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2014年6月

No.395 (Web版45号)2

SF essay (216回)

川瀬広保

 『柴野拓美SF評論集』

 東京創元社から待望の柴野さんの遺稿集とも言うべき660ページもある分厚い一冊が出た。牧 眞司 編『柴野拓美SF評論集 理性と自走性ー黎明より』である。
 ほぼ2日で読み終えた。
 懐かしのあの日々がよみがえってくる。
ページをめくれば、SFが熱かった時代の様子がまざまざとあらゆるページからよみがえる。SFファンであること自体が熱かった時代だったのだ。
 読んでいくと「ルーナティック」や「テラ」の名前も載っていた。
 この分厚い本は柴野さんがSFに一生をかけたその履歴であり、まえあSFファンダム史であり、有名になった星新一や小松左京らの歴史でもある。この一冊の本の中にいろいろなものが詰まっている。
 ある著名な作家や著作者の自伝には限られた人々しか出てこないが、この本にはそういうことはない。SFに関わった人たちやSFファンであった人たちがどのように活動したか当時の様子がまざまざと思い起こされるように活写されている。懐かしの名前がいたるところに出ている。

 「宇宙塵」は出るべくして出た「芽」であったのだ。そして、その「芽」はやがて大輪の花として咲いたのである。
 私も「宇宙塵」に2編の翻訳を載せてもらった。たったそれだけのことだが、そのころ大学生だった私はSFファンジン「テラ」を出すと、すぐに柴野さんのところへ送った。そして、「宇宙塵」でレビューしてもらうことがうれしかった。たとえ、数行の批評でもうれしくて、また次の号を出そうと努力したものだ。
 柴野さんは今思っても、SFファンを育てる「教師」だった。そして、常に日本全体のSF界を育てようということを考えていらっしゃったのだろう。この本はSF界の多くの人に読んでもらいたい。また、すでに過去を知っている人たちも再読する価値は十分にある。
柴野拓美という名はもっと評価されていい。この名前がなかったら、日本SF界は今のように発展しなかったはずだ。作家は出ても、まとめる人がいなければ「SF」という分野は育たなかったであろう。氏の働きの代わりをするような人はいなかった。この本が柴野拓美という名の再評価になることを望んでいる。

 内容は、

 「わがSF人生」
 「SF論」
 「SF随想」などと11の柴野さんが書かれた文章をまとめたものである。
 「ファン活動」などのページが私にとって、一番興味深かった。
 もちろん、どのページもすべて興味深い。初めて読む文も多くて、私が「宇宙塵」の会員になる以前の号に収録されていたものも載っているので、昔のことがわかって面白かった。貴重な日本のSF史であり、SFファン史、SFファンダム史でもある。
 SFという分野はこれからもずっと続くはずだ。柴野さんが種をまき、育てた日本のSFや日本に紹介された外国のSFは、50年以上前からさらに今後へと、どのように続いていくのだろう。
 想像力というものがなくならない限り、SFは存続するだろう。 
 それにしても、柴野さんは博学だった。レビューを読むと今更ながら、そう思う。柴野さんにとって、翻訳は余技だったという伊藤典夫さんの言葉が思い出される。「宇宙塵」の発刊とその編集、膨大なレビュー、手紙などを書いたり、ファン大会へ出席したりするだけで精一杯なのに、小隅黎というペンネームでまた、膨大な翻訳をされ、その他の仕事もされたのだ。読みながら、そんなことを改めて感じた。
 この貴重な一冊はSFに関わるすべての人におすすめである。
 この本については、気づいたら、また何か書くことになるかもしれない。
               (2014・5・19)

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No.395 (Web版45号)1

 はるこん2014 アフターレポート

by 渡辺ユリア

 2014年4月12日〜13日まで川崎市のサンピアン川崎でひらかれました。私は12日のおひるの12:00からの『少年文芸作家クラブとは何だったか』の分科会に行きました。入ってびっくりしました。作家で研究家の南山宏先生が壇上にみえました。もちろんSFマガジンの第2代編集長であられた方です。1968年に“少年文芸作家クラブ”が創立だったそうです。福島正美氏が作家さんだけでなくイラストレーターさんに声をかけてそのクラブに入会してもらい、盛光社やいろいろな児童向けのシリーズを刊行していったみたいです。南山氏のいろいろな話がきけて超貴重な時間がすごせました。では
                     2014.4.21 yullia

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No.394 (Web版44号)2

SF essay(215回)

川瀬広保

 STAP細胞

 STAP細胞があるのかないのかで、日本国じゅうが揺れている。渦中の小保方さんの70日ぶりの記者会見の模様をずっと見ていたが、これだけ騒がれた人も最近珍しい。
 万能細胞があれば、難病が治ったり、治療への道が開かれたりするかもしれないという光明を人々が見たからだろう。
 科学の世界ではある日、どこかで何の前触れもなくブレークスルーが起こるものだ。答えは案外簡単なところにあるのだ。
 昔、文を書くときは手書きだったのが、ある日、ワープロというものが出現しだれでも活字の文章を手軽に書くことができるようになった。
 それが、あっというまに、ワープロは消え、パソコンのソフト「ワード」などで文章を書くことが当たり前になった。
 同じことはケータイとスマホにも言える。
 一方、iPS細胞やSTAP細胞を作り、体の臓器を若返らせるかつてのSFみたいなことが本当に可能になる時代がもうそこまできっと来ているのだろう。
 報道される一連のニュースを見ていると、何かまだわからないものが理研側にも小保方さん側にもあるように思う。昔、人が空を飛べるなどとは思わなかった。そんなことを言った人は揶揄された。ところが、ライト兄弟の簡単な飛行機によって実現したし、明かりも、ろうそくから電球へと変わった。地動説は有名な話だ。
 「モロー博士の島」を引き合いに出すのは、まだ早すぎるかもしれないが、だれもが思いつかなかった方法で、新しい細胞を作ることはできるのだろう。
 日本の若くて優秀な人材の芽を摘んでしまうことになったら、日本は100年に一回の大発見を逸することになり、諸外国にその偉業を取られてしまう。
 もっと時間をかけて実験を続けてほしいし、STAP細胞作製の方法を確立してほしいものだ。
 今のところ、これは一時の夢だったということだとしても、さらに何年か後にあれは快挙だったということになれば、待った甲斐があったということになろう。

 アーサー・C・クラークが次のようなことを言っている。
「もし、年配の著名な科学者が、何かが可能だと言えば、ほとんど確実に正しい。だが、もし不可能だと言えば、ほとんど間違っている」
 (If an elderly but distinguished scientist says that something is possible, he is almost certainly right; but if he says it is impossible, he is very probably wrong.)


朝のNHK連続ドラマ

 「花子とアン」

 前回、NHK朝の連続ドラマにはまったのは、「ゲゲゲの女房」だった。今回はこの「花子とアン」にはまっている。
 映画「赤毛のアン」は何度も何度も見た。その中のいろいろなエピソードがこの連ドラに隠されている。それを思うと、2倍にも3倍にも楽しめる。山梨県の甲府弁はこのあたりの遠州弁に通じているらしい。ずら言葉が面白い。
 子役の9歳の子の演技がすばらしい。モンゴメリの原作「赤毛のアン」の日本語訳を出したのが、村岡花子だった。そのお孫さんが書いた本を元にしている。
 このドラマはいろいろなことを考えさせてくれる。老若男女を問わず、考えさせられるものがある。
 貧農の子に生まれたが、本が好きで、主人公のはな(花子)は勉学に励む。どの時代においても、努力しなければだめだということを教えてくれる。
 明治から大正のあの時代は、貧富の差は歴然としてあった。だが、どんなに貧しくても、人々の矜持というものはある。華族のお嬢様なんかに負けるなという言葉にそれが表れている。幼いころに、貧しかったからこそ、その後の輝かしい人生があるのだ。
 そして、10歳のころから、親元を離れて有名な女学校で英語を学んでいたことが、後の「赤毛のアン」の翻訳へとつながる。
 毎日、楽しみながら見ている。
 もとの「赤毛のアン」を繰り返し映画で見てあったこと。後の高名な翻訳家の物語であるということ。主人公や校長や教師が英語をしゃべる場面が出てくること。昔懐かしい」農家のーそれもかなり貧しい農家の生活がよく描かれていること。
 こういったことが私の興味をひいた。
 まだ、ストーリーは大きく展開していく。「ゲゲゲの女房」とは違った面白さに毎日、見ている。皆さんは見ていますか。
                  (2014・4・20)

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