No.391 (Web版41号)3
SF essay(211回)
川瀬広保
あれこれ2
土星探査機「カッシーニ」が撮った鮮明な土星の写真を科学雑誌「ニュートン」の最新号で見られる。それは、われわれ人類が見たことがないような写真である。
土星を初めて見て、天文ファンやSFファンになったという人は多いのではないだろうか。私もその一人である。
昔、パロマーの天文台で撮られた写真と比べると隔世の感があるこれらの写真に思わず見入ってしまう。カッシーニと言えば、土星の輪の溝で有名だが、そのカッシーニ以外にも非常に多くのレコードの溝のような細かい輪の様子が写っている。
また、土星を真上から写した写真もあり、クラークの短編「土星の出」の一文を思い起こさせる。土星の嵐の様子や未知の模様ー六角形ヘキサゴンの写真には何か人工的なあるいは超自然的なものを感じる。
同じ「ニュートン」のその前号は、最新の宇宙論を学ぶのにちょうどいい特集号である。この宇宙は有限であるという証拠も、無限であるという証拠もまだ見つかっていないのだそうだ。
さて、クラークの名作「都市と星」の冒頭部分に「・・・かつては、そこにも変化や移り変わりがあったが、・・・」(山高昭訳)という一節がある。この部分の原文は、Once it had know change and alteration...である。このalterationという語がずっと気にかかっていた。changeは「変化」であるが、alterationは「部分的な変更」とか「改変」という意味で、「修繕」とか「リフォーム」というふうにも訳せる。
クラークというのは、名文家であり、単なるアイディアだけの作家ではなく、その文からにじみ出す抒情性が何ともいえず、素晴らしい。
クラークが考えた不滅の都市、ダイアスパーがそれ自身で一個の宇宙そのものであり、「十億年をこえる歳月が過ぎてゆく間、・・・奇跡のように変わることのない同じ通りを歩いてきたのだった。」(山高昭訳)という箇所まで、それだけで一つの素晴らしいSFの短編になっている。
クラークは「不変」とか「不滅」とか「永遠」ということを常に考えていたのであろうか。宇宙は永遠であり、不滅である。そう考えていたように、このあたりの文から読み取れる。
名作SFにおいては、単語ひとつでもあれこれ考えさせられる。
さて、話は変わって、岩合光昭のねこ写真展へ行ってきた。
2013年12月26日、遠鉄の新館8Fで岩合さんのギャラリートークショーとサイン会があった。ある人から招待状をもらってあったので、それがきっかけだった。もし、もらってなければ、知らないままだったかもしれない。
めったに腰をあげない私だが、岩合さんのサインがもらえるとなれば、行かないわけにはいかない。
すごい人気で、混んでいた。11時トークショー開会のところ、10時前にバスで出かけたのだが、もう整理券の番号は43番だった。100人限定でサインがもらえるのだ。
セーフである。
展示場を見て回る。おなじみの猫写真がそこにはあった。展示されている写真は写真集と大きさが違うから、迫力が違う。「これ、いいなあ」と思う猫写真が何枚かあった。
30分でトークが終り、後はサイン会である。ここもずらっと人が並ぶ。ひとり10秒ぐらいでサインと握手で人の並びが動いていく。
私がこの前、サインをもらったのは確か、ロバート・シルバーバーグだったと思う。あのときも、100人ぐらい並んでいた。もっと前では、アーサー・C・クラークにサインをもらった時だ。
「いつもBSの『世界ネコ歩き』、テレビで見ています」と私。
「ありがとうございます。今日もやりますから」と岩合さん。
本物の岩合さんと触れ合ったほんのひと時であった。2014年1月10日まで、遠鉄デパートの新館8Fでやっていますから、見たい人はぜひどうぞ。お勧めです。
それにしても、どうしてこうも人間は猫が好きなんでしょう?SF作家もSFファンも同様です。
私の意見では猫が好きな人は2割、犬が好きな人が8割、どちらも好きだとかどちらも嫌いだという人はほとんどいない。
猫が好きだという人で、猫はまあまあ好きですというような中途半端な人もあまりいないように思う。
それはこの写真展へわざわざやってくる人たちの様子を見ればよくわかるというものだ。みんな岩合さんが写した猫写真に夢中である。そして、そんな表情のある猫を撮る岩合さんの大人気だ。
私が好きな男性をあげるとすれば、その10人の中に彼が入るだろう。分野はまったく違うが、モーツアルト、クラーク、アシモフ、ハインライン、星新一、小松左京、高田明和、梅津正樹そして岩合光昭らである。
では、2013年もあと数日、2014年がよい年でありますように!
(2013・12・27)
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