« 2011年6月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年7月

No.362 (Web版12号)3

ラッチャング制作日誌                  新村佳三

「震災後の世界」

 震災後の世界は大変ですね。個人的には、東北の半導体工場がアレしちゃったのが、困ったさんです。
 自動車だけではなく、いろんな所に半導体は使われているので、たとえば、モーターのアンプとか。納期は「わかりません」とかいわれても困るのです。
 腹立たしいのは世の哲学者とか社会学者とかいう、まったく役に立たないわからんちんですね。梅原某とかいうボケ老人は前からボケてたからいいとして、他も役立たず。
 でもこれは、致し方ないこと。状況が彼らの能力を上回ったのだからでして。様々な数値やデータを考慮に入れなくてはならない状況で、未来志向で的確な分析と提言を行うなんて、荷が重すぎます。他の多数の専門家から助言を受けたとしても、それを有機的に統合してプランを考えるとか、無理。以前のように、哲学的な漠然とした提言や、社会学者の具体性、即効性を欠く意見は現状では果てしなき無駄の世界。正確な数値モデルしかいらない現実がここ数年は続く模様。
 フォーマットを変えるしかない。クラウド化だろう。グーグルなんとかしなさい。被災を受けた自治体もクラウド化しか復興の手だては無いだろうし、この際、なんもかんもクラウド化でよろし。
 哲学、社会学を志す人材向けにサイトをつくり、いくつかのテーマを列挙して叩き台の意見を本人が述べた後、複数の専門家の意見を募集してデータ付きで載せ、自分の意見は置いといて、その意見に沿って修正し、提示。外部意見募集と、他の問題とのすり合せを行い、問題が無ければ再提示。ここで、この問題解決の「モデル」披露。を、半自動で2時間以内に行う。
 外部意見を検索機能に代行させれば難なく可能な気が。でもそうなると、検索エンジンの性能にオンブにだっこな気も。エンジン精度、偏向も気になる。一般の検索能力なら「特定非営利活動法人日本インターネット検索能力検定協会」や「インターネット検定ドットコムマスター」なんてのがあるが、これは特殊な検索だ。
 そういうわけで、全ての哲学者や社会学者は一日12時間はネット漬け決定。がんばれば、2~3年くらいで成果が出るだろう。大変だろうが。がんばろう日本。

                               

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

No.362 (Web版12号)2

SF essay (175回)

川瀬広保

 映画「アジャストメント」

 新作SF映画「アジャストメント」を早速、見てきた。
 最近、映画館で映画を見ていない。SF映画の新作があまりないからだ。結論を先に言うと、5点満点の4点ぐらいかな。
 フィリップ・K・ディック原作の「アジャストメント・テイーム」の映画化だ。
原作は、「アジャストメント・テイーム」だが、映画は「アジャストメント・ビュロー」となっている。「調整局」というわけだ。
 われわれは、運命と言うのは変えられないと思っている。しかし、揺れるバスの中で、コーフィーをこぼしたり、交通事故にあったり、男子用トイレに女性が隠れていたのがきっかけで、男女が仲好くなったりというような「偶然」はみな、調整局が作っていたというわけだ。
 その「運命」に逆らって、主人公の男は愛する女と会おうと努力する。結局、「運命」は努力によって、変えられたというわけだ。そういう意味では、ハッピー・エンディングのSF的ラブ・ストーリーだった。もう少し、奇想や未来風景やSF的アイデイアの面白い説明があれば、SFファンとしては、この映画を5点にしてもいいのだが。唯一、SF的だったのは、「調整局」の人間が持っている謎の図面だ。
 デイック・ワールドであることは間違いない。この前見たリチャード・マシスン原作の「運命のボタン」に似ているのかなとも思った。「運命のボタン」では、「従業員」となっているのが、こちらでは「議長」となっていたりして、とにかく人類を遥かに超えたなにものかが人類を「善導」するために、将来、大統領になる男を、愛する女から引き離そうとする。エンデイングでは、男は大統領になり、女も大統領夫人になり、かつ素晴らしいダンサーにもなれるのかどうかには、触れられていない。「運命のボタン」のように悲劇的ではない。
 われわれは、何かうまくいかないことがあると、「これも運命だね」といって、諦めたり、受け入れざるをえなかったりというように考える。この世に偶然のようなことは、いっさいなく、たぶん全能の「議長」やその「上司」が、全ての人類の行動や人生を支配しているとしたらどうだろうというアイデイアは、SF作家やファンなら、いや普通の人でも考えることはあるであろう。
 昔、宇宙のどこかにアカシック・レコードというのがあって、未来の記憶も、ひとりひとりの運命も何もかも、記録されているのだというアイデイアがあった。「ドラえもん」にも「宇宙大百科」があったりする。運命は、すでに決まっているものではなく自らの努力で作っていくことができると考えたほうが、大方の人には受けるストーリーになるだろう。出口のない「運命のボタン」より、こちらの映画の方が、安心できるエンデイングだった。
 原作と映画は別物とわかってはいても、多少の不満が残る。それは、先ほど述べたように、SFファンをうならせるようなSF的画像や、なるほどというSF的説明が、もうひとつほしいという気持ちからである。しかし、SF映画の新作はなかなか出ないから、見に行ってよかったと思っている。

 次は手塚治虫原作の「ブッダ」を見に行こう。
                        (2011・6・4)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

No.362 (Web版12号)1

   冨田 勲氏を迎えて
サラウンドで楽しむトミタ・サウンド・レポート

                by 渡辺ユリア

 2011年4月3日に岡崎市のりぶらホールで音楽家・尚美学園大学大学院教授の冨田 勲氏を迎えてのコンサートがありました。ステージには司会の方と冨田氏がみえて、いろいろな曲を創作した時のエピソードなどを話して下さいました。ステージの下手には、冨田氏の教え子の方が一人みえて、装置があって、冨田氏の曲を再生してくれる、という感じでした。
 では、曲のほうにいきます。“新日本紀行” “徳川家康” “仏法僧に捧げるシンフォニー  ” はステレオ再生でした。でも次の「展覧会の絵」より“ひよこのバレー” からサラウンド制作になりました。この曲は御存知ですか?ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」の中の一曲 “殻を付けたひよこの踊り” を冨田氏がシンセサイザーで編曲したものです。生まれたばかりで卵の殻を付けたままのひよこが歩くと猫が追いかけてくる、といった場面が私の心の中に浮かびました。そしてホールの中を音楽がぐるりと回っているような体験でした。音が壁に反射して響きが複雑になる、というみたいです。
 次に「惑星 アルティメット エディション」より “小惑星イトカワ” と “木星” イトカワのほうは、“はやぶさ” と “イトカワ” というような雰囲気の曲でした。ラストのほうで宇宙の彼方に行ってしまうような感じの曲。そして “木星” のほうはシンセサイザーの音の響きが良いです。宇宙に進出して行こう、という人類に向けたメッセージのように感じました。
 そして「源氏物語幻想交響絵巻・完全版」より “桜の季節” 〜 “生霊” を聞きました。源氏物語を題材にとった、日本の古典らしい曲ですが、生霊の雰囲気が怖かったです。文楽の映像がスクリーンに映って、より怖かったです。
 この「源氏物語〜」と「惑星〜」のCD アルバムが6月1日に日本コロムビアから発売予定だそうです。
 では、この辺で
                  2011年5月24日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年6月 | トップページ | 2011年9月 »