No.395 (Web版45号)2
SF essay (216回)
川瀬広保
『柴野拓美SF評論集』
東京創元社から待望の柴野さんの遺稿集とも言うべき660ページもある分厚い一冊が出た。牧 眞司 編『柴野拓美SF評論集 理性と自走性ー黎明より』である。
ほぼ2日で読み終えた。
懐かしのあの日々がよみがえってくる。
ページをめくれば、SFが熱かった時代の様子がまざまざとあらゆるページからよみがえる。SFファンであること自体が熱かった時代だったのだ。
読んでいくと「ルーナティック」や「テラ」の名前も載っていた。
この分厚い本は柴野さんがSFに一生をかけたその履歴であり、まえあSFファンダム史であり、有名になった星新一や小松左京らの歴史でもある。この一冊の本の中にいろいろなものが詰まっている。
ある著名な作家や著作者の自伝には限られた人々しか出てこないが、この本にはそういうことはない。SFに関わった人たちやSFファンであった人たちがどのように活動したか当時の様子がまざまざと思い起こされるように活写されている。懐かしの名前がいたるところに出ている。
「宇宙塵」は出るべくして出た「芽」であったのだ。そして、その「芽」はやがて大輪の花として咲いたのである。
私も「宇宙塵」に2編の翻訳を載せてもらった。たったそれだけのことだが、そのころ大学生だった私はSFファンジン「テラ」を出すと、すぐに柴野さんのところへ送った。そして、「宇宙塵」でレビューしてもらうことがうれしかった。たとえ、数行の批評でもうれしくて、また次の号を出そうと努力したものだ。
柴野さんは今思っても、SFファンを育てる「教師」だった。そして、常に日本全体のSF界を育てようということを考えていらっしゃったのだろう。この本はSF界の多くの人に読んでもらいたい。また、すでに過去を知っている人たちも再読する価値は十分にある。
柴野拓美という名はもっと評価されていい。この名前がなかったら、日本SF界は今のように発展しなかったはずだ。作家は出ても、まとめる人がいなければ「SF」という分野は育たなかったであろう。氏の働きの代わりをするような人はいなかった。この本が柴野拓美という名の再評価になることを望んでいる。
内容は、
「わがSF人生」
「SF論」
「SF随想」などと11の柴野さんが書かれた文章をまとめたものである。
「ファン活動」などのページが私にとって、一番興味深かった。
もちろん、どのページもすべて興味深い。初めて読む文も多くて、私が「宇宙塵」の会員になる以前の号に収録されていたものも載っているので、昔のことがわかって面白かった。貴重な日本のSF史であり、SFファン史、SFファンダム史でもある。
SFという分野はこれからもずっと続くはずだ。柴野さんが種をまき、育てた日本のSFや日本に紹介された外国のSFは、50年以上前からさらに今後へと、どのように続いていくのだろう。
想像力というものがなくならない限り、SFは存続するだろう。
それにしても、柴野さんは博学だった。レビューを読むと今更ながら、そう思う。柴野さんにとって、翻訳は余技だったという伊藤典夫さんの言葉が思い出される。「宇宙塵」の発刊とその編集、膨大なレビュー、手紙などを書いたり、ファン大会へ出席したりするだけで精一杯なのに、小隅黎というペンネームでまた、膨大な翻訳をされ、その他の仕事もされたのだ。読みながら、そんなことを改めて感じた。
この貴重な一冊はSFに関わるすべての人におすすめである。
この本については、気づいたら、また何か書くことになるかもしれない。
(2014・5・19)
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