No.383 (Web版33号)2
SF essay(200回)
川瀬広保
SFエッセイ200回!!
前回書いたように、昔、白柳さんに頼まれて「ルーナティック」に原稿を書きました。それが、東海SFの会に入会してはじめて書いた原稿でした。
あのころ紅顔の美青年だった(笑)私も、いつの間にか白髪の前期高齢者になってしまいました。
私の人生は「SFエッセイ」とともにあったといっても決して過言ではありません。
あれこれ拾ってみましょう。
拙著「SFエッセイ」の82ページに「SFエッセイ三〇回」というのが載っている。少し、引用してみよう。
記念すべき第三〇回目に、さて、いったい何を書こうか。
先日、転任が決まり(もう六年もいたんです!)、PTAの送別会があった次の日(三月二七日)何となく、複雑な気持ちで子供といっしょに映画「のび太とパラレル西遊記・ウルトラB・エスパー魔美 星空のダンシング・ドール」を見にいった。こちらの認識不足もいいところ、前日に電話で確かめてあったにもかかわらず、第一回が九時四〇分開始のところを九時についたら、もうすでに映画館の前の歩道上をずらっと親子連れが並んでいたのだ。結局三〇分も待って、入場でき、座れたのだが、こんなに混むとは思わなかった。(以下略)
これが、昭和63年4月3日とある。
次に、「SFエッセイ五〇回」というのも載っている。
SFエッセイ五〇回
新年明けましておめでとうございます。といっても、何かもう時期外れのようなあいさつになってしまいました。
さて、記念すべき第五〇回目のSFエッセイです。思い起こせばこのSFエッセイが一九九〇年始まったのは、昭和五八年(一九八三年)の二月号です。毎号休まずというわけにはいきませんでしたが、今年で七年目にはいります。PMの紙面を汚しながら、何とか続けられたのはPM編集長の何人かの人達の暖かい思いやりがあったからこそと、心から感謝しています。
さて、その五〇回目のSFエッセイだが、今年は何と一九九〇年である。一九九〇年代の始まりである。これが驚かずにいられようか。一九九〇年といえば、もう完全に絶対に確実にだれが何と言おうが、SFの世界だったのである。それが現実になったとは!(以下略)
私がSFマガジンを読みだしたのは、53号からだった。そのことのついてはもう何回も書いた。そのころのことを思い出すために、手元に54号と52号を引っ張り出してみた。
54号は、
表紙に空想科学小説誌とあり、
SFクラシック 機械が止るとき
とある。
目次には、
機械が止るとき E・M・フォスター
ベムがいっぱい エドモンド・ハミルトン
作業指令書 ロバート・シェクリー
サンプル T・P・キャラヴァン
無の障壁 光瀬龍
擬態 アラン・E・ナース
夢魔の標的 星新一
未来のプロフィル アーサー・C・クラーク
SF英雄群像7 ジェイムスン教授 野田宏一郎
などが並んでいる。
52号では(52号以前の号は人からもらった)
四周年記念増大号 とあり、
ロボット植民地 マレイ・ラインスター
血清空輸作戦 ロバート・A・ハインライン
最終兵器 ロバート・シェクリー
(以下略)
等が並んでいる。
そういった昭和39年発行の今となっては古書ともいうべきSFマガジンである。
そして、そういう時代から、たぶん4〜5年後に東海SFの会入って、このSFエッセイを書き始めたのだ。
19歳と20歳では身体的には変わらなくても、やはり気分的には大いに違うし、59歳と60歳、64歳と65歳では大きく違う。
比べることはないが、このSFエッセイも200回に達するとやはり雰囲気が違うというものだ。
昔のように、積極的に新刊を読んで感想を書いたり、映画館に足を運んで、新作SF映画を見て、すぐ感想を書いたりしなくなっているけれど、これでも30年ぐらいSFとその周辺を追いかけてきたつもりだ。
これからもそうしようと思う。
(2013・5・31)
追記
次回の予定
五島勉の久しぶりの新刊「H・G・ウェルズの未来の記憶」について。
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