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2012年4月

No.370 (Web版20号)3

SF essay (184回)

川瀬広保

ドラえもん映画再考

 藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ったことがきっかけとなって、ドラえもん熱が再開している。
 昭和45年に「ドラえもん」をマンガで読みだしてからだから、40年にもなるドラえもんファンだと、自認していた。
 ところが、うかつにもまだ十分に理解していないことがあった。
 それは、ドラえもん映画のことである。
 私は、昭和45年にまだ教師になりたてのころは、「ドラえもん」を読んでいなかった。ある生徒が班ノートにドラえもんのことを書いてきた。
 私は、十分に知りもしないのに、ドラえもんなんて「ただのフィクションでしょ?」というようなコメントを書いた。そうしたら、次の日にその班ノートに長文の反論が書かれてきた。
 ドラえもんがいかに面白く、夢のあるマンガであるかというような内容だったと思う。
 それから、一冊390円、計780円払って、月に2冊ずつ小学館の「ドラえもん」を買って、読みだした。あっという間に、ドラえもんファンになった。
 あれから40年もたって、「ドラえもん」全巻45巻、ドラえもんプラス5巻、大長編ドラえもん全24巻などを全部買い換えた。(24巻以後の刊行は把握していない。全集に入るからいいだろうと思う気持ちがあった)
 最近は、「藤子・F・不二雄全集」も第3期に入っているが、毎月届いている。
 ところが、映画については見落としがあったのだ。
 子供がまだ、幼いころには、映画館へいっしょに行ったこともあるが、だんだん大人になると行かなくなった。
 最初のころの映画は、藤子不二雄の名前だが、だんだん藤子・F・不二雄の名前になり、声優も「のびたとふしぎ風つかい」以後は、水田わさびに代わってきた。世の中がビデオの時代から、DVDの時代へと移行していて、実はドラえもん映画を全部まだ見ていなかったのだ!
 これは、ドラファンとしては、実に失態である、
 そこで、まだ見ていなかった、あるいは、買っていなかった映画を求めて、ドラ映画を買って今見ている。もう昔見たものもまた見て喜んでいる。

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No.370 (Web版20号)2

SF essay (183回)

川瀬広保

藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ってきた!(その二)

 帰る前に、一階のショップへ行った。そこは混雑していた。私は、原画があったら、買おうと思っていた。入口のところに、原画の複製が飾られてあった。そこで「きこりの泉」と「エスパー魔実」に目が行って、買うことに決めた。値段は1050円ずつ。元のマンガを読んでいない人には、価値も興味もないかもしれない。
 次に、『藤子・F・不二雄の世界』という本があったので、即、購入を決めた。浜松の書店では見当たらなかった。「公式図録」もすぐに買うことにした。
 ドラえもんのフィギュアがあった。VCDである。値段は3990円。高かったけれど、せっかくここに来たのだし、いろいろ買おうと思っていたので、これもほとんど即断で購入を決めた。ドラえもんのVCDには、いろいろパターンがあって、私が買ったのは「笑顔」である。これ以外に「でれでれドラえもん」などがあった。「でれでれドラえもん」とはドラえもんをしっかり読んでいる人にはわかるドラえもんの恋人(恋猫)ミーちゃんとデート中のフィギュアである。
 次に、マグカップ。350CCは入るちょっと大きめのいろいろなキャラがプリントされているドラマニアならすぐほしくなるものだ。ここでもキャラの中心にいるのはドラえもんだ。
 さらに、クリアファイルを二種類。ポストカードを二種類。ポーチを一個。メモノートを一冊。そして、手ぬぐい。手ぬぐいは手をふくのがその役割だろうが、もったいなくてとても手をふいたり洗ったりする気持ちにはなれないので、そのまま部屋に飾ってある。
 ポストカードは、キャラの集合柄でこれは見ているだけで楽しい。この絵柄のもっと大きいカレンダーぐらいのがあればいいのにと思ったけれど、そういうものは探してもなかった。
 カレンダーは、聞いてみたが、あったのだけれど、売り切れたみたい(?)だ。
 これ以外に、買いはしなかったが、タオル、クッション、ぬいぐるみのコロ助、きれいなジャイアン(店長お勧めだそうな)など。「藤子・F・不二雄全集」や「ドラえもん」はもちろんのこと、書籍もいろいろ売っていた。
 藤子・F・不二雄が創造したマンガは膨大なもので、そこに現れるキャラクターも膨大である。その全貌を知りつくすことは、なかなか大変だ。私自身、昭和45年にマンガ「ドラえもん」を読みだした。そのころ、月に2冊ずつ買って、読んでいた。そのきっかけはまた別の話になるのだけれど、そのころからいっぺんに私は、ドラえもんふぁん、藤子不二雄ファン、後に、藤子・F・不二雄ファン、藤子不二雄Aファンになっていていろいろ読んできたが、オバQやパーマンはあまり読んでいない。たぶん、そのころ私は、SFの方に行っていたからだと思う。「ドラえもん」にはSFマインドがあり、すぐにこれは面白いと夢中になった。(藤子不二雄にとっては、SFとはS(すこし)F(不思議)だということだが)
 なぜこうも引き付けられるのか、考えてみた。キャラクターの中心にいるのが、何といってもドラえもんだ。作者の設定の仕方や性格づけがおもしろいのだ。
 22世紀から来たネコ型ロボット。これを作者が書いたときには、まだまだ超未来だという設定。ネコ型ということは他にもいろいろな型のロボットがあるらしいと思わされる。ネコ型のくせにネズミは大嫌い。ふつうの嫌いようではなく、ある場面ではネズミのために、地球破壊爆弾を出すというくらい苦手なのだ。このへんの誇張がマンガとして笑わせてくれる。
 四次元ポケットにはいったいどれくらいの秘密道具が入っているのだろう。四次元だから、縦横高さ関係なく無限に入るらしい。ときどき「整理しないからだ」と言われて、どこにあったかドラえもんにもわからなくなってしまう。タケコプターも時速80キロで、よく電池切れを起こす。
 作者は楽しんで描いていたのだ。だからこそ、読むわれわれも楽しむことができる。ドラえもんの名セリフに、いろいろ悩んでいる登場人物の悩み事に「何だそんなことか!」の一言がある。「ドラえもんは何でもできるんだねえ」とほめられると、「まあだいたいのことわね」の一言。ドラえもんが風邪をひくと、「僕くらいの高級ロボットになると風邪もひくんだ」という一言。みんな作者が楽しんでいなければ書けない言葉だろうと思う。
 これだけショップにお土産を買おうとする人たちがいるということは、そんな藤子キャラに魅せられているのだと思った。
 少し不思議なSF的設定。子どもにも大人にも夢を与えてくれる藤子マンガは作者亡きあとも、永遠に生き続けるだろう。
 私は、あれこれグッズを買い込んで、登戸への専用シャトルバスに乗り、何回か乗り換えて、新幹線に乗った。自宅に戻って、娘とともに、また藤子マンガを読んだり、キャラグッズを並べて楽しんだりしているのであった。
 帰ってから、書店を通じて、「ドラえもんカレンダー」を注文、入手したが、もう藤子・F・不二雄の「絵」ではなくなっていて、あまり面白くはなかった。藤子キャラ集合絵柄のカレンダーがあればいいのだが・・・。
 こうして、藤子キャラグッズを買って、それに夢中になれるのも、藤子・F・不二雄が描いたマンガが人々に夢を与え続けているからであろう。
                     (2011・12・14)

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