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2014年5月

No.394 (Web版44号)1

SF essay(214回)

川瀬広保

「プラネットフォールー惑星着陸ー」

 マイケル・ベンソンの「プラネットフォールー惑星着陸ー」をとうとう買った。以前の「ビヨンド」や「フルムーン」も買ったが、今回のこの大型本を買ってよかったなと思う。
 これはまるで、月世界旅行や火星旅行、土星や木星旅行をしているような感覚にとらわれる素晴らしい写真集だ。
 50年前は、SFの中でのみの空想世界でのイメージだったものが、今こうして月や火星や木星や土星や太陽などの近接撮影画像を居ながらにして見ることができる。なんと素晴らしいことであろうか。
 その昔は、火星には運河があると想像されていた。土星の輪の溝もせいぜい一本のみが見えて、細密な無数ともいえる溝は見えなかった。
 木星の荒れ狂う縞模様。土星の模様はまた違う。それぞれの衛星が親惑星の周りをまわっている様子を見ると、これはもうただ素晴らしいという言葉だけではない。宇宙に対する畏敬の念を感じさせられる。
 われわれ人間は地球上の一生命に過ぎない。わずかせいぜい80年程度を生きる哺乳動物にに過ぎない。その人類を産み、育てた地球という青い惑星は、岩石がころがっているだけの荒涼たる火星に比べると、なんと生き生きとした生命あふれる母の星であるかということを、再確認させてくれる。
 小惑星もこの写真集にはおさめられている。また、ギラギラと熱を発散する恒星ー太陽の写真を見ると、これが宇宙のエネルギーのもとなのだと実感する。
 この間、浜松天文台で木星を見た。比べるべくもないとわかっていても、木星近辺まで行って撮った木星の細密な写真を見せられると、また趣や感慨がまったく違う。
 とにかく、われわれはこの広大な宇宙の中の時間、空間ともにちっぽけな存在でしかないのだ。
 その大切な地球で、人類は争っている。大きくは、国どうし、小さくは、家族の中で、毎日のように意見が違うとか、ここまではわれわれの領土だとか、お互いに譲らず、主張して、ケンカや言い合いの種に困ることはない。
 アメリカやヨーロッパや日本の探査機が撮ってきた数々の惑星写真を、著者のベンソンは芸術的に取捨選択し、つなぎ合わせて見事なパノラマ写真を見せてくれる。
 雨や曇りで、天体観測ができない日は、この写真集をじっくり見るのもいいのではないだろうか。
 遠くから、想像力をかきたてて火星や土星を見ているのがいいのか、グーッと接近して、クレーターや石ころや川が流れたような跡を見るのがいいのか、さあどちらでしょう。
 あの人は美人だなあと思って、ある程度の距離から見ていても、接近していったら、やっぱりしわがあったとか、シミがあったなどというようなレベルの話ではないが、人類は宇宙へと進出していき、宇宙の謎を解明しなければいけない。
 この写真集を見ていると、いろいろなことを考えさせられる。想像力をかきたてられる。
 われわれは今まで見たことのないものを見たいのである。
 夢がある。
 火星へ行ったり、木星や土星の衛星へ行ったりしたくなるのが、人類のフロンティア・スピリットというものである。
 実際に火星へも土星へも木星へもタイタンやイオにも簡単には行けないのだが、探査機が撮ってきた写真を見て、想像することができる。そこには、ワンダーがある。
 万人におすすめの一冊である。
 われわれひとりひとりは、地球の一角に住むヒトに過ぎないということをこの写真集は感じさせてくれた。
 この本の前書きで、ベンソンはアーサー・C・クラークやその著作を大いに引き合いに出している。そうした点でも、この本に親近感を持つことができた。
 人体を従来の内視鏡で見る時代から、小さなカプセルを飲みこんでくまなく探査する時代が始まっている。
 宇宙もいろいろな探査機が出かけていって、各惑星や太陽などの写真を見ることができるようになった。
 時代は確実に進歩していて、かつてSFだったことが、もう現実化しているのだ。
              (2014・3・22)

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