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2013年7月

No.383 (Web版33号)2

SF essay(200回)

川瀬広保

SFエッセイ200回!!

 前回書いたように、昔、白柳さんに頼まれて「ルーナティック」に原稿を書きました。それが、東海SFの会に入会してはじめて書いた原稿でした。
 あのころ紅顔の美青年だった(笑)私も、いつの間にか白髪の前期高齢者になってしまいました。
 私の人生は「SFエッセイ」とともにあったといっても決して過言ではありません。

 あれこれ拾ってみましょう。
 拙著「SFエッセイ」の82ページに「SFエッセイ三〇回」というのが載っている。少し、引用してみよう。

 記念すべき第三〇回目に、さて、いったい何を書こうか。
 先日、転任が決まり(もう六年もいたんです!)、PTAの送別会があった次の日(三月二七日)何となく、複雑な気持ちで子供といっしょに映画「のび太とパラレル西遊記・ウルトラB・エスパー魔美 星空のダンシング・ドール」を見にいった。こちらの認識不足もいいところ、前日に電話で確かめてあったにもかかわらず、第一回が九時四〇分開始のところを九時についたら、もうすでに映画館の前の歩道上をずらっと親子連れが並んでいたのだ。結局三〇分も待って、入場でき、座れたのだが、こんなに混むとは思わなかった。(以下略)

 これが、昭和63年4月3日とある。

 次に、「SFエッセイ五〇回」というのも載っている。

 SFエッセイ五〇回

 新年明けましておめでとうございます。といっても、何かもう時期外れのようなあいさつになってしまいました。
 さて、記念すべき第五〇回目のSFエッセイです。思い起こせばこのSFエッセイが一九九〇年始まったのは、昭和五八年(一九八三年)の二月号です。毎号休まずというわけにはいきませんでしたが、今年で七年目にはいります。PMの紙面を汚しながら、何とか続けられたのはPM編集長の何人かの人達の暖かい思いやりがあったからこそと、心から感謝しています。
 さて、その五〇回目のSFエッセイだが、今年は何と一九九〇年である。一九九〇年代の始まりである。これが驚かずにいられようか。一九九〇年といえば、もう完全に絶対に確実にだれが何と言おうが、SFの世界だったのである。それが現実になったとは!(以下略)

 私がSFマガジンを読みだしたのは、53号からだった。そのことのついてはもう何回も書いた。そのころのことを思い出すために、手元に54号と52号を引っ張り出してみた。

 54号は、

 表紙に空想科学小説誌とあり、
SFクラシック 機械が止るとき
 とある。
 目次には、
 機械が止るとき E・M・フォスター
 ベムがいっぱい エドモンド・ハミルトン
 作業指令書 ロバート・シェクリー
 サンプル T・P・キャラヴァン
 無の障壁 光瀬龍
 擬態 アラン・E・ナース
 夢魔の標的 星新一
 未来のプロフィル アーサー・C・クラーク
 SF英雄群像7 ジェイムスン教授 野田宏一郎
 などが並んでいる。

 52号では(52号以前の号は人からもらった)

 四周年記念増大号 とあり、
 ロボット植民地 マレイ・ラインスター
 血清空輸作戦 ロバート・A・ハインライン
 最終兵器 ロバート・シェクリー
 (以下略)
 等が並んでいる。

 そういった昭和39年発行の今となっては古書ともいうべきSFマガジンである。
 そして、そういう時代から、たぶん4〜5年後に東海SFの会入って、このSFエッセイを書き始めたのだ。

 19歳と20歳では身体的には変わらなくても、やはり気分的には大いに違うし、59歳と60歳、64歳と65歳では大きく違う。
 比べることはないが、このSFエッセイも200回に達するとやはり雰囲気が違うというものだ。

 昔のように、積極的に新刊を読んで感想を書いたり、映画館に足を運んで、新作SF映画を見て、すぐ感想を書いたりしなくなっているけれど、これでも30年ぐらいSFとその周辺を追いかけてきたつもりだ。
 これからもそうしようと思う。

                  (2013・5・31)

追記

 次回の予定
五島勉の久しぶりの新刊「H・G・ウェルズの未来の記憶」について。

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No.383 (Web版33号)1

SF essay(199回)

川瀬広保

「SFエッセイ」199回!

 もうそろそろだと毎日、郵便受けをみていたが、今日、待望のわれらの「ルーナティック」30号と新しいPMを入手しました!
 SFファンというのは、昔から相も変わらず、ファンジンで結ばれているのではないでしょうか。
 商業誌の「SFマガジン」や早川や創元等のSF文庫本での作者や翻訳者のあとがきも、もちろん読みますが、ファンジンは歴史が深ければ深いほど、そのファンジン(同人誌)で結ばれているものですね。
 ルーナティックがその昔、創刊号を発行してから、もう45年ぐらいが経過しています。必ずしも毎年発行されたわけではないにしても、こうして30号が送られてくると、うれしいものです。
 まるで、自分の子供のように感じられます。発行作業にはかかわっていないけれど、原稿だけは送っています。編集、発行、会計等にかかわってくれているみなさん、ありがとうございます。

 さて、手元にある「ルーナティック」創刊号の奥付を見ると、昭和42年4月10日発行とある。このとき、私は大学生で、まだ、明治大学SF研究会を創立させていなかった。第5号の発行は昭和43年9月1日とあり、この号のために、白柳さんに何か書いてほしいと頼まれて書いたのが、「『二千一年宇宙の旅』『猿の惑星』を観て」という一文である。

 最初の数行を引用してみる。

 最初に「二千一年、宇宙の旅」の方から感じたことを書いてみたいと思います。ぼくはロードショー四日目の日曜日の午後、見てきましたが、前宣伝が行きとどいていたせいか、かなりの盛況でした。観客層は小学生、中学生、高校生を始め、一般の青年男女、子供づれの母親、年配の人たちなどと多種多様でした。(以下略)

 たぶん、この一文が東海SFの会に入会して書いた最初の文である。それ以来、途中、タイトルを変えたこともあったけれど、結局「SFエッセイ」というタイトルで、書き続け、現在に至っている。
 その「SFエッセイ」がもうじき200回を迎える。ちょうど、還暦か何かと同じで、59歳と60歳とでは、別に何か特別に変わるわけではないのだが、そうは言っても、199回と200回とでは、やはり感覚が違う。
 私はねずみ年生まれで、なんでもかじるようなところがあり、何かに手を出すことが多い。でも、続かない。そうした中で、この「SFエッセイ」はこれだけ続けることができた。
 昔は、月1回必ず何か書こうと自分に課していた。ところが、なかなか書けないこともあった。
 一回の枚数は3枚から5枚程度、200回という数字が正確なものなら、600枚から1000枚ぐらいになる。
 自由に書きたいことが書けるということが、長く続けられた最大の要因だろう。もちろん、いつでも書いたら載せてくれるというファンジンの良さがあるからである。

 まずは、201回を、そしてとりあえず、210回ぐらいを目指して、SFやSF的話題、そして時にはSFには関係のない話題も取り上げて書いていこうと思っていますので、よろしく。

 さて、DVDプレーヤーが壊れてしまったのがきっかけで、安いブルーレイレコーダーを買った。この機会に昔見た、「2001年宇宙の旅」「2010」などをBRでまた見てみた。画面がきれいで、細かいところまでよく見えるので、何回も見たにもかかわらず、最後まで見てしまった。
 先ほど、書いたように大学生のころはじめて見たときの感想が少し、深まってきている。どちらの映画もクラークの考えでは、生命というのは永遠に続くものだということ、それからこの大宇宙にはわれわれ人類を引き上げてくれるはるかに進んだ超知性体が必ず存在しており、いつの日か、「幼年期の終り」のオーバーロードのように、われわれ人類を指導し、宇宙の高みに引き上げてくれるであろうということ。それらの思想がこれらの映画には表れている。クラーク自身が言うオプティミズムかもしれない。だが、私は「2010」をまたまた見終わって、思わず拍手してしまった!

 メイキングにクラークへのインタビューが収録されている。
 「モノリスというのはいったい何ですか?」という問いに私はいつもこう答えている。
 「この映画を見たら、原作を読む。それを繰り返せば答えがわかるよ」
 BRで見ると、DVDで見たときよりも、より細かいところが見えてきて、何度も見たはずなのに、面白い。映画によっては、翻訳も微妙に違っていたりしていて、興味深い。
 これで、テレビの画面がもっと大きくなればいいのになあと思っている。今のところ、28インチがせいいっぱいで、32インチを望むのがせいぜいだ。人によっては56インチの大画面で見ている裕福な人もいるようだが。
 かといって、映画館に足を運ぶのは年に一回あるかないかだ。ニュースによると、迫力を増すために、座席がぐらぐら動いたり、霧や煙りがでてくるような映画館も出現しはじめているという。
 さて、まだ見ていないこれはという映画はありますか?SFでなくてもなんでもいいので、何か見逃しているような気もするのですが・・・。
 どなたか、ぜひ推薦してください。
                   (2013・5・20)

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No.382 (Web版32号)3

HALーCON2013アフターレポート

by 渡辺ユリア

 2013年4月27〜28日に埼玉県さいたま市のサウスピア8Fと9Fの武蔵浦和コミュニティセンターでHALーCON2013がひらかれました。GOHはジョー・ホールドマン夫妻とイラストレーターの加藤直之氏。
 私は1日目は『JAXA企画・地球を見守る人工衛星 だいちとしずく』の分科会へ。JAXAの方が講演されて、だいちが撮影した地球のあちこちの映像などを見ました。くっきりとキレイな映像でした。特に清水港あたりが印象的。
次は『国内・国外GOH企画 ウェルカムインタビュー』の分科会へ。いろいろな話が聞けて楽しかった。印象的だったのは、質問(ファンからの)…『終わりなき戦い』に出てくる敵のエイリアン“トーラン”をもし良ければ描いて頂けませんか?というものです。ホールドマン氏はちょっと考えて、それからホワイトボードの前に立ち、サラサラと“トーラン”の絵を描いて下さいました。「ウエストはもう少し細く」という夫人のことばで、氏は、そのとおりにウエストを細くしたり、ホウキ(みたいなもの)に乗ってトーランが飛ぶシーンを描かれました。サインと日付けをつけ加えたりとサービス感たっぷりでした。
 その後、そのトーランの絵をもとにした加藤氏のライブペイントがあり、28日のクロージングで額に入った『トーランと宇宙船の絵』が出てきたり、何とトーランの白いフィギュアが出てきたり、とてもクロージングは盛りあがりました。そして解散。あいことばは、“次は広島で…”でした。では
              2013.5.2 yullia

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No.382 (Web版32号)2

SF essay(198回)

川瀬広保

辞書について

 「SFエッセイ」と銘打っているのに、SFのことについて書いてないのは、「もつ」と書いてあるから買ってみたら、中身は「こんにゃく」だったというようなものかもしれないが、前回書いたように、あまり細かく内容を規定してしまうと何も書けなくなってしまうから、お許し願いたい。

 昔から、好きなものはSFや天文だが、地図や辞書も好きである。辞書、特に英語の辞書を見ると頭が痛くなると言った生徒もいたが、私の場合、老眼鏡をかけて見さえすれば、頭は痛くならない。なるのは、飲み過ぎた時の翌朝だ。
 最近は、何でもパソコンを使って、インターネットで調べられるし、電子辞書も相当、普及しているから、紙の辞書はなかなか出版されないし、また売れないらしい。
 現役の時は、よく辞書を買った。辞典や事典である。職業柄、英和辞典や和英辞典が一番多かったが、それ以外に、国語辞典、漢和辞典、英英辞典なども新版が出ると、すぐ飛びついた。
 辞書は紙の辞書の方が、やはり好きだ。
 最近、「三省堂 英語イディオム・句動詞大辞典」「ウイズダム 英和辞典 第3版」「リーダーズ英和辞典 第3版」「小学館 大辞泉 第2版」などを買った。
 「新クラウン英語熟語辞典」(第3版)というイディオムの意味を教えてくれる辞典にはだいぶ、お世話になった。その新版が出ないものかと思っていたが、25年ぶりに三省堂創業130周年を記念して出版されていたのが、その新版にあたる「英語イディオム・句動詞大辞典」であるということをあるきっかけで知って、購入しようかどうしようか迷った。
 年金暮らしでなかったら、迷いもせずすぐさま購入するのだが、年金暮らしとなると、1万3千円余もするものは、なかなか手が届かない。
 食べることや医療のことなどが、どうしても先になるからだ。だが、人間はパンのみにて生きるにあらずという言葉にあるように、生涯、勉強しなければいけないものだと思って、意を決して取り寄せた。1800ページほどある前の版とはまるで異なる新しい辞典が届けられた。英語学習で悩ませられるもののひとつが、イディオムである。それから、ことわざなども。
 “Pride goes before a fall” という有名なことわざも昔、知らなくて、ATLに聞いたことがある。映画「赤毛のアン」の終わりの方で、リンド夫人が言うセリフにも出てくる。字幕では、「おごれるもの久しからず」と訳してある。これでいいのかとずっと気になっていた。
 この辞典では、〈ことわざ〉とあって、「おごれるもの久しからず」とちゃんと出ていた。ちなみに、「ウイズダム英和辞典」の第3版でもひいてみた。すると、こちらは、〈ことわざ〉「うぬぼれすぎは禁物」と書いてある。「赤毛のアン」のアンは、あの映画のラストの方で、決してうぬぼれているわけでもないし、おごっているわけでもない。アンは「勉強が趣味のような子」なのだから。
 言葉の意味を確実につかむということは、難しい。特に外国語では。

 さて、季節はめぐって、もう浜松まつり直前である。今年は、17年ぶりに屋台をひくことになった。浜松観光ボランティアガイドとして、他県から浜松城を見学にくるお客さんに、「是非浜松まつりにお出でください。全国一の凧揚げと御殿屋台の引き回しは荘厳な見ものですよ」と紹介しているのに、私自身参加(見物)したのは、今までほんのわずかであった。
 地域のために役立つことは、無理をしない程度で参加しようと思っている。

 SFで買っているものは、「言語都市」「オールクリア1」「空間亀裂」「巨獣めざめる」(上下)など。
 SF以外で、今読んでいるのは、岩波書店 マーク・ピーターセン「実践 日本人の英語」である。これが面白い。英語に興味のある人にはお勧めの新刊である。わかっているようで、実はわかっていない英語の本当のところをかゆい所に手が届くように教えてくれる。
 それにしても、冠詞や複数形ほど、われわれ日本人英語学習者を悩ませるものはない。英語はもとより、ポルトガル語に至っては、男性名詞や女性名詞で語尾が違うし、もうお手上げである。
 日本人の感覚にいろいろとあいまいにしておきたいという気持ちが働いている。そこで、木の下に猫がいる、という文で猫が一匹であろうが二匹であろうが気にしない。
 英語では冠詞を付けるか、語尾にSを付けるか大いに問題なのである。

 さて、来月はSFに戻らなくては!みなさん、今のSFの話題って、何でしょう?
                (2013・4・30)

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No.382 (Web版32号)1

SF essay (197回)

川瀬広保

 朝日新聞を34年ぐらい購読しているが、まず最初に見るところは、天気予報欄の浜松と名古屋の気温だ。次は、連載まんがの「ののちゃん」である。あとは、一面から始まって、見出しを追うぐらいであるが、時々面白い記事に出会うことがある。
 最近では、第一面に大見出しで「腰痛 2800万人」「40〜60代は4割悩む」「ストレス一因・安静より運動」と出ていたので、思わず目が覚めた。
 私の最近の悩みのひとつがまさしく腰痛だからである。これによると、腰痛治療のお勧めで、強く推奨されるのは、「ストレッチなどの運動」の他に「考え方の偏りを直し、行動の仕方を変える認知行動療法」とあった。
 さて、みなさんは腰痛ありますか?
 考え方を直し、行動の仕方を変えればいいのか?しかし、歳をとると、どうやって変えればいいのか?
 そこで、まず、この「SFエッセイ」の話題もSFに関するものでなければならないと規定せず、腰痛の話題も出していけば、もしかしたら腰痛が消えるかな?

 さて、3月26日の社会面には、思わずうれしくなる記事が載っていた。それは、「君の、僕の、1億人のドラえもん」という記事である。
 1980年から公開されている「映画ドラえもん」シリーズの観客数が、1億人を超えたのだそうだ。「ゴジラ」や「男はつらいよ」を上回ったという。これは、ドラえもんファンの私としては、慶賀すべきことで、誠に望ましく、うれしい記事である。ドラえもんに国民栄誉賞をあげてもいいと思う。ドラえもんはそれより、どら焼き食べ放題の方を望むだろうが。
 1980年、今から33年前、映画館へ行ったかどうか、もう覚えていない。その後、子どもを連れて何回か、「ドラえもん」を見に行ったことはある。
 記事によると、藤子・F・不二雄の妻の藤本正子さんは「・・・幸せね。ドラえもんは・・・」とコメントしているそうだ。あの世でも、作者、藤子・F・不二雄さんは喜んでおられることだろう。
 これだけの国民的アイドルは、漫画とはいえ、他に類を見ないのではないだろうか?何でもできる、子どもにとっては保護者的な、大人にとっても夢のあるドラえもんが一番だろう。

 「ののちゃん」は時々、朝から笑わせてくれる。2013年3月26日の朝刊は、腰痛、ののちゃん、ドラえもんの三つの記事で、はっきり目が覚めた。久しぶりのことだった。

 さて、パンスターズ彗星である。残念ながら、私はまだ見ていない。高度10度程度、春がすみにかかって、20倍の双眼鏡でも見えなかった。もうすでに写真にとっている人もいるが、まだまだ技術と忍耐・体力が足りなくて、見ていない。
 4月に入ると、朝方に回って高度も上がってくるというから、もう少し努力してみたい。百武彗星の時は、写真を撮ったのだが。
 11月のアイソン彗星に期待しよう。
                 (2013・4・2)

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