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No.387 (Web版37号)2

SF essay(206回)

川瀬広保

星新一「つぎはぎプラネット」ほか

 9月4日の夕刊、訃報欄を見ていたら、「フレデリック・ポールさん(米SF作家)米紙ニューヨークタイムズによると、2日、米イリノイ州の病院で死去、93歳。代表作に「宇宙商人」や「ゲイトウェイ」など。雑誌編集者などとしても活躍した」と出ていた。
 また、往年のSF作家が没した。
 ご冥福をお祈りしたい。
 アーサー・C・クラークとの共著「最終定理」が思い出される。それぞれ90歳、88歳という高齢コンビで活躍していたのが、ついこの間だったように思っていたから、残念である。

 さて、9月1日発行ということだったが、8月31日に、アマゾンを見ていたらもう星新一の「つぎはぎプラネット」のレビューが載っていた。早いものだ。
 私のSFとの出会いはいくつかあるが、その大きな一つは星新一だった。SFマガジン53号に載っていた「夢魔の標的」が初めての出会いだった。その号には小松左京もアーサー・C・クラークも載っていたけれど、私が真っ先に好きになったSF作家は星新一だった。
 それから次々と新刊を求めた。最後の一行のどんでん返しが魅力的だった。簡単に読める数ページのショートショートにはまっていった。

 その星新一に、ファンレターを出し、返事をいただいた。トーコンのときにサインもいただいた。ハマナコンだったか、実物の星新一を前にして希望を述べたこともある。ショートショート作家に向かって、「夢魔の標的」のような長編をもっと書いてほしいと言ったのだ。もっとも、その時は、シャイな私は、本人の顔をしっかり見ないで、もごもごと言っていた。
 もう昔のことだ。
 さて、星新一が亡くなって、まさか星新一の新刊が出るものとは思っていなかった。
 それが、こうしてここに氏の新刊がある。まるで、奇跡のようだ。
「オリンピック二〇六四」「景気のいい香り」「ある未来の生活」など、短いものから少しずつ楽しみながら、読んでいる。これらのもっとも初期のころの作品を経て、やがて、名作「ボッコちゃん」「おーい、でてこーい」「セキストラ」などへとつながっていったのだ。頭の中の膨大なアイディアがやがて作品となって、結実していったのだろう。
 「夢魔の標的」の復刊も新潮社から出た。その解説で梶尾真治さんが、神様、星新一の性格を表すエピソードを紹介している。自作の解説をお願いしたときの詳しい電話でのインタビューの話。このエピソードには、星新一が短いショートショートを短いからといって、決して、簡単に作品化したわけではないことを示している。
 逝去16年後のこの新刊には、星新一の若いころの作品が並べられている。そこには早くもエヌ博士が出てくる。
 SF川柳・都々逸101句も面白い。
 星新一は亡くなったけれど、その作品は生きているのだというのが、私の感想だ。これからも生き続けるだろう。
 こうした新刊の発行がその証拠である。
 高井信さんの解説によると、この本を発行するのには並々ならない努力があったのだそうだ。なにせ、膨大な作品、その中には似たようなタイトルの作品もあって、すでにこれはあの本に収められているだとか、いやまだどこにも出ていないはずだなどという検証作業が大変なわけである。こういう努力には、本当に頭が下がる。

 有名な作家や作曲家などには、没後、何らかの新発見が出てくることがある。今回のこの「つぎはぎプラネット」は星新一ファンの私としては、大きな事件であり、ほとんど奇跡的な一冊だった。

                 (2013・9・11)


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