SFessay(168回)
川瀬広保
TOKON10に行ってきた!
3年ぶりのSF大会である。
横浜のワールドコン(Nippon2007)から、早くも3年たった。今回、東京都江戸川区の船堀センターホールまで出かけて、感じたことをいくつか列挙して、レポートに変えよう。
①
一日目。
リハーサル室で行われた企画「追悼 柴野拓美」へ出た。司会は門倉純一さん、出演者は加納一朗、眉村卓、豊田有恒、難波弘之、山本弘の諸氏。
最後列の端っこに着席していたら、柴野さんの奥さんが娘さんたちを連れて現れて、こちらからあいさつされる前に、私にあいさつされた。あわてて、お悔やみを申し上げたら、「星雲賞、残念でしたね」と言われて、認識してくれていたんだと知って、何か恐縮した。パネリストの人たちの話を聞いていると、柴野さんの人となりがまた明らかになったような気がした。柴野拓美という人物がいなかったら、日本のSFも、このようなSF大会も存在しえなかったということは確かだ。日本SFの育ての親であり、「教師」だったことも確かなことであると確信してこの企画の部屋を出た。
②
二日目。
会議室で行われた企画、TOKON歴史探訪(1)と(2)へずっと続けて出た。ここで、42年(!!)ぶりに大宮信光さんに再会した。この部屋へ行けば、大宮さんに会えるだろうとわかっていたので、お顔を見たら、ごあいさつしようと思っていたが、氏の方から会場に参加したひとりひとりに声をかけられ始めた。まず私が一番先に「どちら様でしたか」と聞かれたので、名札を見せながら、「42年前に大宮さんに孤独ファン救済係を仰せつかった川瀬です。また、そのころ、瀬川昌男さんのお宅へ連れて行ってもらったことがあります」と話した。私より10歳先輩である。この部屋で私は確かにTOKON4に参加したのだということを再確認できた。1968年(昭和43年)のことである。
大宮さんはTOKON4の事務局長をやっていた。実行委員長は野田宏一郎さんだった。
私にとっては初めてのSF大会参加だった。詳細は覚えていないのだが、孤独ファン救済係というのを仰せつかった。確か、胸にリボンか何かつけていたと思う。会への所属感があった。
そのころ、大宮さんに連れられて瀬川昌男さんの家に連れて行ってもらったことがある。私が「瀬川昌男の『白鳥座61番星』が好きです」とかなんとか言ったからだろう。当時は、SFファンが集まると、あいさつがわりに言う言葉は次のようなものだった。
「どんな作家が好きですか」
「何を読んでいますか」
大宮さんは、「瀬川さんの家はこの近くだから連れて行ってあげるよ」と言われた。詳細な記憶はもうない。とにかく、それ以上の経緯は覚えていないが、瀬川さんのお宅へ連れていかれて、そのとき、出たばかりの宇宙塵の新号にサインしてもらったことだけは覚えている。瀬川さんは謙遜されて、「私なんかより小松(左京)さんにサインをもらったら」と言われたが、それでも快くサインをしてくださって、うれしかった。今でも、探せばその号があるはずだ。
その企画が終了したとき、大宮さんにもう一度話しかけた。氏は東海SFの会の杉山祐次郎さんの名前を覚えていらっしゃった。瀬川昌男さんの家に連れて行ってもらったきっかけは、私が「瀬川昌男が好きです」と言ったからだと言ったら、「『火星に咲く花』?あれはいいよね」と言われる。「いえ、『白鳥座61番星』です」と答えたのだが、そのあたりに、世代の差があらわれている。『火星に咲く花』は読んでいないのだ。タイトルは知っているが、実物は見ていないし、読んでもいない。
とにかく、43年ぶりの再会となった。いつまでもご活躍を!!
③
二日目。
15時30分から行われた企画「浅倉さんが愛したSFー浅倉久志氏追悼」の部屋へ出た。
この部屋も盛況だった。浅倉さんの膨大な翻訳リストの中から、浅倉さんが愛したSFを選び出して、コメントするということじたいに、少し無理があるかもと思ってしまった。おもに、高橋良平さんが発言をしていたように思う。高橋さんはその話の中で、「ルーナティック」のことにも言及されていた。パネリストからは「アンドロメダ病原体」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」「タイタンの妖女」などのタイトルがあげられていた。浅倉さんはSFだけでなく、ユーモアものもよく訳されていて、特に「ユーモアスケッチ傑作展」は後のユーモア小説のバイブルになっているといった話も出た。
そういえば、浅倉さんは、ルーナティックの初期の号に「シック・ジョークへの招待」という一文を沢ゆり名義で寄せている。浅倉久志というSF翻訳界の巨人の業績を簡単に要約などできないということからか、部屋は案外と静かな雰囲気に包まれていたように思う。
「巨人」の業績は、簡単にまとめたり、要約したりなどできはしないのだ。
④
ディーラーズルーム
SF大会のある意味、メインとも言えるディーラーズルームはいつ行っても、混んでいた。各ブースがそれぞれのグループのファンジン等で、自らを主張している。新村さんにまず、ごあいさつ。実は新村さんと親しく話したのは、今回が初めてではないだろうか。岩上治先生にごあいさつ。私より先輩なのに若々しく見えた。中嶋康年さんにごあいさつ。8日に、初めて渡辺ユリアさんに会った。東海SFの会からはこれらの方々が出席されていたようだ。テーブル上には様々な出版物が並んでいる。昔と比べて違うのはファンジンがどれも立派になっていることだ。ガリ版で手書きだったころからは隔世の感がある。
隣が、中国SF研究会、また科学魔界だった。二日間、ずっと店番をしてくださった方、お疲れ様でした。私は、小松左京研究会のところで、小松左京マガジンを2冊、その隣にあった宇宙気流の43年(!!)ぶりの新号を買った。
⑤ トコン???
トーコンに決まっているだろうが!!オープニングで司会者が盛んにトコンと言うので、だいぶ違和感を覚えていたら、だれかが、何かしばらく前から、そんな言い方に決まってしまったんだそうだと説明してくれた。
東京で開かれるコンベンションだから、トーコンに決まっているはずなのに、柴野さんがトコンではなく、トーコンにしてくださいと言われたそうなのに・・・。
最後に、私にとっての日本SF大会参加はこれで6回目かな?毎年参加しているような人に比べれば、実に細々としているけれども、参加してみると「SF大会」が刺激剤になったことは確かなようだ。
(2010・8・12)
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