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2010年10月

No.354 (Web版4号)4

ラッチャング制作日誌

新村佳三


「文学フリマにて」

ちょっと話は前後するが、今年の春の文学フリーマーケットに東海SFの会で参加したのだが、(文学フリマは年二回開催だけど、年々規模が大きくなってきて次は400サークルを越えるそうだ)調子に乗ってちょっと早く会場入りして設営の手伝いをしたりして、流石に体力を使い果たしてしまい、もう若くないんだから無茶はやめよう。朝四時に起きて、東名を東京の蒲田まで飛ばして休み無く机椅子を並べて(机並べであんなに体力を失うとは・・昔なら机の100や50ぐらいなんともなかったのに・・)店開きして同人誌売って、夕方4時に終了して机片付け手伝って、そのまま東名飛ばして深夜に帰るとか、もう二度としないぞと心に誓っていた、まさにその終わりごろにある人物がこちらのブースに近づいてきた。
「はじめまして、Kと申します」
こういった場にはどちらかというと不似合いな営業風のスーツスタイルのその男性はわたしに名刺を差し出した。
「こみっく・・じん?・・」
「COMIC ZINという同人誌も扱う店舗です。通販もやっております」

COMIC ZIN  ・・http://www.comiczin.jp/ 

漫画人のためのコミック・同人誌プロフェッショナルショップ COMIC ZIN ・・・なんだそうだ
COMIC ZIN 秋葉原店 COMIC ZIN 新宿店、の2店舗があるんだそうです。

「他の同人誌書店とは違って、独自路線のちょっとコアな店にしたいんです。」
「宇宙塵さんにも声をかけているとこなんです(8月30日現在、まだ努力は実ってないみたい)」
「実は川瀬さんの後輩なんです。9X年卒業のM大SF研出身でして・・」
「・・・でもいまどきの大学のSF研は・・もう・・」
「名作も古典もだれも読まなくて・・」
「・・・ラノベ・・ラノベ・・ばかり・・」
私もけっして人のことはいえないので黙っていた。
なんかかわいそうになってきたので、知り合いにも声かけてみますよと答えた。
東海の同人誌は印刷数が少ないから無理だけど、興味がある方はいかがですか?

〒160-0023
東京都 新宿区 西新宿 1-12-11 山銀ビル5F
TEL 代表03-3344-5396   FAX 03-3344-5393
COMIC ZIN
だそうです。
ホームページに店舗内容が詳しく記載されているので、そこらへんから見てみるのもいいかもしれません。

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No.354 (Web版4号)3

SFエッセイ(169回)

川瀬広保

「ゲゲゲの女房」

 これだけ「ゲゲゲの女房」の人気が出ると、このエッセイにも思い出を書いてみようと思った。
 私は、水木しげるの名前は知っていたが、氏のマンガや本を読んでいなかった。どうしてだろうとあれこれ思いだしてみた。この番組を見てわかったことだが、1968年(昭和43年)ごろから「ゲゲゲの鬼太郎」は一世を風靡し始めたのだが、私はほとんど見ていなかったように思う。そのころ、私は大学生で下宿をしていたし、テレビもなかった。なにより、SF研を設立しようとしていたり、SF大会に参加し始めたころであり、そちらの方に夢中だった。
 テレビを見ている若い人たちには、連ドラ「ゲゲゲの女房」は夫婦愛の物語だと思う人も多いだろうが、私にとっては、昭和30年代や40年代を思い出させてくれる久々の番組である。
 その昔、貸本屋があって、そこへ本を借りに行ったかすかな記憶がある。また、紙芝居の拍子木の音が打ち鳴らされると、5円玉を握りしめて、近くの農道へ走って行った。アメを買わないと見せてはもらえないシステムだった。そのうち、書店が出現するようになるのだが、田舎にはその書店もなく「街」まで行かなくてはいけない。小遣いも少ないので、「少年マガジン」や「少年サンデー」などを毎号買えたわけではないのだが、やがて手塚治虫の「鉄腕アトム」に夢中になる。
 このあたりのことを思い起こさせてくれたのが、このNHK朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」だった。
 ところが、この番組を見はじめると、毎朝8時から毎昼12時45分からの二回、必ず見るようになった。一回目は、ストーリーを追ったり、登場人物の表情を見たりして、二回目は背景の細かいところを確認したりしている。昭和30年代から40年代へと、水木しげるが貧乏時代から売れっ子になっていくと、画面に写る家具などの背景もいろいろ変わってきていて、面白い。
 また、今まで読んでいなかった水木しげるの本もあれこれ買って、読んでいる。
「のんのんばあとオレ」「悪魔くん」「悪魔くん千年王国」「敗走記」「白い旗」「人生をいじくり回してはいけない」「ゲゲゲの先生大いに語る カランコロン漂泊記」「水木サンの迷言366日」「水木しげる伝」(上)(中)(下)「ゲゲゲの鬼太郎」1〜5「総員玉砕せよ!」「ねぼけ人生」「河童の三平(全)」「水木サンの幸福論」「私はゲゲゲ 神秘家 水木しげる伝」「ゲゲゲ 家族の肖像」「水木しげるの遠野物語」等々、それから、こんな本「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」、そして今回のNHK「ゲゲゲの女房」の原案になった「ゲゲゲの女房」も買って、何回か読んだ。

 ちょっとした水木しげるブームが私にも起こってしまった。
 水木しげるには、不思議な魅力がある。SF漫画家ではないので読んでいなかったのだが、今更のように、読み始めると不思議な魅力を感じる。
 この人物の数奇な人生にも圧倒される。戦争体験、九死に一生を得て、片腕になりながらも、生還する。努力に努力を重ねても、認められない貸本漫画家時代、一転して、超売れっ子になる、売れっ子になったがゆえの苦悩、88歳になっても元気だというそのエネルギーやタフさ、その他いろいろ。
 また、手塚治虫との関係にも興味をひかされる。本人も書いているが、お互いに敬して遠ざけるといった面があったそうだ。また、お互いにお互いの本は読んでいなかったということにも、マンガ界の二大巨頭の心理面が感じられて興味を持った。

 この前、ニュースを聞いていたら、今年は、水木しげるロードは147万人を超す観光客であふれているそうだ。これもこのNHKの朝の連ドラの影響だろう。
 今朝の朝刊によると、「ゲゲゲの女房」は20パーセントを超す連続4週トップの視聴率を誇っている。私自身の水木しげるブームもまだまだ続きそうだ。
               (2010・8・12)

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No.354 (Web版4号)2

SFessay(168回)

川瀬広保

 TOKON10に行ってきた!

 3年ぶりのSF大会である。
 横浜のワールドコン(Nippon2007)から、早くも3年たった。今回、東京都江戸川区の船堀センターホールまで出かけて、感じたことをいくつか列挙して、レポートに変えよう。


 一日目。
 リハーサル室で行われた企画「追悼 柴野拓美」へ出た。司会は門倉純一さん、出演者は加納一朗、眉村卓、豊田有恒、難波弘之、山本弘の諸氏。
 最後列の端っこに着席していたら、柴野さんの奥さんが娘さんたちを連れて現れて、こちらからあいさつされる前に、私にあいさつされた。あわてて、お悔やみを申し上げたら、「星雲賞、残念でしたね」と言われて、認識してくれていたんだと知って、何か恐縮した。パネリストの人たちの話を聞いていると、柴野さんの人となりがまた明らかになったような気がした。柴野拓美という人物がいなかったら、日本のSFも、このようなSF大会も存在しえなかったということは確かだ。日本SFの育ての親であり、「教師」だったことも確かなことであると確信してこの企画の部屋を出た。


二日目。
 会議室で行われた企画、TOKON歴史探訪(1)と(2)へずっと続けて出た。ここで、42年(!!)ぶりに大宮信光さんに再会した。この部屋へ行けば、大宮さんに会えるだろうとわかっていたので、お顔を見たら、ごあいさつしようと思っていたが、氏の方から会場に参加したひとりひとりに声をかけられ始めた。まず私が一番先に「どちら様でしたか」と聞かれたので、名札を見せながら、「42年前に大宮さんに孤独ファン救済係を仰せつかった川瀬です。また、そのころ、瀬川昌男さんのお宅へ連れて行ってもらったことがあります」と話した。私より10歳先輩である。この部屋で私は確かにTOKON4に参加したのだということを再確認できた。1968年(昭和43年)のことである。
 大宮さんはTOKON4の事務局長をやっていた。実行委員長は野田宏一郎さんだった。
 私にとっては初めてのSF大会参加だった。詳細は覚えていないのだが、孤独ファン救済係というのを仰せつかった。確か、胸にリボンか何かつけていたと思う。会への所属感があった。
 そのころ、大宮さんに連れられて瀬川昌男さんの家に連れて行ってもらったことがある。私が「瀬川昌男の『白鳥座61番星』が好きです」とかなんとか言ったからだろう。当時は、SFファンが集まると、あいさつがわりに言う言葉は次のようなものだった。
 「どんな作家が好きですか」
 「何を読んでいますか」
 大宮さんは、「瀬川さんの家はこの近くだから連れて行ってあげるよ」と言われた。詳細な記憶はもうない。とにかく、それ以上の経緯は覚えていないが、瀬川さんのお宅へ連れていかれて、そのとき、出たばかりの宇宙塵の新号にサインしてもらったことだけは覚えている。瀬川さんは謙遜されて、「私なんかより小松(左京)さんにサインをもらったら」と言われたが、それでも快くサインをしてくださって、うれしかった。今でも、探せばその号があるはずだ。
 その企画が終了したとき、大宮さんにもう一度話しかけた。氏は東海SFの会の杉山祐次郎さんの名前を覚えていらっしゃった。瀬川昌男さんの家に連れて行ってもらったきっかけは、私が「瀬川昌男が好きです」と言ったからだと言ったら、「『火星に咲く花』?あれはいいよね」と言われる。「いえ、『白鳥座61番星』です」と答えたのだが、そのあたりに、世代の差があらわれている。『火星に咲く花』は読んでいないのだ。タイトルは知っているが、実物は見ていないし、読んでもいない。
 とにかく、43年ぶりの再会となった。いつまでもご活躍を!!

二日目。
 15時30分から行われた企画「浅倉さんが愛したSFー浅倉久志氏追悼」の部屋へ出た。
 この部屋も盛況だった。浅倉さんの膨大な翻訳リストの中から、浅倉さんが愛したSFを選び出して、コメントするということじたいに、少し無理があるかもと思ってしまった。おもに、高橋良平さんが発言をしていたように思う。高橋さんはその話の中で、「ルーナティック」のことにも言及されていた。パネリストからは「アンドロメダ病原体」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」「タイタンの妖女」などのタイトルがあげられていた。浅倉さんはSFだけでなく、ユーモアものもよく訳されていて、特に「ユーモアスケッチ傑作展」は後のユーモア小説のバイブルになっているといった話も出た。
 そういえば、浅倉さんは、ルーナティックの初期の号に「シック・ジョークへの招待」という一文を沢ゆり名義で寄せている。浅倉久志というSF翻訳界の巨人の業績を簡単に要約などできないということからか、部屋は案外と静かな雰囲気に包まれていたように思う。
 「巨人」の業績は、簡単にまとめたり、要約したりなどできはしないのだ。

ディーラーズルーム

 SF大会のある意味、メインとも言えるディーラーズルームはいつ行っても、混んでいた。各ブースがそれぞれのグループのファンジン等で、自らを主張している。新村さんにまず、ごあいさつ。実は新村さんと親しく話したのは、今回が初めてではないだろうか。岩上治先生にごあいさつ。私より先輩なのに若々しく見えた。中嶋康年さんにごあいさつ。8日に、初めて渡辺ユリアさんに会った。東海SFの会からはこれらの方々が出席されていたようだ。テーブル上には様々な出版物が並んでいる。昔と比べて違うのはファンジンがどれも立派になっていることだ。ガリ版で手書きだったころからは隔世の感がある。
 隣が、中国SF研究会、また科学魔界だった。二日間、ずっと店番をしてくださった方、お疲れ様でした。私は、小松左京研究会のところで、小松左京マガジンを2冊、その隣にあった宇宙気流の43年(!!)ぶりの新号を買った。

⑤ トコン???

 トーコンに決まっているだろうが!!オープニングで司会者が盛んにトコンと言うので、だいぶ違和感を覚えていたら、だれかが、何かしばらく前から、そんな言い方に決まってしまったんだそうだと説明してくれた。
 東京で開かれるコンベンションだから、トーコンに決まっているはずなのに、柴野さんがトコンではなく、トーコンにしてくださいと言われたそうなのに・・・。

 最後に、私にとっての日本SF大会参加はこれで6回目かな?毎年参加しているような人に比べれば、実に細々としているけれども、参加してみると「SF大会」が刺激剤になったことは確かなようだ。
                    (2010・8・12)

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