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2010年7月

No.352 (Web版2号)2

浅倉さんを偲ぶ会に行ってきた 2

川瀬 広保

 やがて、時間が過ぎ、締めのスピーチを高橋良平さんが行った。
 私は中央に飾られた浅倉さんの遺影に頭を下げて、退出した。まわりはプロの翻訳家や編集者がほとんどで、ちょっと気おくれしてしまうような会だったが、浅倉さんとのつながりはもうずいぶん昔からだから、偲ぶ会に出席したことは当然だったと思っている。
 受付で配られた細かい文字でいっぱいにまとめられた氏の翻訳の業績「浅倉久志 翻訳リスト 1962〜2010」を、改めてみるとすごい。ルーナティックに載ったものもちゃんと載っていた。翻訳数は、900を越えている。
 短編、単行本、共訳のすべてを足すとそういう数字だ。
 浅倉さんはデビューのころから、もうすでに翻訳家として完成していたのだなあとつくづく思った。SF翻訳の職人だった。
 お嬢さんのスピーチのなかで、「父は、毎日、8時30分か9時に仕事を始めて、12時ごろお昼を食べに降りてきて、また5時ごろまで仕事が続いていました。普通の出版にかかわる人のイメージからはかけ離れていたように思います」というようなことを言われていた。

 浅倉さんは翻訳のプロの中のプロだった。
 そして、最初からすでにプロとして、完成していた。
 そんな印象を持って、私は帰路についた。

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No.352 (Web版2号)1

浅倉さんを偲ぶ会に行ってきた 1

川瀬 広保


 浅倉久志さんを偲ぶ会に行ってきた。
 6月12日、東京の新宿袋町にある日本出版クラブ会館というところで開かれた。
 16時30分受付のところ、30分前に着いたら、まだ受付設営中だった。「川瀬です」と言ったら、わかってくれて東京創元社の人から、名札をもらい、会費を払い、渡された「浅倉久志翻訳リスト」に目を通していた。
 やがて、17時になり、開会。
 創元の小浜さんの司会のもと、まず、全員で黙とう。
 次に、発起人のひとりである森優さんがあいさつ。浅倉さんに借金を申し込んだことがあるという逸話を初披露。
 しばらくして、小野芙佐さんが登壇して、スピーチ。涙のスピーチになった。入れ替わりに、深町真理子さんが登壇。もうお二人とも、ご年配になっているはずだ。深町さんはいまでもSFは嫌いだという言葉が会場の笑いを誘う。(伊藤典夫さんは欠席)
 参加者は、しばし歓談。豊田有恒、田中光二、巽孝之らの顔が見える。
 私は知っている人もいないので、ビールやウィスキーを飲みながら、所在なげにしていたらそんな私にも話しかけてくれたひとが少しいた。
 浅倉さんのお嬢さん二人にも声をかけることができた。42年前に横浜のアパートを訪問したことを話した。

(つづく)

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