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2013年11月

No.388 (Web版38号)1

SF essay (207回)

川瀬広保

イプシロンの打ち上げ成功と
 ボイジャーの太陽系脱出と
ベテルギウスの爆発?と・・・

 明るい話題の少ない毎日の中で、イプシロンの再打ち上げが無事成功したというニュースはよかった。15分遅れで、ハラハラさせられたが。
 12年ぶりで、予算も3分の1だとか。
 日本の技術が世界でも遜色ないことを示していて、うれしいことである。

 もう35年も前に打ち上げたアメリカのボイジャーがとうとう太陽系を脱出して、星間宇宙に達したというニュースも歴史的大事件だ。われわれ人類は、故郷の太陽系から真の「宇宙」へと進んだのだ。30歳のころ、アメリカのやることは違うなあと、毎日そのニュースを追っていた。忘れられていたこのニュースがまた脚光を浴びているわけだ。地球という小さな文明をもつ惑星から発射された人工物体が、今、未知の星間空間(宇宙空間)を、太陽から約187億キロ付近を、時速約6万キロの速度で飛行中なのだ。その中には、人類からのメッセージが乗せられている。写真を撮って、地球へ送ってくるだけのエネルギーはもうないそうだが、SFファンとしては、わくわくするような話ではないか。

 さらにもうひとつは、あのオリオン座のベテルギウスがもう爆発してしまったかもしれないという驚くべきニュースだ。オリオン座がオリオン座でなくなってしまったかもしれないのだ。
 ベテルギウスが超新星になってしまったかもしれない。だが、まだ確証はない。写真に撮ると、かなり楕円形をしているのだそうだ。
 このニュースも、天文ファンやSFファンだけでなく、地球人としてーわずか80年の寿命しかもたない人間として、だれもが感じる壮大な大事件であろう。
 天界はちっぽけな人類の知られていないところで、黙々と、脈々と、まだまだいろいろなことがきっと、起こっているのだ。
 さて、

 ラジオを聞くのはニュースが主だが、NHKの「夏休みこども科学相談」だけは、毎年楽しく聞いている。
 5歳ぐらいから中学生までの子供の質問を聞き、先生方の答を聞いていると、気づかなかった事が多く、学んでいる。30年間も番組が続いている理由がわかる気がする。
 「なぜ?」と疑問に思うことは、とても大切なことだ。子供のころ、どんな分野でもいいから、疑問を持って、本を読んだり、観察したりする子供は、生涯、学んだことを忘れないだろう。
 学校では、教員も忙しくてひとりひとりの子供の疑問に丁寧に教えてあげられる時間が少ない。ほとんどないと言っていい。
 在職中、授業中も休み時間も質問をする生徒はあまりいなかった。日課に追われるということもあるであろう。
 そうした意味でも、この番組はこれからもずっと続いてほしい。また、公共施設でボランティアの人達に聞くこともできる。
 二つのボランティアをやっているが、子供の質問にうまく答えられないこともある。気持ちだけは、昔に戻って、勉強しようと思っている。

 さて、夏も過ぎて、どうやら涼しくなってきたようだ。秋分の日も過ぎて、今度はだんだん寒くなってくるだろう。
 今年の夏はまれにみる猛暑が続いたが、今度は極寒の冬が続くのだろうか。台風や洪水や竜巻などの自然の猛威に近代文明も簡単に壊されてしまう。
 消費税のアップや、年金の目減りや、介護保険の年金からのひき去りなど、心が暗くなるようなニュースを払しょくしてくれるような明るいニュースはないものだろうかと思っていたところ、先の三つのニュースは、私にとって、久しぶりに大きなニュースだった。
                  (2013・9・29)

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No.387 (Web版37号)2

SF essay(206回)

川瀬広保

星新一「つぎはぎプラネット」ほか

 9月4日の夕刊、訃報欄を見ていたら、「フレデリック・ポールさん(米SF作家)米紙ニューヨークタイムズによると、2日、米イリノイ州の病院で死去、93歳。代表作に「宇宙商人」や「ゲイトウェイ」など。雑誌編集者などとしても活躍した」と出ていた。
 また、往年のSF作家が没した。
 ご冥福をお祈りしたい。
 アーサー・C・クラークとの共著「最終定理」が思い出される。それぞれ90歳、88歳という高齢コンビで活躍していたのが、ついこの間だったように思っていたから、残念である。

 さて、9月1日発行ということだったが、8月31日に、アマゾンを見ていたらもう星新一の「つぎはぎプラネット」のレビューが載っていた。早いものだ。
 私のSFとの出会いはいくつかあるが、その大きな一つは星新一だった。SFマガジン53号に載っていた「夢魔の標的」が初めての出会いだった。その号には小松左京もアーサー・C・クラークも載っていたけれど、私が真っ先に好きになったSF作家は星新一だった。
 それから次々と新刊を求めた。最後の一行のどんでん返しが魅力的だった。簡単に読める数ページのショートショートにはまっていった。

 その星新一に、ファンレターを出し、返事をいただいた。トーコンのときにサインもいただいた。ハマナコンだったか、実物の星新一を前にして希望を述べたこともある。ショートショート作家に向かって、「夢魔の標的」のような長編をもっと書いてほしいと言ったのだ。もっとも、その時は、シャイな私は、本人の顔をしっかり見ないで、もごもごと言っていた。
 もう昔のことだ。
 さて、星新一が亡くなって、まさか星新一の新刊が出るものとは思っていなかった。
 それが、こうしてここに氏の新刊がある。まるで、奇跡のようだ。
「オリンピック二〇六四」「景気のいい香り」「ある未来の生活」など、短いものから少しずつ楽しみながら、読んでいる。これらのもっとも初期のころの作品を経て、やがて、名作「ボッコちゃん」「おーい、でてこーい」「セキストラ」などへとつながっていったのだ。頭の中の膨大なアイディアがやがて作品となって、結実していったのだろう。
 「夢魔の標的」の復刊も新潮社から出た。その解説で梶尾真治さんが、神様、星新一の性格を表すエピソードを紹介している。自作の解説をお願いしたときの詳しい電話でのインタビューの話。このエピソードには、星新一が短いショートショートを短いからといって、決して、簡単に作品化したわけではないことを示している。
 逝去16年後のこの新刊には、星新一の若いころの作品が並べられている。そこには早くもエヌ博士が出てくる。
 SF川柳・都々逸101句も面白い。
 星新一は亡くなったけれど、その作品は生きているのだというのが、私の感想だ。これからも生き続けるだろう。
 こうした新刊の発行がその証拠である。
 高井信さんの解説によると、この本を発行するのには並々ならない努力があったのだそうだ。なにせ、膨大な作品、その中には似たようなタイトルの作品もあって、すでにこれはあの本に収められているだとか、いやまだどこにも出ていないはずだなどという検証作業が大変なわけである。こういう努力には、本当に頭が下がる。

 有名な作家や作曲家などには、没後、何らかの新発見が出てくることがある。今回のこの「つぎはぎプラネット」は星新一ファンの私としては、大きな事件であり、ほとんど奇跡的な一冊だった。

                 (2013・9・11)


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No.387 (Web版37号)1

SF essay (205回)

川瀬広保

「宇宙塵」204号 最終号

 ある日、ちょっと厚い封筒が送られてきた。裏を見ると差出人は、宇宙塵の山岡さんだった。
 中を開けてみる。
 歴史と権威のあった日本最古参のSFファンジン「宇宙塵」の最終号204号だった。裏を見る。もうそこには、柴野拓美さんの名前はない。編集・発行は『宇宙塵』編集委員会となっている。
 目次を見ると、

特集

 柴野拓美と『宇宙塵』ー日本SFとともに歩んだ人と雑誌

 として、長山 靖生さん、牧 眞司さん、そして奥様の柴野 幸子さんの文、座談会などとなっている。
 また、宇宙塵アーカイヴスとして、抄録「TOFF第一号レポート」が載っている。
 さらに、特記すべきことは、附録DVDがついていて、「宇宙塵等各号表紙及び掲載記事一覧」があるということだ。
 これで、「宇宙塵」が終わってしまったという寂しさがつのってくる。
 「宇宙塵」の創刊は1957年。今年で54年が経過。私の翻訳を始めて載せてもらったのが、1969年このDVDの収録作品一覧を見ていると、実に懐かしい。21歳のころ、私は「宇宙塵」に入会したのだ。
 それから、44年、私は「宇宙塵」とともにあった。最初のころは、毎月送られてきた。それがやがて、一年に一回ぐらいになって、今度の最終号である。
 「宇宙塵」の存在は心の中に大きな部分を占めていたのに、終わってしまうとぽっかりと穴があいてしまったような気がする。
 ファンジン・レビューについても書かなければならない。
 昔、明治大学SF研究会が出していたファンジン「テラ」を柴野さんのところに送ると、必ず「宇宙塵」のファンジンレビューに取り上げてくれた。数行の批評が載った。そこで取り上げてもらえることがうれしかった。
 よそのファンジンより、こちらの方が2行多く、書かれていると得意になった。
 「宇宙塵」はファンジンレビューがあったからこそ、その存在意義があったのだ。
ファンジンレビューは、柴野さんにファンジンを送って、批評してもらう唯一の場だった。全国のファンジンがこぞって、氏のところへできたてのファンジンを送り、自分のファンジンがどのように受け入れられ、また批評されるのかみんな知りたがった。
 自分のファンジン評がよそのファンジン評より、2〜3行多いというようなことが大いに誉れだった。
 私もそうだった。
 そういうよき時代だったのだ。
 「宇宙塵」が多数の作家や翻訳者等を育てた。「宇宙塵」がというより、柴野さんがである。
 私も何編か翻訳を送った。そのうち2編を載せてもらったことがある。それが、私にとって大きな「宇宙塵」とのかかわりである。
 このDVDには、創刊号から第204号までの内容がもれなく収録されている。
 柴野さん亡きあと、「宇宙塵」そのものの存続をどうするか議論があったのだろう。柴野さんイコール「宇宙塵」、「宇宙塵」イコール柴野さんだった。柴野さん抜きで、「宇宙塵」を続けるわけにはいかないということだったのだろう。
 「宇宙塵」が204号をもって、終刊を迎えたのは、大変さびしいことだ。「宇宙塵」がSFファンとしての青春時代のよき思い出になっている人は多かろう。
 「宇宙塵」は204号で終刊してしまい、小松左京マガジンも50号をもって終刊してしまう。どちらもさびしいことである。
 私など、SF界の名前といえば、いまだに日本では、星新一、小松左京、光瀬龍、海外ではアーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインであり、ファンダムや翻訳家では柴野拓美、福島正美、浅倉久志、矢野徹らである。
 新人作家たちへとそう簡単に切り替えられるものではない。
 SFというのは、SFファンダムという広野の上に立っている。そのSFファンダムの中にSFファンジンが数多くきらめいている。あるいは、かつて、きらめいていた。それらを忘れてはならない。
 「宇宙塵」最終巻204号は、記念すべき、そして貴重な号であると言えよう。
 改めて、居住まいを正して、「長い間、ありがとうございました。「宇宙塵」!」
                   (2013・8・20)




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