No.362 (Web版12号)2
SF essay (175回)
川瀬広保
映画「アジャストメント」
新作SF映画「アジャストメント」を早速、見てきた。
最近、映画館で映画を見ていない。SF映画の新作があまりないからだ。結論を先に言うと、5点満点の4点ぐらいかな。
フィリップ・K・ディック原作の「アジャストメント・テイーム」の映画化だ。
原作は、「アジャストメント・テイーム」だが、映画は「アジャストメント・ビュロー」となっている。「調整局」というわけだ。
われわれは、運命と言うのは変えられないと思っている。しかし、揺れるバスの中で、コーフィーをこぼしたり、交通事故にあったり、男子用トイレに女性が隠れていたのがきっかけで、男女が仲好くなったりというような「偶然」はみな、調整局が作っていたというわけだ。
その「運命」に逆らって、主人公の男は愛する女と会おうと努力する。結局、「運命」は努力によって、変えられたというわけだ。そういう意味では、ハッピー・エンディングのSF的ラブ・ストーリーだった。もう少し、奇想や未来風景やSF的アイデイアの面白い説明があれば、SFファンとしては、この映画を5点にしてもいいのだが。唯一、SF的だったのは、「調整局」の人間が持っている謎の図面だ。
デイック・ワールドであることは間違いない。この前見たリチャード・マシスン原作の「運命のボタン」に似ているのかなとも思った。「運命のボタン」では、「従業員」となっているのが、こちらでは「議長」となっていたりして、とにかく人類を遥かに超えたなにものかが人類を「善導」するために、将来、大統領になる男を、愛する女から引き離そうとする。エンデイングでは、男は大統領になり、女も大統領夫人になり、かつ素晴らしいダンサーにもなれるのかどうかには、触れられていない。「運命のボタン」のように悲劇的ではない。
われわれは、何かうまくいかないことがあると、「これも運命だね」といって、諦めたり、受け入れざるをえなかったりというように考える。この世に偶然のようなことは、いっさいなく、たぶん全能の「議長」やその「上司」が、全ての人類の行動や人生を支配しているとしたらどうだろうというアイデイアは、SF作家やファンなら、いや普通の人でも考えることはあるであろう。
昔、宇宙のどこかにアカシック・レコードというのがあって、未来の記憶も、ひとりひとりの運命も何もかも、記録されているのだというアイデイアがあった。「ドラえもん」にも「宇宙大百科」があったりする。運命は、すでに決まっているものではなく自らの努力で作っていくことができると考えたほうが、大方の人には受けるストーリーになるだろう。出口のない「運命のボタン」より、こちらの映画の方が、安心できるエンデイングだった。
原作と映画は別物とわかってはいても、多少の不満が残る。それは、先ほど述べたように、SFファンをうならせるようなSF的画像や、なるほどというSF的説明が、もうひとつほしいという気持ちからである。しかし、SF映画の新作はなかなか出ないから、見に行ってよかったと思っている。
次は手塚治虫原作の「ブッダ」を見に行こう。
(2011・6・4)
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