No.352 (Web版2号)2
浅倉さんを偲ぶ会に行ってきた 2
川瀬 広保
やがて、時間が過ぎ、締めのスピーチを高橋良平さんが行った。
私は中央に飾られた浅倉さんの遺影に頭を下げて、退出した。まわりはプロの翻訳家や編集者がほとんどで、ちょっと気おくれしてしまうような会だったが、浅倉さんとのつながりはもうずいぶん昔からだから、偲ぶ会に出席したことは当然だったと思っている。
受付で配られた細かい文字でいっぱいにまとめられた氏の翻訳の業績「浅倉久志 翻訳リスト 1962〜2010」を、改めてみるとすごい。ルーナティックに載ったものもちゃんと載っていた。翻訳数は、900を越えている。
短編、単行本、共訳のすべてを足すとそういう数字だ。
浅倉さんはデビューのころから、もうすでに翻訳家として完成していたのだなあとつくづく思った。SF翻訳の職人だった。
お嬢さんのスピーチのなかで、「父は、毎日、8時30分か9時に仕事を始めて、12時ごろお昼を食べに降りてきて、また5時ごろまで仕事が続いていました。普通の出版にかかわる人のイメージからはかけ離れていたように思います」というようなことを言われていた。
浅倉さんは翻訳のプロの中のプロだった。
そして、最初からすでにプロとして、完成していた。
そんな印象を持って、私は帰路についた。
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