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2012年3月

No.370 (Web版20号)1

手塚治虫先生の短編集についてあれこれ  

by 渡辺 ユリア

 皆様、今日は。“泣ける手塚治虫 ハートフル名作セレクション” を古本屋で見つけて買いました。集英社発行。
まず、“雨ふり小僧”・・友だちをほしいと以前から思っている中学生のモウ太の前に不思議な男の子が現れた。その子は破れた傘をかぶっていた。そしてその後、不思議な友情物語となるのです。
“おけさのひょう六”・・昔々の物語。そして佐渡の話。ある郷にひょう六という名の百姓がいた。彼は踊るのがめっぽう好きで雨の日も風の日も野に出ては踊っていた。佐渡おけさが、もしかしたらそうやって生まれたのかもしれません。酷い殿様がいると農民は悲惨であると思います。ラストは悲しかった。     
“四谷快談”・・怪ではなく快だという事。そして何と手塚治虫先生が出演されています。お岩さんっていいキャラクターだと思います。そして主人公がその後、心も成長する・・という話です。
“てんてけマーチ”・・たいこ打ちの話。祖父から孫に太鼓は受けつがれ、時代が変わっても変わらないものを守って、そして・・心が暖かくなりました。
“悪右衛門”・・平安時代の話。大阪の泉の国のストーリー。本名ではなく悪右衛門と呼ばれている男がいた。彼は守護の命令でキツネを多く殺していた。その理由というのが・・。そして悪右衛門には優しい心を持っている妻とかわいい男の子がいた。その奥さんの名が “くずの葉” という名で・・あれ。どこかで聞いた事がある・・と思いました。その理由はラストで明らかになるのですが、キツネを多く殺している事や守護の非道な仕打ちにいきどおりを感じました。この物語は長いので、じっくりと味わってみて下さい。後で読み返して自然の描写の美しさに触れたように思います。
“るんは風の中”・・日常の中にかいま見える不可思議な物語であると思っています。あこがれの向こうにあるものは何でしょうか・・そんな感じがしました。
 では、この辺で。
                   2012.3.2 yullia

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No.369 (Web版19号)4


ルーナティック30号のお知らせ


ルーナティック30号を2012年に発行したいと思います。
ここ何号かのルーナティックは複数の特集を組んできましたが
原稿の集まりもいまひとつでしたので、今回は特集はひとつに絞りたいと思います。
「小松左京」特集はどうかという声がありました。
小松左京氏は日本のSF界にとどまらず、日本の様々なシーンに登場し足跡を残してきました。
巨人の多くの足跡をたどっての皆様の原稿をお待ちしています。
今年はSF大会の日程も7月初めと早い時期ですので、
例年通りに夏に発行というのではなく
2012年末の発行を目指して10月あたりを原稿の締め切りにする予定です。

           ルーナティック30号編集部

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No.369 (Web版19号)3

“河童の三平” についてあれこれ

by 渡辺 ユリア


 皆様、今日は。寒いですね。雪は降りましたか?こちらは去年の12月26日に降りました。5cmほどですが。
 さて、“河童の三平” を上、中、下巻、読みました。ストーリーは、昔、昔山奥のそのまた山奥に河童によく似た三平という名前の小学生がいました。その子は祖父と二人暮らしでした。ある日、三平は小舟に乗って釣りをしているうちに、昼ねをしてしまい、河童に出会いました。その河童は三平を仲間の河童だと思い込み、河童の世界に連れて行きました。その後、河童たちは三平に興味を持ち、河童の一人を人間の世界へ留学(?)させる事にしました。三平は家に帰り、その河童と交代で小学校に通う事になりました。それからの物語は変化に富んでいます。例えば、行方不明だった三平の父が突然帰って来て、トランクの中にいる小人10人の世話を三平に託して死んでしまうとか。死神が三平の生命を奪おうと執拗に付け狙うとか。三平が行方不明だった母に会うために東京に行くとか。
 その後、母に会う事が出来たけれど、母は病気で、下宿先を追い出されて、行くあても無くて、三平と共に途方に暮れていたとか。
 その後の事は秘密にしておきますが、けっこうぐんぐんと読んでしまう不思議な魅力のある物語です。この本は水木先生が貸本時代に描かれた長編マンガを三冊にまとめて復刻した文庫本。角川書店が去年の春に出版した本です。
 読み終えて私はフーと溜息をつきました。ここに三平という子の生き様が表現してあるのです。まだ小学校一年生の三平がどんな事を考えて、困難に立ち向かって行ったのか。たった一人で。誰を大切に想って奮闘し、そして生き抜いたのか・・・。すごい物語だと私は思いました。是非ともみなさんに読んでもらいたいです。
 おまけです。最近古本屋で手塚 治虫先生の本を買いました。タイトルは “泣ける手塚 治虫 ”といってハートフルな短編集だそうです。“ 雨降り小僧 ”“ るんは風の中 ”“ 四谷快談 ”などです。また感想などを書きますね。では。
                        2012.1.27 yullia

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No.369 (Web版19号)2

SF essay(182回)

川瀬広保

藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ってきた!(その一)

 2011年12月7日、ひょんなことから藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ってきた。藤子・F・不二雄が亡くなってからもう15年もたつことはあまり認識していなかった。このミュージアムは開館してから、まだ3ヶ月、完全予約制になっている。まず、電話なりインターネットで予約して、ローソンで入場券を買い、一日4回の開館時間のどれかに行くことによって、初めて入れるのだ。午前10時、12時、午後2時、4時の四回、終了が午後6時である。
 私たちは(私と娘)、せっかく予約しても中に入れなければ意味がないと、早めにでかけた。12時の回に予約してあったのだが、11時前には着いた。待つこと1時間余、初めはほとんど人がいなかったが、やがて時間が迫ると長蛇の列になった。
 入館後、入場券を見せて代わりに「おはなしデンワ」を渡される。番号ボタンを押すとその場にあったこぼれ話を聞くことができる。手塚治虫が藤子不二雄のふたりを持ち上げている映像は初めて見た。
 さて、前後したが、ある人の助言で3階のカフェに行きたいのなら、入館後、まっさきに3階に行くようにということだったので、エレベーターで3階に直行する。ところが、もうすでに15分待ちであり、そのうち30分待ち、60分待ちになった。
 皆さんのお目当ては、ジャイアンカツ丼、小池さんのラーメン、暗記パンなどの藤子キャラのメニューである。
 私は、ジャイアンカツ丼とうそ800を注文。娘は暗記パンとドラミちゃんのカフェラテである。感想は、カツドンは結構ボリュームがあった。運ばれてきた注文メニューを見ただけで、思わず笑顔になる。
 そして、お腹を満たしてから(もし、空腹のままここへ行くと、中は飲食禁止だからどうしようもないことになってしまう)、一階へ戻りあれこれ展示物を見はじめた。
 一階には、藤子・F・不二雄の原画が保存されている。マンガではわからないカラーの細かな色づかいなどがわかって、藤子・F・不二雄は漫画がうまいという前に、絵がうまかったんだと改めて知る。マンガができるまでの立体映像のコーナーは混雑していた。
 それにしても、平日の午後、さすがに小中学生は見かけなかったが、大人が館内にはいっぱいである。みんな藤子ワールドに夢中であった。ここにきて、改めてわかったことは、藤子人気というのは、藤子・F・不二雄が創造した藤子キャラ人気であるということである。
 二階の「先生」の部屋というコーナーでは、藤子・F・不二雄が使っていた部屋が再現されていた。そこには、四方に蔵書がしきつめられていた。そこを眼を凝らして見ると、ハヤカワSFシリーズも見えた。「先生のにちようび」のコーナーで目を引いたのは、反射望遠鏡であった。だれかから贈呈されたものとのことだったが、きっとその望遠鏡で星や月を見ていたのだなあと思った。
 まんがコーナーには、藤子・F・不二雄のマンガがそろえてあって、読んでいる人が多かった。老若男女を問わず、みんなドラえもんで育ったんだなあと思った。オバQで育った人も、パーマンで育った人も、世代は違っても藤子キャラで育ったことは間違いない。私もその一人である。
 Fシアターも入った。来年3月に封切りされる新作映画のショートムービーである。「絵」が変わって、「声優」が変わってから、あまり見に行こうという気になっていなかったのだが、これを見たら3月には見に行こうという気にさせられた。
 それでも、17時ごろには帰路に着こうと思っていたのだが、その前に行くのは、ショップである。お土産にキャラクターグッズを買おうという人で混雑していた。
 「ドラえもん」をはじめ、藤子&藤子キャラ人気は日本にとどまらず、世界に広がっている。中国人の団体もいて、そう思った。
 藤子・F・不二雄ファンならもちろん、マンガファンだったら、このミュージアムはぜひ行くべきだ。新幹線代を払って、子ども連れでなくても、かつて子どもだったあなたも、ひと時をぜひ藤子・F・不二雄ワールドにもう一度身を浸してください。
                (2011・12・13)

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No.369 (Web版19号)1

LA GRAN SAGA DE LOS AZNAR 《アスナール・サーガ 9》
人類の災厄 El azote de la humanidad
ジョージ・H・ホワイト George H. White

中嶋康年


 スペインのスペースオペラの9巻目。収録作は第21話「人類の災厄」第22話「反乱軍の巨星」第23話「獣人の降伏」の三話分。
 今回の新兵器は、「物質縮小装置」。ミサイルやロボットをあるエネルギー波が届く範囲にあるあいだだけ小さくしておき、そのエネルギー波を止めたり、範囲外に出たりすると元の大きさに戻るという装置だ。
 この装置を発明したのは、バルディビア教授。ところが、彼は心臓発作の持病があり、あまりに奇矯なふるまいが多いので、科学者仲間からは気が触れているという噂が立ってしまい、この装置は完成までこぎつけないでいた。
 そこで、一人娘のカルメンがミゲル・アルヘンに直訴、ようやく完成させた。その効果は、8メートルのミサイルをこぶし大にまで縮小させた。この発明、作者はいたくお気に召したようで、続く23話までメインのガジェットとして使い続けている。
 そのとき、ミゲルのもとを逃げ出したアンバー王女が皇帝に返り咲きナウム帝国を再興していたが、トルボッドの猛攻撃を受けていた。チャンスと見たミゲルは、縮小装置で縮小したスパイダー・ロボットをメダルに忍ばせて、アンバーに降伏を迫った。降伏すれば、この新兵器でトルボッドを退けられると持ちかけたのだ。しかし、アンバーがミゲルの話を聞くはずもなく、いまだにアンバーに未練があったミゲルだったが、処刑の命令を下されたので、しかたなくスパイダー・ロボットを起動して宮殿から逃げ出したのだが、その過程でアンバーは死亡する。
 帝国が崩壊した後のナウムの復興を抑圧されていたバゴアの民に任せ、ミゲル一行は地球に向かう。そのあいだ、ミゲルはバルディビアの娘、カルメンと結婚する。
 22話で地球に帰ってくると、そこでは二百年が経過し、アスナール家に関係する者をすべてトルボッドの母星に置き去りにし、地球に帰還したバーマー家のホルヘ8世が帝政を敷いていた。土星軌道付近で接触した抵抗勢力と協力して、ミゲルは旗艦のバレーラを奪還、地球を解放することに成功する。
 23話の冒頭で、戦勝パレードの最中に爆弾テロに会い、ミゲルは負傷、妻のカルメンは死亡してしまう。その後、療養中のミゲルの部屋にテロリストが押し入り、家族を人質に取って、地球軍の武装解除を求めた。バーマー家とアスナール家の戦闘行為で仲間を大勢失ったこの集団は、テロに訴えて最高指導者のミゲルにすべての軍需産業の解体し、既存の軍の施設、武器等の破壊を迫ったのだ。仕方なく要求を受け入れ、3分の2の解体が済んだ頃、テロリストのうちの一人、オティス・シュミットという若い女性とは庭を散歩したり、いろいろ話をするようになっていた。そのとき、ニュー・デリーのサッカースタジアムの上空にトルボッドの戦艦が出現、攻撃を始めた。地球軍はすぐに防衛戦にはいったが、大幅に減らされた軍備に加えて、トルボッドもナウム戦で苦杯を喫した物質縮小技術を研究して開発に成功していたため、地球全土に戦線は広がり、次第に押されてきていた。解体を免れていた金星の艦隊に援軍を要請してあったが、到着するまでにはまだ時間があった。軍備廃棄の責任を一切追及せずに難局に当たるミゲルに、オティスは好感を抱くのだが、ミゲルはまたもやオティスに言い寄り、3度目の結婚を果たすのであった…。
 この復刊シリーズの表紙は12巻までは文字だけでイラストはなかったが、最近版元のホームページを見ると、重版がかかったようで、1〜12巻もCGイラストがつくようになっていた。アドレスはこちら。

http://silente.eu/catalog/index.php/cPath/21

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