No.350 (Web版0号)3
「柴野さんのこと」
鎌田三平
葬儀の朝、電車が平塚駅に近づいたころに、聴いていたiPodから偶然ライオン・キングのCircle of Lifeが流れたときには不覚にもウルウルしてしまった。
わたしが柴野さんとお会いしたのは編集者になってからだが、その前にもちょっと奇妙な縁があった。高校時代に友人から悪巧みの相談を受けたことがあった。友人が通っている定時制高校の数学の教師が、宇宙やSFの話をしはじめると授業そっちのけになっちゃうので、なにか質問するようなネタはないか、という相談だった。もちろん、その教師が柴野さん。ファン活動とは全く縁のなかったわたしだが、SFマガジンは創刊号からの読者だったから、柴野さんの名前は目にしたことがあった。で、「光年とパーセクとはどう違うのか?」とか「地球の中心が空洞になっていることがあり得るのか?」とか質問(悪知恵?)をいろいろと吹き込んだ覚えがある。
後年、柴野さんと実際にお会いしたときにその話をすると、覚えていらして、笑っていたものだ。
編集者時代は担当が違っていたのでお仕事をご一緒することはなかった。矢野先生の翻訳勉強会でお会いするくらいだった。
その頃、ニーヴンの初の短編集を出すときに、今岡が帯の惹句で悩んでいたので「理科小説集」というアイディアを出したら、今岡には凄く受けた。柴野さんが来社されたときに今岡がその話をしたら、柴野さんは真剣に悩んでしまったので、ふたりで冗談ですから、冗談ですからと必死で言ったことがある。わたしはそういう下らないことを言う癖があって、横田氏の初めての長編を出版するときに「処女長編というのは当たり前すぎるから、童貞長編というのはどうだろう?」と言った。もちろん即座に却下されたが。
編集者を辞めてから、柴野さんにお会いしたときに「柴野先生……」と話しかけたら、20歳以上も年下の若輩者に向かって「同業者なんだから、先生と呼ばないでください」とおっしゃられた。
その前後だったが『デュマレスト・シリーズ』を酒井氏、大西氏、わたしの三人で翻訳するという企画を東京創元社からいただいた。酒井、大西両氏の翻訳は最初だけ柴野さんが目を通すというような話だったと記憶している。文体の統一を図るためにわたしの原稿に目を通された柴野さんが、とてもほめておられた、と編集者から聞いた。独立早々で仕事の目処も立たず、自信もなかったわたしはその言葉にとても励まされた。ほめて伸ばすという教師の基本テクニックだったのかもしれないが。
葬儀というのは、死者のためというより、生きている者のための儀式だと思う。その人の死を心に刻みこむための。
人の死というのは悲しいし、自分の〝想い〟の一部が記憶だけになってしまうことの辛さがあるなあ。顔を合わせることももちろん、こちらから電話したり、「恐縮ですが、拳銃のことでちょっと教えていただきたいことがあるんですが……」という電話を受けることもなくなって、これ以上広がることのない領域になってしまったんだなあ。
月並みな言い方だが、柴野さんは宇宙に旅立ってしまったんだよ、きっと。
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