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2014年9月

No.398 (Web版48号)2

追悼 亀沢邦夫

ワープロ恩人のカメザワさん

林 久之

 つくばのSF大会で、亀澤さんのこと初めて聞きました。去年倒れたことも知らなかった。
 なんで情報来なかったのかなあ。
 うちは静岡新聞とってなかったし、お通夜の時間には、引佐・伊平の長興寺で、面装束を着けて暑さにふらふらしながら「羽衣」を舞ってました。

 おおげさに言えば、亀澤さんがいなければ今の自分はいなかったと思う。
 彼の面識を得たのは、はまなこん2のときだったと記憶している。
 ワード・プロセッサなるものが発明されたと聞いても、じぶんにはとても使いこなせないだろうと、漠然と思っていたのだが、「中国SF資料」を出したいと言ったとたんに、それじゃワープロ覚えなきゃ、うちで練習して、と半ば強引に誘われて、片道20キロの道を森町まで毎週通う仕儀となった。
 最初はご多聞にもれずキーボードの上を指がうろうろ、目はグリーンディスプレイと手元と原稿の間をさまよい、パナソニック製のそのワープロが二百 万もすると聞いてはさらに手の震えもひとしお、なんでも最初に発売された東芝製は六百万もしたので、これでもずいぶん安くなってやっとパーソナルで使える値段になったと聞かされたものだった。

 システムの起動にしても今じゃ骨董店にもない五インチのフロッピーディスクをガチャガチャと読み込んで、これも八インチより進化したものだと聞かされ、自分の知らないところでテクノロジーは進化してるんだと実感したものでした。
 それがキーボード中毒になるまではアッという間のこと、北京に出張したときも、今はなきPCー6601を無理して持ち込み、それはなぜかといえば、ワープロソフトの「ユーカラ」が標準でついてきたから。
 一時帰国の際には東芝ルポの専用機を購入、あちらでも原稿を書くようになった。帰国後はさらにディスプレイの改良されたものに買い替え、まもなく買い替えがもったいないと感じてPC用ソフトの一太郎、自分用にエプソンPC286を買ってからは「松」を使うようになり、付属の辞書である「松茸」は定年退職まで使い続けていた。
 それもこれも、みんな亀澤さんのおかげだったのです。
 で、ワープロ遍歴の合間に彼の書いたモノを読んでは、理系人間が文章力をみがくとここまで進化するものかと大いに拍案驚奇、賛嘆これ久しくすることもしばしば。星群に発表の短編も、ルパン三世のノベライゼーションも、スペース・シークレット・サービスの連作も書いた本人が極度の方向オンチだとは信じられないほど面白くて、作者が知人であることなど忘れて楽しんだものだった。
 惜しむらくはもう少し早く、活字メディアが衰退する前にデビューしていたらと、それが残念でならない。
 SFと関わっていないときの彼は町の電器屋さんで、そちらのつきあいも色々あった。帰国後二つ目に転勤した先が、彼の母校である県立森高校、カメザワデンキの目と鼻の先だったし、退職後自治体の厄、いや役をやっていたときはワイヤレスアンプや洗濯機を納入してもらったことも。そのときに本人も認めていたとおり、ずいぶん変貌していて、成人病対策でダイエットしたせいだったらしい。ほかにもPCや通信のトラブルが起きるたびに連絡して飛んできてもらったし、都合がつかないときは弟さんがきてくれたこともあった。いまでもPCにはあまり詳しくないので、また何かあったら電話しようとは思っていたのだけれど、去年倒れたままだったとは。
 WindowsがXPから7に変わるときも、よっぽど問い合わせようかと思ったのに、電話しないで済んだのは幸か不幸か。
 こちらもそろそろ脳の機能が怪しくなってきたことだし、彼が亡くなったことを忘れて電話してしまうかも知れない。そうすると、この世にいないはずの彼が電話口に出て用件を聞いてくれたりして……というのは彼の書きそうな話だな。そのあと、どう展開したらいいのか、思いつかないけれど。

 ついつい思い出話を長々と書いてしまいました。下書きなしの雑文ですが、PMに掲載できるようでしたら、適宜編集して掲載してくださっても結構。題は「ワープロ恩人のカメザワさん」とでもしたらいいかな。
そんなわけで年寄りの長話、失礼いたしました。

 編集を後輩に譲った「中国SF資料」もこの夏には10号が出ました。そのうちお送りしますので、目を通していただければさいわいです。

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No.398 (Web版48号)1

第53回日本SF大会「なつこん」アフターレポート

in つくば国際会議場 2014年7月19日〜20日

by 渡辺ユリア

SF天文同好会、第6回でもらったちらしの中のラディ・オービター(米国のNASAが打ち上げた月探査機)の擬人化した少女。
( ※ 印刷版PAPERMOON No.398 3ページのイラスト参照)
ラディは、史上初の月・地球間のレーザー通信にも挑戦し、みごと成功しました。
打ち上げは、平成25年9月で、その後100日間(平成26年2月中旬)探査(月の大気を)その後は、まだ月を周回しているかは正確にはわかりません。
そのちらしは、ラディを支援するLIMEプロジェクトの非公認応援企画THE LIME M@STERのちらしです。HPもあるらしいのでもし興味がある方は、そちらをのぞいてみて下さい。同好会の分科会では去年の9月のラディの打ち上げ時にさつえいされた(夜だったので)ワシントン市と飛行の光のすじの写真の大うつしした映像も見れました。ワシントン市の夜景もキレイでした。でも、もし失敗したら…ぞーっとしましたね。何か打ち上げの時にカエルが巻きこまれて打ち上がったとか…というウワサもききました。では

                   2014・7・27 yullia

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No.397 (Web版47号)1

SF essay (218回)

川瀬広保

「華氏451度 新訳版」
「SFマガジン創刊700号記念特大号」
「SFファンジン・データベースVer.1.4」

 レイ・ブラッドベリの不朽の名作「華氏451度」の新訳版がとうとう出た。
伊藤典夫さんの訳である。最近、過去のSFの新訳版がいろいろと出ているが、この作品も50年ぶりの新訳である。
 買って、まず読むのは訳者あとがきだ。
それによると、伊藤さんはこの作品を自分で訳したかったのだそうだ。また、献辞についての言及がなるほどと思われる。かつて、宇野利康訳で読んだ時も、この献辞の意味がよくわからなかったが、今度の伊藤氏の訳なら、なるほどと納得される。
 原作は消防士が火事を消すのではなく、逆に本を燃やすという逆転の発想が、斬新で読むものをひきつけた。
 「猿の惑星」では猿が地球を支配し、人間は猿に支配されているという発想、また、「超生命ヴァイトン」のように人間は実は他の生命の家畜だったという発想。
 こういうところが、SFの醍醐味である。
 SFでも映画でも原作が出てから、長年が過ぎるとリメーク版や新訳が出る。もとの作品は変わらなくても、翻訳者が変わると訳されたものは雰囲気が変わるものだ。時代が変わると言葉づかいも変わってくるので、大変である。
 レイ・ブラッドベリの「華氏451度」のような名作は、これからもずっと読まれ続けるべきだ。そのためには、このような新訳が発行されることはとても意義深い。

 SFマガジンが700号を迎えた。
 この分厚い、2900円もする創刊700号記念特大号は、SFマガジンのアーカイブである。私は53号からの読者だから、それ以前の号に載っていた作品や記事には大いに興味があった。
 たとえば、矢野徹の「SF赤げっと」、〈特別レポート〉「第一回日本SF大会」など冒頭の50ページあたりまでのごく初期の記事は大変貴重だ。
 SFマガジンは日本のSFの歴史そのものである。「宇宙塵」と同じく、この一冊の特大号は日本にSFを根付かせたSFマガジンという雑誌の60年近くの歴史である。
「宇宙塵」については「柴野拓美SF評論集」という記念すべき一冊が出たばかりであるが、SFマガジン創刊700号記念特大号もずっしりと重みのある、忘れてはいけない号である。先人たちがいかに努力したか、どんな作品を書いたのかずっと保存しておかなくてはいけない。

 さて、この原稿を書き終えようと思っていた日、森東作さんから「SFファンジン・データベース」Ver.1.4が送られてきた。
 さっそく、自分の書いた「SFエッセイ」を検索してみた。ずっと昔に書いたものもちゃんと記録されていてありがたい。SFファンジンの構築というような活動は、地道だが、大変貴重である。このような活動をする人がいるからこそ、SFやSFファンダムの歴史が作られていくのである。
 森さん、ありがとうございました。これからもご活躍ください。

 さて、猛暑の日々が続く。この原稿を書いている今、東海の最高気温は38度になると報じられている。熱中症にならないように、家にひきこもっている。次から次へと事件や事故が起こっている。気をつけないといけないことが多い。
                 (2014・7・25)

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