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No.363 (Web版13号)3

 SF essay (177回)

 川瀬 広保

 追悼 瀬川昌男氏

 また、日本SF界の重鎮のひとりが亡くなった。
 瀬川昌男氏である。今朝(18日)何気なく、ケータイでニュースをチェックしていたら、SF作家、瀬川昌男氏死去と出ていた。朝日以外のほとんどに載っていたようだ。急性肺炎で10日、死去とある。「『白鳥座61番星』など子供向けSF小説や科学解説書を手掛けた」とあった。
 私は、昔、43年ほど前、瀬川昌男氏宅を訪れたことがある。出来上がったばかりの「宇宙塵」を携えて、大宮信光さんに連れられて、そのころたぶん30代後半だったと思う氏のもとを訪ねた。
 大宮さんが、私が「瀬川昌男の『白鳥座61番星』が好きです」と言ったため、「この近くだから連れて行ってあげるよ」と言われたのでついていったのだ。
 私は、瀬川さんに、「宇宙塵」の裏表紙にサインしてください、と言ったら、「私なんかより、小松さんにサインもらったら」と謙遜されつつも、快くサインしてくださった。あの時、『白鳥座61番星』を持って行って、サインをもらえばもっとよかっただろうが、そこまでの準備のない面会であった。
 このことは、もう何回か書いたことがあるのだが、私の貴重な思い出のひとつになっている。私のSFファンへの原点は、この瀬川昌男氏の『白鳥座61番星』だからである。もちろん、SFファンになったきっかけはいくつかある。小学校の時に出会った手塚治虫の「鉄腕アトム」だったり、高校生のころに出会ったSFマガジンだったり、柴野拓美氏率いる「宇宙塵」だったり、星新一の「夢魔の標的」だったり、SFマガジン編集長だった福島正美氏だったりといろいろあるのだが、『白鳥座61番星』に出会ったのは、私が12歳だったから、「鉄腕アトム」を別格にすれば、やはり原点と言っていいと思う。
 この小説はまだ、SFではなかった。少年少女小説だった。私がこの小説に夢中になったのは、一千年後の未来を舞台にした夢とロマンあふれるジュヴィナイルだったからだけではなく、当時学校のクラブで学びだしたエスペラント語が頻出するので、共感を持ったことも一因していた。
 中学校一年生だった私の学校には、エスペラントクラブというのがあって(当時は、クラブ活動が週に一回あった)、最初いろいろ考えたあげく、このクラブを選んで、入会した。エスペラント語というのは、文法がわずか16個しかなくて、名詞だったら、Oで終わるというわかりやすいものだった。また、ザメンホフ発案のこの人工語は、世界の人々がエスペラント語をしゃべって、お互いに理解し合え、世界平和を実現するという思想が根底にあったので、そういう面にも共感していたのである。
 もちろん、この小説が書かれた51年前には、コンピューターなどという語はなく、それは、電子計算機という語になっていたり、無料のスーパーマーケットのようなものが食料供給所などとなっていた。
 今となっては言葉にそんな古さを感じるのだが、SF的アイディアあふれるこの一冊が、私にとってSFへの入り口になったことは間違いない。
 あれいらい、約50年、私はSFファンを続けている。

 瀬川昌男氏のご冥福を心からお祈りします。

                (2011・7・18)

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