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No.364 (Web版14号)1

 SF essay (178回)

 川瀬広保

 小松左京氏 追悼

 7月28日、午後3時過ぎ、何となくインターネットで、読売新聞のニュースをクリックしたら、「小松左京さん、死去」の報が速報で流れていた。私は、そのニュースに接して、文字通り、驚きの声をあげた。
 氏は日本SF界の巨人であるだけでなく、該博な知識人として、日本の代表である。
 私は、43年ほど前に、日本SF大会(TOKON4)で氏のサインをもらったり(プログラムブックに、今見れば錚々たるサインが並んでいる。星新一、小松左京、筒井康隆、平井和正、福島正美の四氏である)、後年、浜松市の科学館へ講演に来られたとき、講演後、「東海SFの会」の人たちといっしょに氏を囲んで話をしたり、名刺をいただいたりしたことがある。その時には、故・白柳孝さんがいた。
 小松左京と言えば、私にとっては星新一と双璧のあこがれの、そして尊敬する日本SF作家だった。海外ではクラーク、アシモフ、ハインラインの三巨匠がいた。だが、小松左京の作品は、彼らに決してひけをとらないものであった。
 初めて、小松左京の名前を知ったころの作品には、「自然の呼ぶ声」「影が重なる時」「お召し」「コップ一杯の戦争」などがあり、そのストーリーテリングの巧みさに魅了された。長編では、日本人のほとんどが知っていると言ってもいい「日本沈没」はもちろんのこと、「果てしなき流れの果に」「復活の日」「継ぐのは誰か」などに、引き込まれていった。
 2007年の横浜でのワールドコン・日本SF大会では、車いすだったとはいえ、元気な姿で、話されていた。また、何年か前の新聞記事では、酒もたばこもやるのに、医者から「先生の身体はどこも悪いところはありません」と太鼓判を押されたよと、いたずらっぽく、インタビューに答えていた。

 ここに空想科学小説誌 S-Fマガジン 特集 SFファンタジイ 1964年3月号 第53号がある。目次には次のような作品が並んでいる。

夜来る  アイザック・アシモフ
自然の呼ぶ声  小松左京
進めや進め!  フィリップ・ホセ・ファーマー
シルチスの決闘  ポール・アンダースン
時間錯誤  ジョン・ウィンダム
私と私でない私  グレプ・アンフィロフ
もや  ピーター・カーター
異聞風来山人  広瀬 正
夢魔の標的 連載第四回  星新一
SFファンシー・フリー 《最終回》 昨日と明日の私  手塚 治虫
未来のプロフィル 〈 5 〉  アーサー・C・クラーク
SF英雄群像⑥ キムボール・キニスン  野田 宏一郎
マガジン走査線③  伊藤 典夫
など

 私は、SFマガジンに53号で初めて会った。このSFマガジン第53号の「自然の呼ぶ声」の作者として、初めて小松左京の名を知ったように記憶している。
 今、こうして改めてみてみると、編集者も含め、作家のほとんどが故人となってしまった。寂しいことだ。
 また、ここに懐かしい早川書房の日本SFシリーズ1 小松左京「復活の日」がある。昭和39年8月31日発行とある。私が16歳の時。もう47年も前だ。
 日本SFシリーズの第一作である。これに続くのは、光瀬龍「たそがれに還る」、星新一「夢魔の標的」であった。
 また、私にとって、もう一冊実に懐かしい本がここにある。ハヤカワSFシリーズ「影が重なる時」だ。
 ハヤカワSFシリーズの初期のころの一冊で、抽象的な表紙と魅力的なタイトルとともに、19作品が目次に並んでいる。「影が重なる時」「痩せがまんの系譜」「御先祖様万歳」「お召し」「自然の呼ぶ声」など、私にはSFへの入門作品のようなものだった。
 その「お召し」はSFマガジン51号に載っているし、「影が重なる時」は48号に載っている。さっき、私のSFマガジンとのめぐりあいは53号と書いた。それ以前の号は、新卒での学校のある先輩の先生からもらったことがあったのだ。52号以前の号は、全部ではないが、私の書斎に現存している。
 星新一は、ショートショートという分野を確立して、いかに短い話の中に、SF的奇想や最後の一行で、どんでん返しを設定するか、読者をわくわくさせるような面白い作品を多数、書いた。小松左京の作品は、それとはまったく反対に、壮大な、時間と空間をどこまでも追いかけ、追い求めて行く物語だった。
 私にとって、順序はつけられないが、星新一と小松左京が、日本SF作家の二大巨匠だった。亡くなった今でもそうである。海外ではクラーク、アシモフ、ハインラインの三人が私にとって、三大巨匠である。

 7月29日朝刊各紙が「小松左京、死去」の記事を載せた。
 中でも、読売新聞はいち早く巽孝之の追悼文を載せた。今のところ、朝日新聞は追悼文を載せていない。他に、毎日、産経、日経、静岡、中日の各紙を全部買って、訃報を見比べた。小松左京がいかに、SFに限らない「巨人」であったかがわかる。

 小松左京と猫について。
 「小松左京マガジン」の最後に、毎回載っている小松家の猫の写真を見るだけで、氏が無類の猫好きだったのだと思う。猫の好きなSF関係者は多い。

 日本SF界は、「小松左京」という偉大な先達を失った。しかし、星新一と同様、小松左京の残した数々の名作・傑作は今後も残り、読まれ続けていくと信じる。星新一も没後、14年間、失うことのない人気を保持している。書店へいけば、必ずならんでいる。小松左京においても、同様であると思っている。

 昨年の柴野拓美さん、浅倉久志さん、そして、つい先だっての瀬川昌男さん、SF界の偉人が次々と亡くなっていく。誠に、寂しいことである。
 小松左京の作品は膨大で、とても簡単にここに書けるものではない。氏については、また何か書きたい。
 氏の早すぎる訃報に、心が痛みます。謹んで、ご冥福をお祈りします。

                     (2011・8・1)

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