがまたいい。活字の大きさも大きくなり、読みやすくなったりする。そして、原文と比べてみたりするかもしれない。なかなかそうはいかないが。英語のニュアンスを日本語に置き換えることは難しい。困難だ。例えば、ウェルズの名作「宇宙戦争」の現代は“The War of the Worlds”だが、worldには普通は、宇宙という意味はない。あるにはあるが、宇宙の英単語は、universe,cosmicなどだ。「世界戦争」ではあまりインパクトがないように思う。

 今朝の朝日新聞の声欄に中学生の投稿で、「なぜ中学生はアルバイトをやってはいけないのか」という趣旨の文が載っていた。理由はおこずかいだけでは、足りないからということだった。
 中学生なら、毎日の食事は親が作るだろうし、給食代も親が払うだろう。また、病気になれば治療費は高くても出費を惜しまない。虐待をする親は別だが。
 英語の勉強をしたいから、辞書を買いたいと言えば、親は喜んで買ってくれるだろう。残念ながら、中学生のアルバイトは、認められていない。やがて、高齢者になると、年金暮らしにならざるをえなくなり、また病気も増え、医者代や薬代がばかにならない。年金だけでは足らないのだ。おこずかいが足らない気持ちはよくわかる。
 投稿した中学生は、接客業ならできるかもしれないと言っている。私の意見では、やはり、今は、中学生として、毎日の勉強や運動を頑張っていくことだ。
 繰り返すが、英語の辞書や科学の図鑑や歴史まんがなどがほしいと言えば、どんな親もきっと買ってくれる。ボランティアをしていると、子どもたちの知識は図鑑から得られることがわかる。その辞書や図鑑などで大いに勉強して、何かで認められたり、成績がアップしたりすれば、おこずかいもアップするかもしれないよ。「ねえ、おこずかい増やして」と親に言うだけより、早道かもね。

 さて、この前、浜松城へ行ったら、インドネシア人やインド人が来た。また台湾からの女性も来た。なかなか国際色豊かだ。台湾人は日本語が十分通じた。インドネシア人やインド人は英語が通じた。

 「星際色」豊かなともいうべき時代の未来の地球や宇宙の様子を思い描くことができる。
 「どちらからおいでですか?」
「アンドロメダ星雲からです」
 「どちらからおいでですか?」
「天王星からです」
 「どちらからおいでですか」
「シリウスからきました」
 「いつからおいでですか」「80万年後の地球からです」等々。
 あれこれ考えると、そんな「星際色」豊かな日がいつかくるかもしれない。
 宇宙のどこかにメスクリン人がいてもおかしくないだろうと思う。知性のある生命が二足歩行動物だけとは限らない。
 さて、ついこの間、豆をまいたかと思うと、今度はひな祭りと季節は次々と動いていく。SFの傑作・名作を再読し、未来や過去を考えることはいいことだと思う。
今月はこの辺で。
             (2019・2・16)




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No.451 (Web版101号)1

ルーナティック32号の原稿募集のお知らせ


ルーナティック31号の発行から時間が経ってしまいましたが、2020年夏あたりの発行を目指してルーナティック32号の準備に入りたいと思います。
どういった特集記事が良いのか、皆様の声をお聞かせください。
できれば4月くらいまでにお願いします。
宛先は、PM編集部か、もしくはメールで
cbf06066.cap.y@nifty.com まで。

もちろん、特集以外の創作、評論、翻訳等の原稿も広く募集します。
長い原稿を予定されている方は、事前に内容やおおよその分量を、PM編集部に連絡していただけるとありがたいです。
締め切りは来年の春、3月末くらいを考えています。
原稿の宛先はPM編集部かメールで
cbf06066.cap.y@nifty.com まで。


                                       ***************************************

(ルーナティック32号編集部)

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No.450 (Web版100号)3

さよならヨコジュン先生!横田順彌を偲ぶ

中村達彦

1月から大河ドラマ「いだてん東京オリムピック噺(ばなし)」がスタートした。今度の大河ドラマは、オリンピックをテーマに明治末と昭和中期それぞれの時代を描く意欲作である。
 前半の主人公、マラソンランナーの金栗四三を主人公にした明治末の話には、日本初のSF作家押川春浪(おしかわしゅんろう)が中心となったバンカラのスポーツ振興集団天狗倶楽部(てんぐくらぶ)が絡んでいる。
 その型破りさは、第1話から劇中で語られており、また柔道の父であり、日本人のオリンピック参加に大きな影響を与えるレギュラーの嘉納治五郎を後押ししている。第3話ラストには、天狗倶楽部がいかに型破りであったか、現代の我々に現在も残る資料で解説されている。
 ドラマには、春浪も登場しているし、彼の親友で早稲田大学の野次将軍とその名を知られた吉岡信敬も姿を見せている。春浪が編集に関わった雑誌「冒険世界」も劇中に登場している。
 天狗倶楽部のメンバーもオリンピックに絡んでおり、今後しばらく金栗とのドラマで登場するはずだ。天狗倶楽部が大河ドラマのみならず歴史ドラマに登場したのは、本作が初めてであるはずだ。
 私が天狗倶楽部を初めて知ったのは、横田順彌(よこたじゅんや)の小説「火星人類の逆襲」(1988年刊行)である。明治末期の帝都東京に、かつてイギリスを襲った火星人が攻めてくる。日本の危機、押川春浪と天狗倶楽部の面々が迎え撃つ。
 また横田は、同書の少し前に會津信吾との共著で「快男児押川春浪」なるドキュメントを発表し、日本SF大賞を受賞している。
 同作の後も、横田は明治時代を舞台にした創作や研究を多数続けており、その中で天狗倶楽部を盛んに取り上げてきた。複数の出版社を通しており、一種のライフワークと言っても良い。
 もう1人の主人公で、鵜沢龍岳を登場させた別の明治SFシリーズもあり、春浪や天狗倶楽部はそちらでも登場し、龍岳の頼もしい協力者として活躍している。
 私はドラマを観ながら、横田を思い浮かべた。
 最近、氏は病になりがちで、著作は御無沙汰しているが、元気で「いだてん」を観て、春浪や天狗倶楽部が実写化された姿に感銘を受けていると思っていたが。
 しかし、第2話の後、手に取った新聞にて、今年の1月4日に病気で亡くなったとの訃報を知る。73歳の死。
 せめて、あと1ヶ月、長生きしていればと、残念に思えてならない。
 自分に影響を与えた人が、次々に亡くなっているが、新たに1人鬼籍に加わった。
 横田順彌は1945年に生まれた。ヨコジュンの愛称で慕われている。
 幼い時にSFを知り、法政大学の落語研究会に身を置きながら、有名なSFサークルの1の日会で活動した。横田をモデルにしたキャラクターが平井和正による「超革命的中学生集団」に登場している程である。
 その後、自身の手でSFファンジンを発行したり、独自の活動を続けてきた。
 このあたりは自伝の「横田順彌のハチャハチャ青春期」に詳しく書かれている。同書は2001年に東京書籍から発表されたが、落語研究会の活動や1の日会のこと、就職について、自分の創作や、大御所小松左京らSF仲間たちと付き合いについて、詳しく記されている。
 70年代に入ってから、創作でデビューを果たすが、当初は、落語の影響もあって、ハチャメチャな駄洒落を飛ばしたSFが中心となる。
 学生時代に押川春浪の「海底軍艦」を読んだのがきっかけで、以後、海外SFに力を入れる他のSF仲間とは一線を画し、古くからの日本の古典SFの収集研究にも力を入れてきた。
 それはSFマガジン誌上で「日本SFこてん古典」として連載され、好評を博し、単行本化されている。全3巻、日本のSFを知る上で貴重な研究であり、高い評価を得ている。
 その後、80年代後半から本格的に明治SFの創作に取りかかるが、併せて古書収集、明治研究家の顔を併せ持ち、それを題材にした作品作り、加えてSFの入門書の編集も行い、日本SFの興隆に一役買った。
 作品は、ハチャメチャな内容に笑ったが、明治SFについては当時の空気が出ており、考証や落ちの付け方についても工夫し、読後、読者にちょっと考えさせる余韻を与えている。明治時代を生きる人の息遣いが伝わってくる。
 横田は、日本SF大賞を受賞したり、95年に発表した「百年前の二十世紀 明治・大正の未来予測」が同年の高校課題図書に選ばれたりしている。しかし、著作は多いとは言え、全てが正しい評価を受けているとは言い難い。
 「火星人類の逆襲」は映像化の企画があったが実現に至っていない。鵜沢龍岳を主人公とするシリーズは、NHKの時代劇でドラマ化されても成り立つ内容である。
 作品が読継がれること、再評価されることを希望したい。そして横田の死はショックであるが、ありったけの感謝を込めて送り出したい。
 加えて、死後の春浪や天狗倶楽部をはじめ、親しい人たちとの対面を祈りたい。

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No.450 (Web版100号)2

SF essay (269回)

川瀬広保

 平成31年、2019年が明けた。新年は元号が変わるということと、消費税が10パーセントに上がるということが大きい。元号は昭和、平成を経てまだ未知の新元号であり、消費税は必ず上がるであろう。困ったことである。また、やたらと外国人を採用するらしい。
 最近、はまっているテレビ番組は「チコちゃんに叱られる」。言いたいことを言うところが面白い。CGだから、実在しているわけではないが、身近に感じてしまう。
 ぼーっとしていないで疑問に思ったら、いろいろ調べて考えてわからないときは、専門家に聞く。社会全体への「喝」である。難しく考えなくてもいいが、この番組は面白い。

 季節を感じるのは、スーパーとテレビだ。スーパーは季節を先どって、品物を陳列しているし、テレビは年末ともなれば、平成はどうだったかとか一年を思い出す番組を放映し続けている。「時は人を待たない」ということわざがあるが、まったくその通りである。"Time wait for no man"である。"Time flies like an arrow" ということわざもある。"Time flies" だけで載っている。時間は永遠なのであろうか。太陽は46億年の寿命だと言うし、人間はたかだか80年程度である。

 久しぶりにSFマガジンのてれぽーと欄へ投稿したら、載せてくれた。筒井康隆についてである。

 以下、SFMに送ったてれぽーと欄の全文を載せてみます。



 SFマガジンに連載された「筒井康隆、自作を語る」は毎回、興味を持って読みましたが、今度一冊にまとめられて、発行されたので、買ってきました。
 筒井康隆と言えば、日本のSF界を疾走してきたプロとして有名です。石川喬司の言葉によれば、星新一が開拓者として道を開き、小松左京がブルドーザーでならし、筒井康隆はさっそうと口笛を吹きながら、スポーツカーでSFワールドを疾駆するといった例えがありましたが、その筒井康隆ももう84歳だといいます。まだ新作を出そうだという意欲がラストのインタビューの答えに見えます。筒井康隆に昔サインをもらったとか、エレベーターで一緒になったというかすかな記憶があります。私はまだ学生でした。
 古きよき時代の記憶です。そのころは、臆せず、プロに会いにいきました。サインももらいました。星、小松、筒井、福島、クラーク等々です。ファンとプロの垣根がほとんどありませんでした。よい時代でした。

 この本は書誌学的な意味でも貴重です。筒井康隆のすべてを収めています。
 対話集だから読みやすいし、末尾には筒井康隆のビブリオグラフィがついています。
 日本SF界をその黎明期から知っている大物のこの本の内容は大いに気になるところです。貴誌にはこれからもこのような日本SF界に貢献された方々のインタビューや動向を載せていただきたいと思っています。



 大げさに言えば、今、筒井康隆が熱い!老いてますます盛んと言う言葉があるが、筒井康隆の動向には目が離せない。

 「2001 キューブリック クラーク」というマイケル・ベンソンの大型本が出る。この本にも好奇心を持っている。一応、注文しておいた。5000円はちょっと高い。入手した。まず厚さに驚く。克明にこの名作映画「2001年、宇宙の旅」が世に出るまでのあれこれを書いてある。この映画が上映されたとき、私は大学生で早速見に行ったものだ。後半、20分ぐらいは一切セリフはなく、人によって感想や理解が分かれる画面が続いた。その後、「2010」が映画化されたとき、こちらはよくわかった。今回、いろいろなエピソードが明らかになっていて、興味深い。50周年だそうである。50年たってもまだこのような本が出版されると言うこと自体、この映画とその原作が永遠であることの証左であろう。

 さて、もう大晦日が過ぎ、2019年が始まった。人は暦によって支配されている。地球が24時間で一回転し、365日かけて太陽の周りを公転する。12で割って、ひと月がある。ひと月は30日か31日で調整されている。。こういった天体の動きによってわれわれは支配され、そこからはみ出ることはできない。うるう年で調整し、いやおうなく、歳をとる。春夏秋冬があるが、天候の異常は今に始まったことではない。後戻りはできない。Time flies.のことわざ通りだ。
「ブラックホールとは何ですか」とか、「ブラックホールと太陽はどちらが強いですか」という子どもの質問があった。ブラックホールは時空をまげてしまって、時間すら飲み込んでしまうという話を読んだ。
 こうなるとブラックホールの方が強いのかな?強いも弱いもないのだろうが、子どもの質問はいつも面白いものだ。「空はどこからが空ですか。地上1ミリでも上は空ですか」この質問の答えは、視線を上に上げたときに見えるのが空だということだ。先日、天文台へ行ったとき、「星はどこにあるの?」と4、5歳の子に聞いてみたら、「空にある」という答えが返ってきた。その通りだと思った。やれ、月は38万キロのむこうにあるとか、地球の隣は火星だとか金星だとか教えたくなるが、星も惑星もみな空にあるのだ。
 子供の素朴な疑問から、人類の科学の発展があったと言っていいような気がする。
 われわれ日本人は神仏混合の宗教を信じており、寺にお参りに行き、神社にもお参りに行く。英語のことわざに、You can live without father or mother but you can`t live without religion.というのがある。父や母がいなくても生きていかれるが、宗教がなくては生きていかれないという意味だ。正月に近くの神社に行けば、大勢の人が参拝に来て、祈祷をしている。
 未来はどうなっているのだろうか。クラークの有名な短編「星」は宗教が科学へとつながっていくのを示しているような気がする。「幼年期の終り」はオーバーロードからさらにオーバーマインドへとより進化した知性の発達を描いていて、昔、興味深く読んだものだ。レムの「ソラリスの陽のもとに」は海に知性があるという世界を描いている。心とは知性であり、真心であり、思いやりである。精神的なものすべてが含まれている。ソラリスの海には精神があるのだ。
 生命と非生命の間はどこにあり、どこから知性となるのだろう。猿人が骨を投げ上げたときには、知性はほとんどなかったが、モノリスを月に発見したあたりでは、人類は知性を発展させている。われわれはもっと進化しなければならない。未来のいつか、超知性が生命ともAIともわからない状態で出現しているのかもしれない。その一つがオーバーロードであり、さらにはオーバーマインドだと思われる。これはクラークが考えた言葉であり、〈上帝〉とか〈上霊〉と訳されている。あれこれ考えても難しいことはわからない。しかし、時には難しいことも考えなければいけないのだ。
 2019年はどうゆう一年になるのだろう。ますます混沌とした世の中になって行くような気がする。
                        (2019・1・14)

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No.450 (Web版100号)1

My BESTS 2018

中嶋 康年

1 「大東亜忍法帖」 荒山徹 Kindle
明治維新を阻止しようと陰陽師が「くとぅるー神」の力を借りて処刑された幕 末の剣豪を蘇えらせた。上巻を出版した版元が下巻の結末を書き換えさせよう として、著者が反発、出版中止に。別の出版社から Kindle で完全版として刊 行されたといういわくつき。

2「ニンジャバットマン」 (映画)水崎淳平 監督
バットマンやジョーカーをはじめとしたゴッサムシティのキャラクターが戦 国時代の日本にタイムスリップする劇場版アニメ。静岡では、清水と磐田で の上映だった。城が巨大ロボットに変形するなどのイメージが素晴らしい。 人物や背景などの描き込みが凄まじくて、「クレージー」との評もあったほど。

3「宇宙探査艦オーヴィル」 FOX/SkyPerfecTV
主役のセス・マクファーレンがコメディアンなので、コメディドラマ と観られがちだが、実際は人種差別や社会制度の批判などを描いた しっかりとした SF ドラマになっている。

4「海王星市から来た男 / 縹渺譚」 今日泊亜蘭
2017 年 9 月の刊なので、今年のというわけではないのだが、感銘を受けたので。歴史的かな づかいが使われているところがあるので少々読みにくいところはあるが、慣れてしまえばそ の語り口の調子の良さは絶品。声に出して読みたいくらい。

5「わたしたちが火の中で失くしたもの」 マリアーナ・エンリケス
アルゼンチンの女流作家の短編集。「ラテンアメリカのホラープリンセス」というキャッチ フレーズをつけられている。いわゆる「イヤミス」ふうのテイストだが、インパクトは強い。 冒頭の「汚い子」で衝撃を受ける。そのテンションを全 12 作中ほとんど維持しているのも すごい。

6「折りたたみ北京」 ケン・リュウ編
現代中国 SF アンソロジー。ケン・リュウ自身は「序文」しか書いてないが、7 人の中国作家 の短編を収録している。圧巻は「三体」で世界的に有名な劉慈欣の「円」。

7「波乱のスペイン女王 イサベル」 銀河チャンネル /SkyPerfecTV
1474 年から 1504 年にわたってスペイン女王となったイサベル 1 世が女王になる前から逝去 するまでを描いた物語。全 39 話。スペイン統一、レコンキスタ完成、新大陸発見でコロン ブスに援助など数々の偉業を成し遂げたが、ドラマ形式で観ると背景などが見えて面白かっ た。続編として娘の「フアナ 狂乱のスペイン女王」孫の「カルロス 聖なる帝国の覇者」 も見た。

8「刻刻」 Amazon Prime
堀尾省太のマンガのアニメ化作品。ほぼ全編が時が止まった世界で、そのなかを動くことが できる主人公の家族に新興宗教の信徒たちが襲ってくる。時が止まった世界とのかかわり方 が普通のアニメ作品にないものがあって面白かった。

9「オルタード・カーボン」 NETFLIX
2002 年フィリップ・K・ディック賞受賞で確か箱入りで出た本だったかと思うが、当時はあ まり面白くなさそうに思えて読まなかった SF のドラマ化。デジタル化した精神を肉体に移 植し次々と変えることができる世界の話で、NETFLIX オリジナルの製作。ドラマはなかなか 良かった。

10「デビルマン crybaby」 NETFLIX
こちらも NETFLIX オリジナルの製作。湯浅政明監督ということで、普通のアニメとは一味違 うどこかアーティスティックな作風で、エログロもありという感じ。見る人を選ぶ作品かも。

その他、印象に残った作品(順不同)

ネクサス、天才感染症、われらはレギオン、六つの航跡、そしてミランダを殺す、誰がスティー ヴィ・クライを造ったのか、巨神覚醒、狼眼殺手(以上、書籍) レゴバットマン・ザ・ムービー、ダーリン・イン・ザ・フランキス、アベンジャーズ・インフィニティーウォー、ペーパーハウス、ミス・シャーロック、LAST SHIP、マジンガー Z インフィニティー、ブラックパンサー、レディプレイヤー・ワン、ハンソロ、BLEACH、アントマン &ワスプ、カメラを止めるな、ヴェノム、ボヘミアン・ラプソディ(以上映像作品)

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No.449 (Web版99号)2

SF essay(268回)

川瀬広保

 今年もあとわずかだ。来年は新元号の年になる。平成も終わるらしい。いやきっと終わる。30年も続いた。30年前は、私も?歳だった。まだ若かった。
 さて、今年、2018年はどんな年だっただろうか。台風による停電などの災害はなくならないし、話題はつきない。今年の漢字は「災」だそうだ。
 SFではどうだったろうか。過去の有名な作品の再販や再訳が多かったような気がする。

 昔、星新一のショートショートに次のような作品があった。ある男が、医者から病気を宣告され、自分の回りをすべて清算した。知人にも手紙を出した。やりすぎたために、もうその男の存在は社会から全く忘れ去られてしまうというような内容だった。実は、男の病気は大丈夫だったのだ。非常にサタイアに富んだ作品で印象に残っている。何でも事前にやりすぎてはいけないのだ。未来はどうなるかわからないのだから。
 「明日は、土曜日です」というのを「明日は土曜日でしょう」と言ったらおかしい。今日が金曜日だったら、明日は必ず土曜日になる。こういう未来はそのようになる。
 「明日、東京へ行きます」と言えば、大雪で電車が不通にならない限り、強い意志があるのだから未来はほとんど決まる。
 明日の昼食は、ラーメンにしようかご飯にしようかなどという時は、気分で決まる。気分は天候だったり、気温だったり、テレビのコマーシャルの影響だったりという不確定要素がからんでくるので、未来も不確定だ。こんなことを書かなくても、星新一ははるかにスマートにショートショートにした。

 人材不足だから、外国人をもっと多く日本に取り入れようという話が進んでいる。
しかし、なぜ外国人を入れるのか。日本人をなぜもっと多く採用しないのか。日本を外国人でいっぱいにさせたいのか。昔から、日本人には欧米崇拝主義のようなものがあって、外国人からみると、それだけで崇拝(頭を下げる)する。
 少子高齢化の社会だから、子どもが少なく、高齢者が多い。もっと高齢者に職を与えなければ日本はよくはならない。高齢者が元気になれば、若い人もよくなる。しかし、現実はいかに世にあぶれた高齢者が多いことか。人は仕事としてやることがなければだめになる。今、職がある人は外国人を取り入れればいいと言っているが、今仕事がなく年金暮らしで、過ごしている人には空念仏としか思えない。ある青森市議が、本音が表れる裏アカウントで「年金ジジイ」と書き込んだ。自分が市議という立場は捨てたくなく、自分もいつか年金暮らしになるのだから、もっと年金暮らしの人々の生活向上を考えた方がいい。
 さて、筒井康隆が新刊を出した。エッセイ集のようだ。「不良老人の文学論」。84歳の著者の本音が描かれている。老人になったら、わかりのいい素直な人間ではなく、いいたいことはいい、やりたいことはやる老人の方がいいらしい。同じような年齢の男は同じように考えるようになる。ものわかりのいい老人はいないのだ。
 もう出版されているようだから、また購入したら目を通そう。

 SFマガジンでほとんど一番先に見るところは、執筆者たちの消息を書いた巻末にある今月の執筆者である。次は何を出すかということよりも、本人たちが元気かどうかの方に目が行ってしまう。

 人間はいつのころからか、時間を気にするようになった。腕時計をはめ、常に今何時か気にして、カレンダーや日めくりで今日が何日で、今何時かを気にしている。動物は時間を気にしているようには思えない。水星が太陽の周りを回るには88日しかかからない。地球は365日もかかり、天王星は84年もかかるのだ。これをどう見るかは人間の感覚にすぎない。小松左京にとって何十億年はどうということはないというような言葉がSF作家としての小松左京の大きさを示していた。

 最新のニュースから

 「太陽系外からの使者「オウムアムア」、初の恒星間小惑星と確認」

 はるかな宇宙から、たった一回の「訪問」のようだ。小惑星なのだそうだ。これこそ「ビジター」と言えよう。このように、まだ未知の天体がこの宇宙には無数にあるのだろう。金星も地表や地下はどうなっているかわからないし、天王星の軌道は、なぜ他の惑星より98度も傾いているのか、小惑星帯はなぜまたいつどのようにできたのかよくわからない。われわれのこの太陽系でさえ、わからないことがたくさんあるのに、太陽系からはるか離れた宇宙には、未知の天体や現象がたくさんあっても何もおかしくはないだろう。

 「中国で世界初の遺伝子編集ベビー誕生」

 クローン人間はどうなったのだろう。ウェルズの「モロー博士の島」を思い出す。ヒトを操作してはいけないのだ。神の領域に立ち入るべきではない。「2001年、宇宙の旅」の冒頭部分、原人が骨を投げ上げ、一瞬にして宇宙船に変わる有名な部分があるが、あの原人にとっては、宇宙船に乗っている人はほとんど神であり、ラスト部分で「星の子ども」になって生まれ変わる未来の子供は、未来の「神」であろう。何か「ドラえもん」の中にも似たような発想があったような気がする。そうすると、遺伝子を編集する科学者は、その生まれた「ヒト」にとっては「神」なのかもしれない。願わくば、善の神であってほしいものだ。宇宙は“善”であると信じたい。
 筒井康隆の「不良老人の文学論」を買ってきた。気になる個所を読み始めたところである。
著者の発表した文章の集大成だからどこかで読んだことがあるなと思うのもあるが、まとめられてまた読むと面白い。星新一のこと、小松左京のこと、手塚治虫のことにふれた部分は面白い。彼らはみんな故人となったが、昔のことを知るのはもう筒井康隆ぐらいしかいないと思う。

 暖冬である。12月なのに、夏日のところもあった。しかし、急転直下、真冬が来て明日あたりから雪が降るとテレビは伝えている。
 人間は「炭素型二足歩行動物」(クラークのエッセイから)だから、寒くても暑くても歩かなければいけない。今思い出したが、昔クラークが来日したとき、大学生だった私は明治大学SF研究会発行の「テラ」にサインをもらおうと持参した。クラークの前にそれを差し出し、自分が訳した「土星の出」のページを差し出した。クラークは裏返して見ている。私は“Meiji University Science Fiction Club”と声に出して言った。何の返答もなかったが、クラークはサインしてくれた。たったそれだけの思い出だが、今となってはその時、彼が何を考えたかわからない。氏は、「ファンは大事にしたい。晩年の保険だから」と書いていた。私はクラークのファンだった。
 クラークは“True genius”だった。真の天才だった。彼が亡くなったとき、その時ににいた学校のALTは私が言った言葉、“I'm sad. He really was a true genius…”に“Yes, he really was!”とすぐに返答したものだ。彼もクラークのファンだったのだ。

 ハインラインの名作「夏への扉」の献辞に、〈すべてのaelurophileに捧ぐ〉とあった。この特殊な英語は、「猫溺愛症」とでも訳す言葉だということをその昔、初めて知った。それ以来、こうしていつまでも覚えている。その反対は、aelurophobiaである。「猫恐怖症」とでも訳す。SFを読んでいると、こうした英語を覚えることがある。anglewormはブラウンの「みみず天使」で覚えた。angelwormという単語は辞書には載っていない。〈天使虫〉などという英単語はないからだ。また、同じハインラインの「夏への扉」で、Peter Piper picked a peck of pickled peppers. A peck of Peter Piper picked Where's the peck of Peter Piper picked? という早口言葉も、この作品を読んだことがきっかけだった。今では、中学の英語教科書に一部が載っている。
 このように、SFを読むことは、私にとって英語の勉強にもなっていたのだ。教科書では学べない語を知って、語彙が増えた。日常会話ではめったに使わないけれど。
 ことわざについても、教科書で学んだことが生かせる。教科書に載らないことわざをネイティブに言ってみたことがある。さすがネイティブだから、すぐ反応した。「すべての雲には銀の裏打ちがある」というものだ。英語では、Every cloud has its silver lining. という。「不幸のあとには必ず幸福が来る」というような意味合いが込められている。
 話題がなかったら、会話は続かないから、知っていることを言ってみただけだが、脳の活性化には役に立っただろう。浜松城でボランティアをやった時の話だ。

 さて、12月も後半に入り、日々師走から新年へと時が素早く動いていく。何かあわただしい。新年に入ると元号が変わると言うし、消費税も上がる。
 変化だけがこの世の常である。

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No.449 (Web版99号)1

「鈴木健介を偲ぶ会」

「鈴木健介を偲ぶ会」を2019年2月16日(土)に開催を予定していましたが、一周忌頃の7月開催に変更することになりました。
会場はまだ未定です。
「偲ぶ会」では、冊子を作りたいと思います。つきましては鈴木健介の思い出を下記のアドレスにお送りくださると助かります。恐らくまだ募集中だと思います。
 mnh-0914@next.odn.ne.jp  齋藤眞規

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No.448 (Web版98号)2

SF essay(267回)

川瀬広保

 もう11月も半ばである。寒くなってきた。今年もあとひと月半しかないではないか。いつからこんなに時間が早く過ぎるようになったのだろう。
 時間で思い出すのは、まずH・G・ウェルズの「タイムマシン」。過去へ行ったり、未来へ行ったりすることはよいことなのかよくないことかわからない。いつでも「今」の時代を生きるしかないのかもしれない。
 しかし、人間は未来を夢見たり、過去を変えたりしたらどうなるかなどといつでも考えたがるもののようだ。人間は暦を作り、曜日を発明し、時計を見て、今は何時かと常に気にしている。クラークのエッセイの一文に、人間は時間を気にする唯一の動物であるといった文章があった。
 また、今年は災害が多かった。台風で停電したり、屋根が飛んだりして、かつてないことだった。

 「ゴジラ座」という新しい星座が作られたそうだ。但し、見つけるのは難しそうだ。ゴジラが世界的にも認められているということか。「ゴジラ」は大昔、親に連れられて映画を見に行ったような覚えがある。星座名に限らず、天体名に名前を付けられた多くの有名人がいるそうだ。月のクレーターはもうほとんどすべて名前がついているそうだ。番号のみついているのは、土星や木星の衛星の小さいのだ。イオ、タイタン、テティス、エンケラドゥスなどは有名だが、小さい衛星は番号のみだ。

 話は変わるが、水星へ探査船を日本が飛ばすというニュースに接した。水星は太陽に最も近い惑星だから、灼熱地獄だ。そんなところへ探査船を飛ばして、一番気にかかるのは太陽の高熱だ。それに耐えられるものを作っていかなければいけない。十分考え抜かれての発射だと思うが、宇宙は何が起こるかわからない。金星探査機「あかつき」は今どこにいるのだろう。水星、金星、火星、木星、土星を探査し終えたら、人類はその先まで向かうにに決まっている。冥王星の写真を送ってきたのではなかっただろうか。太陽系を探査し終えたら、どうするのだろう。アルファ・ケンタウルスまで向かうのだろうなあ。
 しかし、探査機は太陽系を探査し終わりそうだが、人類はまだ月へ行っただけである。フロンティア・スピリットがなくならない限り、人類の探究心は続くだろう。そうだ、太陽系外へ行っている人類の探査機があったはずだ。もう電波の交信もできないだろうから、どうなったか誰も知らない。ニュースにもならない。エイリアンがその探査機を見つけて、人類にコンタクトしてくるまで待つとしよう。
 「宇宙を汚してはいけません」と言われるか、「忘れ物です」と届けてくれるか、「友達になりましょう」と言われるか、それらのどれにも属さない予想もしないものになるかもしれない。
 さて、SFマガジンの最新号は「ハーラン・エリスン、追悼特集号」である。過日の「アーシュラ・ル・グイン、追悼号」が出たばかりなのにまた追悼号である。SF界のビッグネームが次々と没していく。残念なことである。

 さて、SFは想像力から生まれるから、人間から想像力を取り去ってしまったら、もうSFというものは存在しない。子どものころは、とっぴもないことを考えるものだが、大人になるにつれ、想像力は枯渇していく。日々の生活に忙しいし、心にひまがない。いつまでもしなやかな考え方ができるようにしたい。そうした意味で想像力を駆使したSF作家たちはみんな素晴らしいと思う。エリスン、ル・グイン、大御所だったクラーク、アシモフ、ハインライン、星、小松、光瀬、筒井等々、SF作家として大成した人たちは、大げさに言えば人類を引っ張ってきたと言えよう。

 さて、この間、スマホの充電ができなくなってあわてた。たいして日常的に使っているわけではないのに、この現代においては、大事なものは、まず命、現金、その次ぐらいがスマホではないだろうか。店に行くと3時間ぐらいかかり、代替機を借りて、翌日また返しに行って、店を出るまでにまた3時間かかった。スマホなど使わずに、固定電話でよいとすればいいのに、社会全体がもうスマホを持っていることが当然なのだ。お金がかかっても。
 使えば使うほど、通信料が後で請求されることがわかっていても社会から取り残されるような気がするのだ。充電できなくなったのは、接触不良だった。小さい精密な機器なので、壊れやすい。
 この前、大停電があって、ほぼ一晩だけだったが、電気がつかなく、テレビもつかないとたよりになるのはスマホだ。充電がゼロになったら不要物としか言えない。
 想像する近未来SFでは、コンピューターがさらに発達して、AIが日常些事を行い、人間は芸術活動にいそしんでいるというストーリーもあった。永遠の未来都市、「ダイアスパー」はそんな設定である。クラークの三原則というのがある。そのひとつが、「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」というものである。未来は、今、われわれが魔法と思っているものでもそのまま当然として使われるのであろう。
 スマホももしかしたらそのひとつだ。時々、壊れるが。

 今、思い出したが、瀬川昌男の「白鳥座61番星」の中に、「シュラフィーネ」という著者発想のエスペラント語に由来する言葉があった。これを飲むと、眠くなっても眠気は吹っ飛び一晩ぐっすり寝たあとのように生き生きと行動できるというものだ。
 想像力が未来を作るのだから、われわれはSFを大事にしなければいけない。かつてSFが想像したいろいろなものが実現しつつあると思うので、SFマインドはいつまでも大事だと思う。

 やがて、年号が変わり、消費税も引き上げられる。SFマガジンも高くなり、いろいろと大変だと予想される。現実は厳しいが、SFの持つ想像力は忘れないようにしたいものだ。

                   (2018・11・15)

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No.448 (Web版98号)1

梶山浩氏の「カースブラッド」についてあれこれ

by 渡辺ユリア

まず、このコミックスを手に取った時、気づいたのが「これが本物の異世界だ!」という帯に書かれた文字。そのあと表紙の絵をみたわけです。
ドラゴン…らしき物のウロコがリアルだなーという感じです。そして思わずカバーを取ってみると、本の表紙絵が右上の絵(印刷版Paper Moon448号参照)なんですね。カラー絵よりも絵のペンタッチが荒々しい…という感じです。でも造形として美しい…と思えるのです。
そしてタイトルの「カースブラッド CURSE BLOOD」とは、辞書で調べると、どうやら「呪われた血(血統)」という意味らしいです。では、表紙をめくるとカラーの口絵、ふしぎな色彩をした空をもつ世界、そして少女が主人公のようです。「…ここは どこ…」少女は不安になります。“夢…だよね…”と自問自答。いきなり恐ろしい生物がおそってくる世界…。いろいろな異形の生き物がおりなす物語…ワクワクしながら読みました。では
                2018.10.26 by yullia

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No.447 (Web版97号)3

劇場版「若おかみは小学生!」をみたか?  新村佳三

10月29日現在、全国の映画館で上映されている「若おかみは小学生!」というアニメ映画が話題になっている。
内容は元々は東京で暮らしていた小学生の女の子が、諸事情で祖母が経営している伊豆の温泉旅館の若女将として生きていく、という話である。

この舞台になっている伊豆の温泉街(架空の街で、実はモデルとなっているのは関西の有馬温泉)は、少し奇妙である。
古くからある温泉街という設定になっていて、たしかに伝統ある有名温泉地っぽい雰囲気があるが、どこかしっくりしない。まるで巨大な「温泉街」のアミューズメントパークのような人工的な雰囲気がある。街全体で「温泉街」を演じている感がある。
この温泉街を走り回るタクシーや旅館の送迎車両も変わっている。外観は昭和30年代の温泉街からやってきたような懐かしのクラシックカーだが、エンジン音がない。EVである。
ますます、アミューズメントパーク的だ。

この作品のジャンルがよくわからない。
この物語には、生きている人間と、幽霊と、魔物と称している存在と、死んでいるはずの人間が、登場する。
ファンタジーのように思えるが、リアリティのある丁寧な生活描写が骨格としてストーリーを支えている。
不思議なシーンもある。
特に、主人公と、幽霊と、死んでいるはずの人間が、同時に登場するシーンは、混乱させる。
登場人物のカテゴリーの基準が曖昧なのに、このシーンはリアルな描写なので、戸惑う。
混乱した絵面の中で主人公が、ハキハキと、迷いなく喋ることに、さわやかではあるが奇妙さも感じる。
また、死んでいるはずの人物(作品中では幽霊とも、単なる幻覚とも、想像した人物とも、特に説明はない)が登場する(夢の中とかではなく)シーンでは必ず、「生きている人物」が、鏡やガラスの反射像という形で映っている。何の比喩だろうか?

この作品には温泉街を訪れる客と、それをもてなす旅館側が描かれているが、主人公の小学生が、普段の小学生としての生活描写と、若女将としての描写に違いがある。若女将として「演じている」感が強い。これは、この温泉街の成り立ちとも相まって、まるでディズニーランドのように住民皆が自らの役を「演じている」世界、と考えれば良いのだろうか?

制作スタッフは、かつてスタジオジブリの作品などに参加していた方も多く、「この世界の片隅に」(この作品も、日常生活の中にファンタジー的な奇妙な要素が紛れ込む、という描写があった)と同様に、ポストジブリ系作品ということになるのか?「この世界の片隅に」も、そうであったように、画像だけでなく音響効果にも大変力を入れており、とても丁寧な仕事だと感心する。

9月末から公開が始まって、10月になってからは公開終了する映画館もあったのだが、口コミで評判が伝わり、10月末現在、公開終了を取りやめて延長公開をしている館も多数現れた。
古典的なサイエンスフィクション作品とは少し違うかもしれないが、鑑賞後の、奇妙だが爽快感のする不思議な味わいは、味わって見ても悪くないと、オススメする。
4回見ました。
来週5回目の鑑賞に行こうと思っています。

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