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2011年9月

No.363 (Web版13号)3

 SF essay (177回)

 川瀬 広保

 追悼 瀬川昌男氏

 また、日本SF界の重鎮のひとりが亡くなった。
 瀬川昌男氏である。今朝(18日)何気なく、ケータイでニュースをチェックしていたら、SF作家、瀬川昌男氏死去と出ていた。朝日以外のほとんどに載っていたようだ。急性肺炎で10日、死去とある。「『白鳥座61番星』など子供向けSF小説や科学解説書を手掛けた」とあった。
 私は、昔、43年ほど前、瀬川昌男氏宅を訪れたことがある。出来上がったばかりの「宇宙塵」を携えて、大宮信光さんに連れられて、そのころたぶん30代後半だったと思う氏のもとを訪ねた。
 大宮さんが、私が「瀬川昌男の『白鳥座61番星』が好きです」と言ったため、「この近くだから連れて行ってあげるよ」と言われたのでついていったのだ。
 私は、瀬川さんに、「宇宙塵」の裏表紙にサインしてください、と言ったら、「私なんかより、小松さんにサインもらったら」と謙遜されつつも、快くサインしてくださった。あの時、『白鳥座61番星』を持って行って、サインをもらえばもっとよかっただろうが、そこまでの準備のない面会であった。
 このことは、もう何回か書いたことがあるのだが、私の貴重な思い出のひとつになっている。私のSFファンへの原点は、この瀬川昌男氏の『白鳥座61番星』だからである。もちろん、SFファンになったきっかけはいくつかある。小学校の時に出会った手塚治虫の「鉄腕アトム」だったり、高校生のころに出会ったSFマガジンだったり、柴野拓美氏率いる「宇宙塵」だったり、星新一の「夢魔の標的」だったり、SFマガジン編集長だった福島正美氏だったりといろいろあるのだが、『白鳥座61番星』に出会ったのは、私が12歳だったから、「鉄腕アトム」を別格にすれば、やはり原点と言っていいと思う。
 この小説はまだ、SFではなかった。少年少女小説だった。私がこの小説に夢中になったのは、一千年後の未来を舞台にした夢とロマンあふれるジュヴィナイルだったからだけではなく、当時学校のクラブで学びだしたエスペラント語が頻出するので、共感を持ったことも一因していた。
 中学校一年生だった私の学校には、エスペラントクラブというのがあって(当時は、クラブ活動が週に一回あった)、最初いろいろ考えたあげく、このクラブを選んで、入会した。エスペラント語というのは、文法がわずか16個しかなくて、名詞だったら、Oで終わるというわかりやすいものだった。また、ザメンホフ発案のこの人工語は、世界の人々がエスペラント語をしゃべって、お互いに理解し合え、世界平和を実現するという思想が根底にあったので、そういう面にも共感していたのである。
 もちろん、この小説が書かれた51年前には、コンピューターなどという語はなく、それは、電子計算機という語になっていたり、無料のスーパーマーケットのようなものが食料供給所などとなっていた。
 今となっては言葉にそんな古さを感じるのだが、SF的アイディアあふれるこの一冊が、私にとってSFへの入り口になったことは間違いない。
 あれいらい、約50年、私はSFファンを続けている。

 瀬川昌男氏のご冥福を心からお祈りします。

                (2011・7・18)

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No.363 (Web版13号)2

SF essay (176回)

川瀬広保

映画『手塚治虫の「ブッダ」ー赤い砂漠よ!美しくー』

 前回、デイック原作の「アジャストメント」を見に行ったが、今回は手塚治虫原作の「ブッダ」を見に行ってきた。
 重い腰を上げて、行ったのだ。最近、腰痛の他に、60肩で左腕が痛くて、映画館にまで足を運ぶのにも文字通り、決意がいるのだ。
 「手塚治虫の〜」という前置きの語がある以上、これは行かなければと思っていた。
 結論から先に言うと、5点満点でやっと3点という感じだった。2時間の初めの20分ぐらいは、次第に面白くなってくるだろうと思いながら見ていたが、やがて40分が過ぎ、1時間が過ぎて、これは原作を一応なぞってはいるが、やはり、もうあの手塚治虫の天才的な筆致の「絵」が見られるわけでもなく、アニメになって漫画とは違う何か別物の作品がそこにはあったという印象で終わってしまった。
 関係者の方が、もし、いらっしゃったらごめんなさい。
 そういうわけで、3点が限度。
 私は、原作の「ブッダ」を昔、潮出版社の新書サイズで読んで、その後、文庫化されたときに、また読んで、手塚治虫の天才を心に刻み込んだのだが、以来、この作品は間違いなく、手塚治虫の多くの作品の中の名作・傑作のひとつになった。
 それから、およそ30年以上が経過して、今回この映画化が見られると知って、すぐ見てきた。帰宅して、家の書庫を探してみたが、あるはずの文庫全13巻が見つからない。
 仕方ないので、もう一度買いなおした。埋もれていく本が多い中で、この「ブッダ」はしっかり書店に並んでいた。
 傑作は読まれ続けるのだ。
 講談社でも手塚治虫全集のところに、ちゃんと「ブッダ」はあるし、潮出版社の中にも、新書版と文庫版のどちらも所狭しと並べてあった。
 映画化という「事件」で作品が再評価されたり、未読の人が読んだりするのであろう。
 そこで、私はもう一度、いや三読し始めた。
 そこには、以前読んだのと同じ、流麗な筆致の流れるような動きのある、まるで映画を見ているような生き生きとした動物たちの動きや表情があった。
 以前にどこかで書いたが、私は手塚治虫に一度、「会った」ことがある。会ったと言っても、サインをもらおうとして、あと一人というところでもらえなかったというエピソードに過ぎないのだが・・・。そこには手塚ファンが多くひしめいていた。TOKON4の時だったかと思う。サイン帳を用意して、列に並んでいたのだが、あと一人というところで、係(出版社)の人に、
「先生はお疲れですから、ここでお終いにしてください」と私の前で止められてしまった。しかし、私にはファンを大事にしようとか、手塚治虫の「人間味」というようなものは伝わってきた。
 その人間味が、この「ブッダ」にも色濃くあらわれている。
 また、手塚治虫の描写の素晴らしさは、例をあげると、潮出版社の第1巻、第1章「バラモン」の初めの部分で、豪雪の中で倒れかけている僧にあげようと、熊やキツネが食べ物をとっている中、ウサギだけは、何もとれなくて、熊たちに責められている。そこで、ウサギは、僧に「火をおこしてください」と頼み、自ら火に飛び込み、自らの肉体をささげるという場面は、いっさいセリフなしで表現されている。
 また、同じ巻の最後のところで、大蛇に卵をもらうかわりに、人間をひとり犠牲に差し出し、蛇に飲まれるところも、リアルなすさまじい表現力だ。
 第5巻、第3章「老婆と浮浪児」では、ワシに追われる山猫の子供を助けようと、母猫がすさまじい勢いでワシに挑んでいく背後に、一匹の大蛇がせまり、子猫をまとめて絞め殺してしまう。ワシとの闘争で瀕死の重傷を負った母猫はついに倒れてしまうが、今度は子猫を飲み込んで、動きの遅くなった大蛇は殺人蟻に襲われ、骨だけになる。そこを、すさまじい雷雨が降りかかり、蛇は砂漠の中に、消えて行く。こうした、自然界の掟というか、非情さ、無情さを手塚治虫は、実に鮮やかに描き出す。
 こうした場面は、天才・手塚治虫でしか、描けないような、まるで映画を見ているような、迫力ある場面の連続だった。

 だが、こういうものを期待していた手塚ファン、映画ファンとしては、ちょっと裏切られたような印象を抱いた。

 というわけで、このアニメ版「ブッダ」は、私には、やはり3点だった。

                    (2011・6・10)

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No.363 (Web版13号)1

 HALーCON2011こぼれ話と今年のSF大会についての話など

by  渡辺 ユリア


 皆様、今日は。HALーCON2011で “ロバート・ソウヤー氏と観るフラッシュフォワード第19話 ” の分科会でソウヤー氏が語った事をお話しします。
 まず、TV版では主人公はFBIの捜査官のマークでしたが、原作ではロイド・シムコーである事。実は全22話が終わっても、謎が明かされないで終わったため、続編を氏もファンの多くの人も希望していたが、予算の関係などのため、残念ながら断念した事。すっごくお金のかかるTV番組だったらしい。特に第1話。それでも、出来れば続編を私は希望してます。
 そして第19話の初めのところでイギリスのMI6の捜査官の女性フィオナが再登場しますが、それはプロデューサーがこの女優さんを気に入っていて、ソウヤー氏に脚本の中で再登場させてくれ、と言ったそうです。申し遅れましたが、その19話のみ氏が書いたものです。
 一番人気があったのはマークの相棒の韓国人のディミトリで、人気が無かったのがマークだったそうです。そして第19話で、10月6日のブラックアウトの直前に研究所の場面があったのですが、その大きな装置の造形は今イチだったとソウヤー氏はおっしゃっていました。けれど、その後のいろいろな波のようなものが押し寄せてくる場面のCGはとっても良かったらしいです。
 そして脚本書きは小説と違っていろいろ大変だったが、良い体験だった、と氏は分科会のラストで話して下さいました。身振り手振りを交えて話されている姿は楽しかったです。
 話は変わって4月3日に岡崎のりぶらホールで作曲家の冨田 勲氏がコンサートを開いた時のこぼれ話。“ 小惑星イトカワとハヤブサ” の曲が流れる前のMCの時に氏が語った事。イトカワという名前は日本の “ ロケットの父 ” と呼ばれている糸川英夫氏にちなんで付けられたのです。その糸川氏は仕事を定年退職された後、ある事を始められました。それが、何とモダンバレエだったそうです。貝塚バレエ団に入団して、最初は基礎の足の型やポーズから。だんだん足あげが高くなったそうです。そして発表会にも役を得てステージに上がったそうです。びっくりです。
 では、今年のSF大会の分科会で興味を持ったものを書いてみました。
☆ SF天文学同好会第3回例会 ☆ SF古代生物の部屋
☆ 中高年Sfターミナル〜どうして僕らはSF大会をやったのか〜
☆ はやぶさを作った人たち ☆ SFファンのための実験映画2

                 2011.6.26 yullia

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