No.387 (Web版37号)1
SF essay (205回)
川瀬広保
「宇宙塵」204号 最終号
ある日、ちょっと厚い封筒が送られてきた。裏を見ると差出人は、宇宙塵の山岡さんだった。
中を開けてみる。
歴史と権威のあった日本最古参のSFファンジン「宇宙塵」の最終号204号だった。裏を見る。もうそこには、柴野拓美さんの名前はない。編集・発行は『宇宙塵』編集委員会となっている。
目次を見ると、
特集
柴野拓美と『宇宙塵』ー日本SFとともに歩んだ人と雑誌
として、長山 靖生さん、牧 眞司さん、そして奥様の柴野 幸子さんの文、座談会などとなっている。
また、宇宙塵アーカイヴスとして、抄録「TOFF第一号レポート」が載っている。
さらに、特記すべきことは、附録DVDがついていて、「宇宙塵等各号表紙及び掲載記事一覧」があるということだ。
これで、「宇宙塵」が終わってしまったという寂しさがつのってくる。
「宇宙塵」の創刊は1957年。今年で54年が経過。私の翻訳を始めて載せてもらったのが、1969年このDVDの収録作品一覧を見ていると、実に懐かしい。21歳のころ、私は「宇宙塵」に入会したのだ。
それから、44年、私は「宇宙塵」とともにあった。最初のころは、毎月送られてきた。それがやがて、一年に一回ぐらいになって、今度の最終号である。
「宇宙塵」の存在は心の中に大きな部分を占めていたのに、終わってしまうとぽっかりと穴があいてしまったような気がする。
ファンジン・レビューについても書かなければならない。
昔、明治大学SF研究会が出していたファンジン「テラ」を柴野さんのところに送ると、必ず「宇宙塵」のファンジンレビューに取り上げてくれた。数行の批評が載った。そこで取り上げてもらえることがうれしかった。
よそのファンジンより、こちらの方が2行多く、書かれていると得意になった。
「宇宙塵」はファンジンレビューがあったからこそ、その存在意義があったのだ。
ファンジンレビューは、柴野さんにファンジンを送って、批評してもらう唯一の場だった。全国のファンジンがこぞって、氏のところへできたてのファンジンを送り、自分のファンジンがどのように受け入れられ、また批評されるのかみんな知りたがった。
自分のファンジン評がよそのファンジン評より、2〜3行多いというようなことが大いに誉れだった。
私もそうだった。
そういうよき時代だったのだ。
「宇宙塵」が多数の作家や翻訳者等を育てた。「宇宙塵」がというより、柴野さんがである。
私も何編か翻訳を送った。そのうち2編を載せてもらったことがある。それが、私にとって大きな「宇宙塵」とのかかわりである。
このDVDには、創刊号から第204号までの内容がもれなく収録されている。
柴野さん亡きあと、「宇宙塵」そのものの存続をどうするか議論があったのだろう。柴野さんイコール「宇宙塵」、「宇宙塵」イコール柴野さんだった。柴野さん抜きで、「宇宙塵」を続けるわけにはいかないということだったのだろう。
「宇宙塵」が204号をもって、終刊を迎えたのは、大変さびしいことだ。「宇宙塵」がSFファンとしての青春時代のよき思い出になっている人は多かろう。
「宇宙塵」は204号で終刊してしまい、小松左京マガジンも50号をもって終刊してしまう。どちらもさびしいことである。
私など、SF界の名前といえば、いまだに日本では、星新一、小松左京、光瀬龍、海外ではアーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインであり、ファンダムや翻訳家では柴野拓美、福島正美、浅倉久志、矢野徹らである。
新人作家たちへとそう簡単に切り替えられるものではない。
SFというのは、SFファンダムという広野の上に立っている。そのSFファンダムの中にSFファンジンが数多くきらめいている。あるいは、かつて、きらめいていた。それらを忘れてはならない。
「宇宙塵」最終巻204号は、記念すべき、そして貴重な号であると言えよう。
改めて、居住まいを正して、「長い間、ありがとうございました。「宇宙塵」!」
(2013・8・20)
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