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No.350 (Web版0号)6

「浅倉さんのこと」

 鎌田三平

 

 葬儀の朝が雪だなんてベタな演出だと、映画好きの浅倉さんなら辛辣なひと言で切り捨てただろうな。
 葬儀の帰り、赤尾秀子、酒井昭伸、白石朗、中村融、わたしというメンバーで横浜でお茶を飲んだ。
 中村融だか白石朗だかが「あっち側のほうが楽しそうだな」とぼそりと言ったのが妙に印象に残った。もちろん、矢野先生が主催していたSF翻訳勉強会の話で、その主要メンバーのほとんどが物故してしまったことになる。

 もう十年近くになるが、佐藤高子さんや、赤尾秀子、内田昌之、小和田和子、扶桑社の金子氏といったメンバーに声をかけて「A氏の会」をはじめた。もちろん、主賓は浅倉さん。浅倉さんをダシにみんなで食事・飲み会をしたいだけなんです、という表向きで、実はSF翻訳勉強会が自然消滅してからあまり表に出なくなった浅倉さんを、なんとか引っ張り出そうと考えたのだ。横浜中華街で楽しく食事をしながらにぎやかにおしゃべりして……それだけで後輩のわれわれには得るところが多かったし、励みにもなった。不定期で年に二、三回ずつ続けていった。浅倉さんのお話を聞くのは、若い人にも糧になるのではと考え、若い翻訳者や編集者を少しずつ呼んだりもした。
 二〇〇八年の十一月、浅倉さんからのメールで、検査でご自身が重篤な病に罹っていることが分かったと伝えられた。それ以降、おたがいの訳書が出た折などに何度かメールで連絡したりはした。ただ、お見舞いには伺わなかった。おいやだろうと思ったし、それだけの心の準備ができなかったこともある。予後五年というのが定説なので、なんとなく油断していたのかもしれない。

 例の「あっちの側のほうが……」という言葉で思ったのだが、あっち側の世界でもやはり矢野先生、深見さん、山高さん、黒丸さんといった面々でSF翻訳勉強会をやっていて、浅倉さんが到着すると、もうすっかりできあがった矢野先生が顔を真っ赤にして「おうおう、浅倉さん遅かったのう。待ちくたびれて、もう『デューン砂の惑星』全巻を改訳し終わっちゃったよ。まま、とにかく一杯」とグラスを差し出し、浅倉さんがちょっと肩をすぼめるようにしてとなりに座るのが目に見えるような気がする。『タイタンの妖女』のエンディングではないが、浅倉さんがそういう楽しい気持ちで逝かれたことを祈るばかりだ。
 東京創元社のS氏が書いていた、人生というジグソーパズルのピースがガサガサッと外れ落ちてしまった感じ、というのはよく分かる。
 人は生きて暮らしているから、日々にとは言わないまでも新しいピースが出てきて、それで世界が少しだけ広がることもある。知り合う人のひとりひとりがひとつのピースなら、わたしにとって大事なピースはまだまだ両手で抱えきれないほど沢山ある。でも、消えてしまったピースはかけがえのない、それはそれは大事なピースだったんだ。

 浅倉さん、雲の上の誰かさんはきっとあなたに微笑んでくれますよ。

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