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No.370 (Web版20号)3

SF essay (184回)

川瀬広保

ドラえもん映画再考

 藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ったことがきっかけとなって、ドラえもん熱が再開している。
 昭和45年に「ドラえもん」をマンガで読みだしてからだから、40年にもなるドラえもんファンだと、自認していた。
 ところが、うかつにもまだ十分に理解していないことがあった。
 それは、ドラえもん映画のことである。
 私は、昭和45年にまだ教師になりたてのころは、「ドラえもん」を読んでいなかった。ある生徒が班ノートにドラえもんのことを書いてきた。
 私は、十分に知りもしないのに、ドラえもんなんて「ただのフィクションでしょ?」というようなコメントを書いた。そうしたら、次の日にその班ノートに長文の反論が書かれてきた。
 ドラえもんがいかに面白く、夢のあるマンガであるかというような内容だったと思う。
 それから、一冊390円、計780円払って、月に2冊ずつ小学館の「ドラえもん」を買って、読みだした。あっという間に、ドラえもんファンになった。
 あれから40年もたって、「ドラえもん」全巻45巻、ドラえもんプラス5巻、大長編ドラえもん全24巻などを全部買い換えた。(24巻以後の刊行は把握していない。全集に入るからいいだろうと思う気持ちがあった)
 最近は、「藤子・F・不二雄全集」も第3期に入っているが、毎月届いている。
 ところが、映画については見落としがあったのだ。
 子供がまだ、幼いころには、映画館へいっしょに行ったこともあるが、だんだん大人になると行かなくなった。
 最初のころの映画は、藤子不二雄の名前だが、だんだん藤子・F・不二雄の名前になり、声優も「のびたとふしぎ風つかい」以後は、水田わさびに代わってきた。世の中がビデオの時代から、DVDの時代へと移行していて、実はドラえもん映画を全部まだ見ていなかったのだ!
 これは、ドラファンとしては、実に失態である、
 そこで、まだ見ていなかった、あるいは、買っていなかった映画を求めて、ドラ映画を買って今見ている。もう昔見たものもまた見て喜んでいる。

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