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No.366 (Web版16号)1

SF essay (179回)

川瀬広保

 ジョン・ウィンダム『時間の種』

 好きなSF作家はと問われれば、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインの三人である。1位がクラークであることは決まっているのだが、2位、3位はどちらがどちらかは、はっきり言えない。
 そして、4位はエドモンド・ハミルトンだ。5位以下が、私の場合、クリフォード・シマックか今から述べるジョン・ウィンダムかということになる。
 そのウィンダムの実に懐かしい一冊が復刊された。
 『時間の種』である。
 わたしは、ここにもう45年にもなる古ぼけた1966年発行の『時間の種』を所有している。定価は190円。本のカバーは取れてしまっている。しかし、取れてもそのカバーはここにある。表紙絵は金子三蔵氏である。そのころの創元の表紙絵は金子氏のが多かった。
 今となっては、カバーは取れ、中の本体の焼けやシミがひどくて、年月の経過を隠すことができない。
 私がこのウィンダムの『時間の種』に強い思い入れがあるのは、ただ単にウィンダムが好きなSF作家の5位に入るからというだけではない。翻訳者の大西尹明先生が、いわば私の恩師だからである。
 このことはもう何回か書いたが、大学3年生だった私がSF研究会を創立しようとして、会長をお願いしようとした先生が大西先生だった。そのころ、先生はすでに創元から何冊もSFの翻訳出版をされていた。従って、会長をお願いするには大西尹明先生しかいないと決意して、研究室にお願いに行ったのだ。その後、神奈川の自宅までお伺いして、しばらくお話をさせていただいた。
 その懐かしい『時間の種』が復刊されるということは、私にとってはひとつの事件である。
 創元の今年のブックフェアの中に、そのタイトルを見つけたとき、創元社もいいことやるなあと思ったものだ。
 私は今、『時間の種』をふたつ並べて、感慨にふけっている。もちろん、『時間の種』が復刊されたからと言って、古い方を処分しようなどという気は、決して起こらない。
 絶版にしてしまってはいけないSFなどは、まあまだあると思う。
 さらに、もう一冊は、フレドリック・ブラウンの『73光年の妖怪』である。この本は、昔、夢中になって読んだSFの一冊であり、私のお気に入りである。帯に「復刊フェア2011 入手困難だった名作を復刊!」とある。しかし、『73光年の妖怪』は今回で35版、『時間の種』は15版である。これだけ、読まれ続けているのに、なぜ入手困難なのか。書店に並んでいれば、買って読む人も多かろうと思うのだが、出版界のさまざまな事情でうずもれていってしまうのだろう。
 クラークの『都市と星』は新訳版が出た。福島正美の『未踏の時代』も文庫化された。ハインラインの『夏への扉』も新訳版が出ている。しかし、まだまだ埋もれている、あるいはそのままになっている秀作・傑作は多いと思う。ぜひ、これからも名作・傑作は復刊してほしいものだ。

 さて、映画については、次は「猿の惑星 創世記 ジェネシス」と「はやぶさ」を見に行きたいと思っている。
                     (2011・10・15)

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