No.360 (Web版10号)2
〈東京からの東北地方太平洋沖大地震報告〉
中村達彦
3月11日、墨田区の蔵前で、午後3時近く、アルバイト先の会社室内が揺れ始めた。ビルの4Fにあるオフィスである。「あっ、地震だ」「またかよ」皆、軽い笑いを浮かべていた。
揺れはだんだん強くなり、それぞれの顔から笑みが消えていく。「えっ、ちょっとちょっと」「何か大きいんじゃないの」床がぐらつき、窓ガラスも音を立てて震えていた。「おい!」「早く、いいから机に入れ!」誰もが机の下に入り、更に揺れは大きくなり、大きな音がしばし続いた。
しばらくして収まり、各々机から出てきた。部屋を隔てた囲いは傾いている。別の階では壁にひびが入ったという声、「エレベーターは絶対に使わないでください」アナウンスも聞こえてきた。
パソコンを見た社員が「東北が震源地で、なんか半端じゃないみたい」と深刻な様子で報告する。
夕方、仕事を切り上げて退社したが、電車も地下鉄も全く動かなかった。蔵前から歩かざるを得ない。いつの間にか同じように帰宅する人たちの大行列に混じっていた。
上野付近、秋葉原、神田神保町と大通りを歩き続ける。所々で、ビルのコンクリート欠片が落ちたり、被害に出くわす。また秋葉原の万世橋では、普段穏やかに流れている川が、轟音を立て、勢いよく波立っていた。その凄さを写メで撮影する人も。
九段下まで来たところで、皇居そばの千代田市役所で、休ませてくれることを知る。地下鉄はまだ動かないので、ご好意に甘えることにした。
役所の皆さんが総出で、帰宅できない人たちを迎えてくれ、非常食のビスケットと水を出してくださり、更に毛布も貸して頂いた。
幸いホールにビニールシートが敷かれ、暖房も効いていたので助かった。
複数の大画面テレビが引き出され、大地震の状況を映し出した。福島や宮城の惨状が刻々と伝わってくる。想像以上にとんでもないことに、16年前の阪神淡路大震災より大変と思い知らされた。
結局、鉄道は復旧しないまま、一夜が明けた。
急なことにも関わらず、全力で大勢の都民を受け入れ、夜通し頑張ってくれた公務員の皆さんには、本当に頭が下がる。有難うございました。
土曜日、一度会社に行って夕方まで仕事をしてから、三鷹の家に帰宅した。田舎や東京の友人、出版社と電話やメールで連絡を取り合う。
ある友人は、ワインのビンが割れるなどして大変だったし、取引している出版社には本棚が崩れた所もあった。当然、会社に泊まった人が何人かいた。
翌週、急に停電が発表され、月曜日自宅近くの駅に行くと、ダイヤが乱れて黒山の人だかり。コンビニやスーパーから食糧を中心に生活必需品が消え、度々停電のニュースが駆け巡る。
混乱は1週間あまり続く。オンラインやネットはこういう時不便で、よく利用する図書館が何日も休館に、銀行のATM出張所もしばらく停止するなどと支障を来たした。仕方がない。
本当に大変なのは東北の人々である。毎日伝えられる惨状は、気の毒としか言いようが無い。自分が生かされているということを、身につまされた。
先日、「SFファン交流を考える会」に久しぶりに顔を出したが、今回参加者は20人位いたが、代表の牧紀子さんの御好意で参加費は全額、赤十字に寄付するとのこと。拍手がおこった。
またGWのSFセミナーや他の同人誌イベントもやるそうだ。自粛するのも正しいが、予定通りやることもまた正しい。募金活動や、被災者にエールを送れれば良いのではないか。
仙台は8年くらい生活したことがある。今でも連絡の取れない友人もいる……。
自分に何が出来るだろう?考えてみたい。
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