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2015年4月

No.400 (Web版50号)5

東海SFの会が参加している(もしくはする予定の) 同人誌即売会、イベント


ルーナティックを並べているイベントです。必ず全てのイベントに参加しているわけではありませんが、SF大会、コミックマーケットなどには、できる限り参加するようにしています。以前は多くの団体が各地で同人誌イベントを開催していましたが、最近は団体の数も少し減ってきています。これ以外にも各地でコンベンション等がありますが、今後、予算や日程などを考えながら参加を検討していきたいと考えています。



「第54回日本SF大会 米魂(こめこん)」
米子コンベンションセンター ビッグシップ
http://www.comecon.jp/ja/top.html
毎年夏に開催される日本SF大会。ディーラーズブースにルーナティックを置いています。2015年の日本SF大会は、鳥取県米子市です。


「コミックマーケット」
東京ビッグサイト
http://www.comiket.co.jp
世界最大の同人誌イベントです。夏と冬に行われています。どちらも参加したいのですが、抽選に漏れることもあります。


「文学フリマ」
最近は東京流通センター 第二展示場で行われています。
http://bunfree.net
文学系の同人誌イベントです。秋葉原で始まったイベントですが、だんだん規模が大きくなってきて、秋葉原から蒲田、そして今は東京流通センターに。


「文学フリマ大阪」
堺市産業振興センター イベントホール
http://osakabunfree.com
大阪地区で開催されている文学フリマです。2015年は3回目の開催です。


「文学フリマ金沢」
ITビジネスプラザ武蔵
http://bunfree-kanazawa.hatenablog.jp
はじめて北陸で開催される文学フリマです。2015年4月から開催されます。参加を予定しています。


「はるこん」
関東圏の各都市を巡回開催しています。2015年は川崎です。
http://www.hal-con.net/ja
日本で再びワールドコンを開催することを目的にしたSFコンベンションです。毎回、海外の作家をゲストに迎えています。そのゲストの作品の翻訳本を毎年つくっています。ディーラーズに参加しています。


「DAINA⭐︎CON」 小規模の時は「ちィなこん」
宗教公園 五色園(愛知県 日進市)
http://dainacon.cosmichorror.org
名古屋圏で昔から行われているSFコンベンションです。合宿型のイベントで、深夜まで様々な企画のトークショーなどが行われています。深夜のバーベキュー、鉄板焼き等の料理や、参加者持ち込みの様々な飲み物なども楽しみの一つです。


「コミックライブ」
http://www.youyou.co.jp/index.html
全国各地で開催される同人誌即売会です。主に「コミックライブin名古屋」などの名古屋のイベントに一年に一回くらい参加しています。以前は静岡県内のイベントにも参加していたのですが、参加している人たちの層がルーナティックとはちょっと離れてきたようなので、最近は名古屋のみの参加です。

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No.400 (Web版50号)4

祝PM400号!

私的な回顧録

川瀬広保

6 これからのこと

 400号記念号は一つの到達点である。
 それは大変記念すべき、おめでたいことであって、お祝いをしなければいけない。
だが、前期高齢者の歳を超えて、大事なことは過去を思い出し、記憶を呼び戻すことだけではなく、未来を考えることだと痛切に思う。
 そうでないと、目標もなくなるし、「ボケちゃうぞ」と心の中で、もう一人の自分が言う。
 簡単に言うと、怒られそうだが、次は500号であろう。昔はこうだったという話だけでなく、今度は何をやろうか、読もうかなどと考えないと、人間はだめになってしまうと思うようになった。
 実は読んでいないSFの名作がまだまだ、たくさんある。
 書庫にはそれらが眠っている。SFマガジンもサンリオ文庫も早川SF文庫も創元SF文庫もSFのペーパーバックもそのままになっている。
 本は増殖する。書棚にもうとうていおさまりがつかない。かといって、簡単に処分しようとは思わない。
 SFにも分野があって、例えば、ペリーローダン・シリーズはほとんど買っていない。グイン・サーガも同様。好き嫌いはあって当然だし、すべてのSFやその周辺の本を読むことはできない。
 これが、悩みと言えば悩みだ。
 考えられることは、いつまでもとっておくことと、いずれは処分またはだれかに譲ることだ。
 新訳本が出たから、もとの本は処分してもいいとは考えられないし、どんなに古いものも思い出があって、捨てられないものである。

 さて、SFファンダムというのは、二つの人種があるという昔の話を思い出す。
Fandom is a way of life.というのと、Fandom is just a goddamned hobby.という話だ。「SFファンダムは人生の生きる道である」という考えの人と、「SFファンダムってえのは、くだらない趣味さ」という人である。
 私はPMを通して、SFやSFファンダムは人生の生きる道になっているようだ。
 だとしたら、健康不安があっても、年金暮らしでもSFファンは続けなければいけない。いや、固く考えるとよくないから、楽しく続けたい。
 『ドラえもんプラス6』の最新本が12月1日に、小学館から出るという情報を得た。8年ぶりだそうである。こういうニュースもこれからのことを考えるよいニュースだ。出たらさっそく、買おうと思っている。
 ほかにも「はやぶさ2」はもうじき打ち上げられそうだし、新しい話題は次々と出てくるだろう。1999JU3という小惑星を目指すのだそうだ。かつてSFは、2015年ごろの未来を描いていた。だが、実際にその年になるとどんな素晴らしい未来が現出するのだろうか。技術はどんどん発展・発達するが、心はなかなかよくならない。SFはイマジネーションだから、明るく良い未来も想像できるはず。そのイマジネーションが現実になれば、未来もよいものになるだろう。

 この原稿をそろそろ書き上げようと思っていたころ、SFマガジンの新しい号を入手しさっそく見ていたら、信じられない情報が目に飛び込んできた!
 何とSFマガジンは来年から隔月刊になるとのこと!!
 私は、思わず声に出して、「ええ!!」と叫んだ。
 SFマガジンに限らず、ミステリマガジンも同様とのこと。
 創刊55年にして、SFマガジンはとうとう隔月刊になってしまうのか!
 寂しい限りである。雑誌というものは毎月、決まった日に発行されてこそ、雑誌である。かつて、「SFアドベンチャー」や「奇想天外」といったSF雑誌が書店に並んでいた時代もあったが、もう今は昔の話だ。
 SFマガジンが消えてしまわないことを祈るのみだ。

 というわけで、人生何が起こるかわからないが、このSF界も何がおこるかわからない。
 われらのPMは400号に到達したが、さらなる高みを目指していきたいものだ。
 人間の想像力で良い未来が待っていることを望みたい。
  みなさん、お互いに頑張りましょう。

                     (2014・11・27)

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No.400 (Web版50号)3

祝PM400号!

私的な回顧録

川瀬広保

1 SFとの出会い

 昔、書いたことと重複するかもしれないが、私はSFファンになる前は、天文ファンであった。そのきっかけは野尻抱影の一冊の本であったように思う。その本の口絵に写真(?)の素晴らしい土星があった。この本を読んだのが12歳ぐらいの小学生のころだった。
 自分でも土星を見たくなった。それが実現したのは、中学生になって手製の望遠鏡を使って、夜空を見たときである。また、学校に理科教材を売る業者が出入りしていて、当時700円のごく簡単な手動式簡易望遠鏡を販売に来たことがあった。何しろレンズは単レンズ、窓にくくりつけて手で動かし、調整するといういわば、大人から見ればおもちゃのようなものだったが、私は毎夜、それを使って月や惑星、特に土星を見ようとしていた。
 揺れる視野内にちっぽけな輪のようなものがあるのを見つけ、「あ、これが土星か!」と思い、うれしくて、興奮した。
 やがて、高校生のころになると、8センチのもっと大きな望遠鏡を手に入れるようになった。アストロ光学というメーカーが販売していたものだった。
 だが、何回見ても、ある大きさ以上のくっきりとしたクレーターや土星が見えるわけでなく、自然に私はSFへと興味が移行していった。私は、天文ファンではあるが、何年たっても技術は向上していない。
 さて、現実の科学の発展は遅々とした歩みでしかなく、透明人間もタイムマシンも月世界旅行もタコ型宇宙人の地球襲来もそんなに簡単に現実化するわけではないということがわかるころ、私は「SFマガジン」と出会うことになった。

2 東海SFの会へ入会

 東海SFの会入会のころ、私はまだ高校生だった。今もある谷島屋連尺店の中に、「SFマガジン」を見つけた。「SFマガジン」という雑誌があることを、その書店へ行く前に、福島正実が新聞に投稿した文の最後にSFマガジン編集長とあるのをみて知っていたのだ。
 見つけたのは53号だった。高校生の私は、SFという言葉は知っていても、SFマガジンなるものがどういう雑誌なのか知るはずもなかった。もしかしたらいかがわしい雑誌なのではないかなどという警戒心もあった。だが、そんな心配は見事にはずれた。この号を見つけなければ、星新一を、小松左京を、アーサー・C・クラークを知るのはずっと遅くなっていただろう。53号から、私はSFマガジンをずっと購読している。
 そして、ある号のSFマガジンの「てれぽーと欄」に東海SFの会の会員募集記事を見つけたのである。その号は今でも探せば、書庫のどこかにあるだろう。
 白柳孝さんこと、広柳高さんの名前を見つけて、入会したいという手紙を出した。白柳さんが広柳になっていて、孝が高になっていたので、白柳さんは、郵便受けの氏名を急きょ、広柳高にしたのだということを、訪問時に教えてもらった。メールも何もない時代で、電話で早川書房へ伝えたら、氏名を間違われたらしい。

3 「ペーパー・ムーン」を知る

 東海SFの会には「ルーナティック」というファンジンがすでに存在していた。また、「ペーパー・ムーン」という連絡誌が出現するのはすぐ後だった。
 私は、白柳さんから「ルーナティック」に何か書いてほしいと言われたのがきっかけで、書き始めたのである。
 初めて、載せてもらったのは確か「2001年宇宙の旅」「猿の惑星」の映画評だったように記憶している。このころは、大学生だった。東京の映画館で見ていた。どちらも大評判の映画だった。浜松では上映しなかったのだろう。
 連絡誌は「ペーパー・ムーン」と名付けられ、それにも文を載せてもらうようになった。最初は単発のエッセイや映画評、書評などの文章だったが、少しして、「SFエッセイ」と題して、毎月書くようになった。
 もちろん、書かない、あるいは書けないときもあったから、必ず毎号、載せてもらったわけではない。
 東海SFの会にもあれこれあって、PMが「純粋桃色新報」などという名前に変わったこともあったが、私は何かしら書き続けた。

4 「SFエッセイ」を書き始めた

 「SFエッセイ」は私にとって、おおげさに言えば、私の人生とともにあった。後日、『SFエッセイ』という私的な本を出版したし、また、さらに、『SFファン48年』という本も出した。それらの中に載っている文は、ほとんど、PMのこの「SFエッセイ」からのものである。
 書庫の奥の方を探してみたら、Paper Moonの24号(昭和58年2月1日)に「SFエッセイ① SF本さがしある記」が載っていた。
 ちょっと引用してみよう。

 

 週に一度ぐらいは必ず本屋へ行く。二週間行かないでいると、不安になってくる。何か新刊が出ているのではないかと気になるからだ。結局、読みもしないで終わる本のために出費がかさんでも、これはやめられない。(中略)
 最近は、明屋書店、戸田書店へよく行く・・・。(以下略)

 昔はよく行った書店名が出てくるところが懐かしい。その数号あとには、〈今月のSF〉①というのが載っていて、題は クリフォード・D・シマック「宇宙からの訪問者」となっている。

 ファンジンというのは、好きな人が集まって、好きなことをやればいいので気が楽である。
映画が好きな人、漫画が好きな人、翻訳が好きな人、絵が好きな人など、それぞれ好きな分野で活躍すればいいのだ。
 私の場合、SFに関係したエッセイを書き連ねて、福田さんのところへ送って、PMに載せてもらうということを、222回ぐらい続けたわけである。
 このことがささやかな私の人生の生きがいになったわけであり、今もそうである。
 それが長く続いた。みなさんのおかげである。
 手元にある自著『SFエッセイ』の最初の部分を見ると、昭和61年となっている。それ以前のものを探すのに役に立つのは、森東作さんのデータベースである。
 それによると、私の「SFエッセイ」の第一回は1983年の「SF本さがしある記」となっていた。これによって、私は前述の「SFエッセイ① SF本さがしある記」を見つけ出したのだ。
 森さんのデータベースはまったくありがたい。

5 PM400号

 400号と言えば、33年以上の年月が経過している。単純に計算してみると、2回に1回の割合で、何かしら文を送って、掲載してもらったことになる。ファンジンのいいところは、何か書いて送れば、必ず載せてくれるということだ。これが、新聞への投稿とかSFマガジンの「てれぽーと欄」などへの投稿となるとあれこれ気を使う。
 そんな私の文を、最初のころは白柳さんが載せてくれた。その後、古橋さんが私の文を手書きで書き直して載せてくれた。
 一番長く載せ続けてくれたのが、福田さんである。まことに感謝にたえない。
また、最近は東海SFの会のウェッブ版に新村さんがPMに載ったエッセイなどをアップしてくれている。こちらもありがたいことである。
 自分のことばかりを書いていて申し訳ないが、もちろん、PMにはたくさんの方が寄稿されている。これをまとめれば、PMだけで一つの歴史が出来上がろうというものだ。

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No.400 (Web版50号)2

祝PM400号!

私的な回顧録

川瀬広保

 11月のある日、福田さんから一枚のはがきが来た。めったにないことだから、急いで用件を見た。
 PM400号のための原稿依頼だった。古くからの東海SFの会の一会員として、原稿を遅らせるわけにはいかない。
 まず、「PM」400号達成、おめでとうございます。一口に400号というけれども、これは大変な数字だ。ちりも積もれば山となるとか、継続は力なりなどという当たり前の言葉では言い尽くせない。「そうか、400号になったのか」とはじめは思ったが、これは大変なことで、関係者のご努力に敬意を表したい。
 私は翌日から、さっそく、あれこれと書き始めた。まとまったちゃんとした文はなかなか書けないが、とにかく書かなくてはと思い書くことにした。
 どんなふうに書こうか。これはやはり、歴史のあるわれらの東海SFの会、その連絡誌「PM」の思い出を書くことになるだろうと思って、いくつかの章に分けて書くことにした。もちろん、「PM」だけではなく、「ルーナティック」のことも「SFマガジン」のことも私自身のことも含まれることになる。

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No.400 (Web版50号)1

400号ってすごいよね。

初村良明

 ペーパームーン400号、おめでとうございます。
 40年ですか。これだけの長きに亘り続けてこれたのは、創刊してくれた白柳さんや杉山さんの力はもちろんのこと、ここに至るまで原稿を寄せてくださった会員や非会員でありながらペーパームーンに協力してくれた皆さんのおかげです。東海SFの会の会員として改めてお礼申し上げます。
 今でこそペーパームーンはワープロ打ちの月刊情報誌として発行されていますが、創刊当時は他のファンジン同様、手書きで不定期刊でした。一時は会の活動も滞って、会員同士の交流も絶えていました。それを解消する手助けをしてくれたのが、「浜松まんが文化研究会」の例会でした。同研究会の例会に白柳さんや木村さんや矢野くんが顔を出して、後の「はまなこん」に繋がる「SFクリスマスin浜松」の開催となるのですが、残念ながら「浜松まんが文化研究会」は暫くして自然消滅してしまいました。
 ペーパームーンを振り返ると、復刊当時まだ高価だったワープロを、自費購入してまで編集長を買って出た古橋さんの力に負うところが大です。無論それだけではありません。松井さんと新間さんの誌上バトル、PM走査線、多くの素敵なイラストの人気が、一時の東海SFの会の活動の活発さと相まって、ペーパームーンの充実度を引き上げました。でも、何よりも、原稿が多かろうが少なかろうが、来る原稿を拒まず、差別せず、編集に専念して、今日まで継続した福田さんの力を忘れることはできません。今だから言えますが、私は何度も編集長を若い会員に譲るよう福田さんに申し入れました。けれども、福田さんはそうはしませんでした。編集長が交代していたら、ここまで来られたかどうか分かりません。
 本来ならば、ペーパームーンの主要な執筆者を個々に挙げて、それぞれにお礼を言いたいのですが、遅筆でコメント下手の私には出来そうにありません。ただ、この長きに亘るペーパームーンの歴史を作ってくれた関係者に、個人的にここで改めてお礼申し上げます。
 白柳さん、あなたの行動力と多彩で広範な交友関係に浜松ファンダムはたいへん助けられました。
 古橋さん、あなたのPM編集への熱意とオークションの盛り上げ方は最高でした。
 新間さん、あなたの音楽、特にモーツァルトへの造詣の深さと、多岐に亘る知識、表現力に脱帽です。
 亀沢さん、イベントで電気機器持込ではお世話になりました。もっと小説が読みたかったと思っています。
 今、SFは、私たちがファン活動を始めた頃とは少し違うものになっていると思います。でも、当時も好みや考え方、捉え方も様々で、考えてみればみんな違うのが当たり前ですよね。私自身例会等でSFの話をした覚えはあまりありません。これからも若い新しい血を東海SFの会に注ぎ込んで、私たちはペーパームーンを出来るところまで続けていきます。500号は8年後で600号は16年後ですか。少なくとも、福田さんが元気なうちは大丈夫でしょう。700号、800号を目指して、みんなで原稿を書き続けましょう。それまで大地震や富士山噴火が起きませんように。

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