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2011年10月

No.365 (Web版15号)2

 去り行く大御所を偲ぶ

 中村達彦


 7月26日、SF界の巨星没す。前号でもニュースがかけめぐった小松左京先生の死去は、星々を照らし続けてきた巨大な恒星が輝きを滅し、消滅する光景を連想させる。
 自分は、威張れるほど小松左京の作品を精読していた訳ではなく、ましてや先生と一面識すらない。それでも読んだり、聞いたりした幾つかの事柄を振りかえり、自分なりの感謝と追悼としたい。

 1980年夏、「復活の日」が映画化された。
 近未来、東西冷戦のスパイ戦争によるアクシデントで漏れた細菌兵器により、南極に住む一握りの人間を残して半年で地球人類が死滅、続いて大地震で核兵器の自動発射装置が誤作動し生き残りの人間も……。と言うストーリーは、深作欣二監督で映画化され、南米でロケーションを行うなど大がかりな製作となった。角川書店の大がかりな宣伝の手伝い話題作となった。
 当時、中学3年生だった私は映画を観た直後、父が原作を買ってくれ、読む機会を与えられた。
 細菌によりヨーロッパからソ連、中国そして日本と不可解な事件が相次ぎ、社会に徐々に影響を及ぼしていくディティールが丁寧に描かれていた。これが小松左京作品との初の遭遇である。
 小松左京は、冷戦最中に「復活の日」を書いたが、核戦争とは別の切り口で戦争による世界滅亡の危機をテーマにした作品を描いた。劇中では、同時に核兵器も皮肉な使われ方をしている。これに日本基地も建設された南極を舞台に持ってくることで、大がかりなドラマの筋書きを整えている。
 また主人公で南極隊員の青年を設定したがその視点と、各地で細菌の被害を目の当たりにした様々な人々の視点を交互に描いたが、主人公の存在が最後に人類再生の象徴として生きてくる構造もうまかった。どうしても人類の存続の危機と言うSFドラマを描くと、主人公の扱いが難しい。
何か大活躍をさせるか、単なる傍観者、歴史の証言者にさせるか、さじ加減が難しいのだ。
 「復活の日」と同じ時期、やはり日本SFを確立させた矢野徹(故人)も「地球0年」という核戦争で崩壊した世界を描いており、同じような人物構成を持ってきている。
 小松左京の代表作は何といっても「日本沈没」だが、個人的には、「復活の日」に受けた影響が大きかった。続いて高校時代にラジオドラマで偶然知った「地には平和を」。一種の歴史改編ものである。本土決戦に突入した日本で戦い続ける少年兵が、タイムパトロール隊員と出会い、この世界が改ざんされたと知らされる話である。
 今回、この原稿を書く少し前に、角川書店から20年以上前に発売された文庫本の短編集「召集令状」を読んだ。上記の「地には平和を」の他にも、戦争を題材にした警鐘とも皮肉とも言える作品を幾つも収録している。老人の妄想から混乱する一家を描いた表題作、突然平和な日本が戦場と化す「春の戦争」や、太平洋戦争が無かったことにされている「戦争はなかった」という作品もある。実際、現在の日本で、多くの若者が太平洋戦争について知らない実情と重なり、恐怖さえ感じる。
 「戦争はなかった」は、20年前「世にも奇妙な物語」で映像化されている。
 私には、小松左京は戦争の恐ろしさについて、SFを使って描いた作家の面が強かった。

 小松左京作品は、マンガの原作で料理されたこともあり、有名な作家とのコラボもある。
 手塚治虫の「ブラックジャック」を読んでいたら、「春一番」という話で、小松左京が実名でゲスト出演したのには驚かされた。これは大林宣彦監督の手で映画化ももされている。
 また映像でも関わり方が大きかった。74年秋にSFドラマで「猿の軍団」が放送された。6年前にルナチィックで紹介したことがある。「猿の惑星」の亜流と言われがちだが、実際は冒険ものとして面白く、諸設定や謎解きのディティールも丁寧に作られている。そのすぐ後、「日本沈没」TV版が1時間番組として、両作とも2クールにわたり放送された。
 他にも自身が関わった万博と同時期に作られた人形劇「空中都市008」や「復活の日」の前後に映画化された「エスパイ」「さよならジュピター」「首都消失」があるが、他にも幻に終わったアニメ企画が2本ある。うち一つは「宇宙船ギャラップ」82年に企画され、アニメ雑誌でもその制作が発表された。小松左京の「宇宙漂流」が原作で、宇宙をさすらう少年少女たちの群像劇であったが(キャラクターはいのまたむつみ)、中止になった。アニメ会社サンライズが先に「銀河漂流バイファム」という似た内容の作品を発表したためと言われている。
 また2000年に、SFセミナーに出席した角川春樹は、「今、準備を進めている企画があって」と「南極を舞台にした話で、小松左京に原作を書いてもらい、富野由悠季に監督でアニメを作る。小説、コミック、ゲームとマルチメディア展開するんだ」と語った。結局、角川社長はすぐ後に4年にわたり、表舞台から姿を消し、企画は幻に終わったが、私を含むSFセミナー参加者は「おおっ!」と期待したものだった。
 もし幻のアニメ企画が実現していたら、当時の話題作になっただろう。何より、小松左京には、本世紀に入ってから、もう一仕事でヤングアダルト向けにSF啓蒙の作品を描いてもらいたかった。

 小松左京は、日本SF界の大御所である。「日本沈没」のような大作を連発し、SFというジャンルを日本の文学に浸透させた功績が大きいが、新しいもの好きで、様々なジャンルに目を向ける幅広さを持っていた。
 大御所だが、尊大でも傲岸不遜でもなく、気さくで太っ腹の人であり、逸話はいろいろある。その中で私が感心したのは、古典SF研究で知られる横田順彌の自伝に載った証言である。
 昭和40年代、SFマガジンで連載を続けていた若い新人である横田に、小松左京は自分から親しく声をかけ、いろいろアドバイスしたのが、最初の出会いだと言う。
 続いてSF大会で横田が企画を準備していた時、多忙な姿を見かねて、小松は作業をそっと手伝ってくれたと言う。その時、準備で疲れていた横田は、考えていた配置と違ったことに、「誰だ!勝手なことをしたのは!」と公の場でめちゃめちゃ怒鳴った。普通なら「折角、助けてやったのに何だ!」と叱られても仕方なかったが、小松は何も言わなかった。後で事情を知った横田は、その度量に感激した。その他にも、新人監督たちをリードし、アドバイスした証言が幾つもある。
 小松左京は亡くなるまで、日本の将来やSFを案じていたようだ。
 しかし「日本沈没第二部」は谷甲州、森下一仁両氏の協力で完成させることができた。2007年には多くのファンにより、ワールドコンを横浜で実現させている。東北の大地震についても援助を惜しまない海外や国民の姿に、「もう大丈夫」と、安心していたのではないか?
 改めて我々も、小松左京の遺した著作の数々を読み返し、今後の参考にすることで、そこ活躍を継承していきたい。創作や生き方のヒント、学ぶべきことは沢山ある。
 先生、いままでお疲れ様でした。

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No.365 (Web版15号)1

ドンブラコンL アフターレポート

                 by 渡辺 ユリア

 今日は。9月3日〜4日のドンブラコンLでは、中嶋さん、新村さん、福田さん、まつしまさんに会えて良かったです。ディーラーズルームの隣のアートショーの部屋ではキャプテン・フューチャーの本の表紙画の原画が展示されていました。古いほうと新しいほうも。鶴田さんのもです。そして珍しい絵も見つけました。ジョー・ホールドマン氏の描かれた絵。こういうタッチの絵を描かれるんだ、と思いました。そして斜め前のスペースで座ってみえる長谷川裕一先生を発見しました。先生と少しだけ話して(マップスネクストシートの事)個人誌を買いました。
 では、分科会の事。9月3日のpm5時から “ブラッドベリ年代記” の分科会に行きました。マンガ家の萩尾望都先生と翻訳家の中村 融先生と作家の三村美衣先生が出演されてました。ー作家の横顔と作品の魅力を語るーという副題にもあるように、ブラッドベリ氏の若い頃の写真や氏に関するものの解説がありました。例えば氏には10才年上の叔母さんがいて、その方から小説を読む事の影響を受けたみたいです。氏にとってはあこがれの存在だったかも知れません。氏の父と兄はスポーツに夢中なタイプだったようです。そして氏と画家のムニャニー氏の絵との出会いも印象的だったみたい。ムニャニー氏の個展でその絵を見たブラッドベリ氏が “もし、絵が売れ残ったらその絵を買います” と氏に言ったそうです。“とても気に入ったから” と。その頃からムニャニー氏は有名な画家だったようです。その後、個展が終わってから、ブラッドベリ氏の元に一枚の絵が届きました。それは氏が一番気に入った絵。ムニャニー氏からの絵。それからムニャニー氏との交友が始まったようです。ブラッドベリ作品の “何かが道をやってくる” や “闇のカーニバル” と雰囲気が似ている絵だと思います。
 そして米国版のブラッドベリ作品の表紙絵の写真も見ました。“火星年代記” もあってその雰囲気が気に入りました。表紙絵のまわりにブラッドベリ氏の描かれた火竜の絵があって何か可愛いタッチです。
 それから萩尾望都先生の描かれたブラッドベリ短編は御存知ですか?それらの作品について苦労された事とか萩尾先生は話されてみえました。
 ブラッドベリ氏は今年91才ですが、少年の心をもっていて、何というのかな、古きアメリカの精神というのか、なつかしい雰囲気を作品に投影している作家だと私は思っています。  では、この辺で。
                       2011.9.23 yullia

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No.364 (Web版14号)1

 SF essay (178回)

 川瀬広保

 小松左京氏 追悼

 7月28日、午後3時過ぎ、何となくインターネットで、読売新聞のニュースをクリックしたら、「小松左京さん、死去」の報が速報で流れていた。私は、そのニュースに接して、文字通り、驚きの声をあげた。
 氏は日本SF界の巨人であるだけでなく、該博な知識人として、日本の代表である。
 私は、43年ほど前に、日本SF大会(TOKON4)で氏のサインをもらったり(プログラムブックに、今見れば錚々たるサインが並んでいる。星新一、小松左京、筒井康隆、平井和正、福島正美の四氏である)、後年、浜松市の科学館へ講演に来られたとき、講演後、「東海SFの会」の人たちといっしょに氏を囲んで話をしたり、名刺をいただいたりしたことがある。その時には、故・白柳孝さんがいた。
 小松左京と言えば、私にとっては星新一と双璧のあこがれの、そして尊敬する日本SF作家だった。海外ではクラーク、アシモフ、ハインラインの三巨匠がいた。だが、小松左京の作品は、彼らに決してひけをとらないものであった。
 初めて、小松左京の名前を知ったころの作品には、「自然の呼ぶ声」「影が重なる時」「お召し」「コップ一杯の戦争」などがあり、そのストーリーテリングの巧みさに魅了された。長編では、日本人のほとんどが知っていると言ってもいい「日本沈没」はもちろんのこと、「果てしなき流れの果に」「復活の日」「継ぐのは誰か」などに、引き込まれていった。
 2007年の横浜でのワールドコン・日本SF大会では、車いすだったとはいえ、元気な姿で、話されていた。また、何年か前の新聞記事では、酒もたばこもやるのに、医者から「先生の身体はどこも悪いところはありません」と太鼓判を押されたよと、いたずらっぽく、インタビューに答えていた。

 ここに空想科学小説誌 S-Fマガジン 特集 SFファンタジイ 1964年3月号 第53号がある。目次には次のような作品が並んでいる。

夜来る  アイザック・アシモフ
自然の呼ぶ声  小松左京
進めや進め!  フィリップ・ホセ・ファーマー
シルチスの決闘  ポール・アンダースン
時間錯誤  ジョン・ウィンダム
私と私でない私  グレプ・アンフィロフ
もや  ピーター・カーター
異聞風来山人  広瀬 正
夢魔の標的 連載第四回  星新一
SFファンシー・フリー 《最終回》 昨日と明日の私  手塚 治虫
未来のプロフィル 〈 5 〉  アーサー・C・クラーク
SF英雄群像⑥ キムボール・キニスン  野田 宏一郎
マガジン走査線③  伊藤 典夫
など

 私は、SFマガジンに53号で初めて会った。このSFマガジン第53号の「自然の呼ぶ声」の作者として、初めて小松左京の名を知ったように記憶している。
 今、こうして改めてみてみると、編集者も含め、作家のほとんどが故人となってしまった。寂しいことだ。
 また、ここに懐かしい早川書房の日本SFシリーズ1 小松左京「復活の日」がある。昭和39年8月31日発行とある。私が16歳の時。もう47年も前だ。
 日本SFシリーズの第一作である。これに続くのは、光瀬龍「たそがれに還る」、星新一「夢魔の標的」であった。
 また、私にとって、もう一冊実に懐かしい本がここにある。ハヤカワSFシリーズ「影が重なる時」だ。
 ハヤカワSFシリーズの初期のころの一冊で、抽象的な表紙と魅力的なタイトルとともに、19作品が目次に並んでいる。「影が重なる時」「痩せがまんの系譜」「御先祖様万歳」「お召し」「自然の呼ぶ声」など、私にはSFへの入門作品のようなものだった。
 その「お召し」はSFマガジン51号に載っているし、「影が重なる時」は48号に載っている。さっき、私のSFマガジンとのめぐりあいは53号と書いた。それ以前の号は、新卒での学校のある先輩の先生からもらったことがあったのだ。52号以前の号は、全部ではないが、私の書斎に現存している。
 星新一は、ショートショートという分野を確立して、いかに短い話の中に、SF的奇想や最後の一行で、どんでん返しを設定するか、読者をわくわくさせるような面白い作品を多数、書いた。小松左京の作品は、それとはまったく反対に、壮大な、時間と空間をどこまでも追いかけ、追い求めて行く物語だった。
 私にとって、順序はつけられないが、星新一と小松左京が、日本SF作家の二大巨匠だった。亡くなった今でもそうである。海外ではクラーク、アシモフ、ハインラインの三人が私にとって、三大巨匠である。

 7月29日朝刊各紙が「小松左京、死去」の記事を載せた。
 中でも、読売新聞はいち早く巽孝之の追悼文を載せた。今のところ、朝日新聞は追悼文を載せていない。他に、毎日、産経、日経、静岡、中日の各紙を全部買って、訃報を見比べた。小松左京がいかに、SFに限らない「巨人」であったかがわかる。

 小松左京と猫について。
 「小松左京マガジン」の最後に、毎回載っている小松家の猫の写真を見るだけで、氏が無類の猫好きだったのだと思う。猫の好きなSF関係者は多い。

 日本SF界は、「小松左京」という偉大な先達を失った。しかし、星新一と同様、小松左京の残した数々の名作・傑作は今後も残り、読まれ続けていくと信じる。星新一も没後、14年間、失うことのない人気を保持している。書店へいけば、必ずならんでいる。小松左京においても、同様であると思っている。

 昨年の柴野拓美さん、浅倉久志さん、そして、つい先だっての瀬川昌男さん、SF界の偉人が次々と亡くなっていく。誠に、寂しいことである。
 小松左京の作品は膨大で、とても簡単にここに書けるものではない。氏については、また何か書きたい。
 氏の早すぎる訃報に、心が痛みます。謹んで、ご冥福をお祈りします。

                     (2011・8・1)

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