No.406 (Web版56号)2
SF essay(226回)
川瀬広保
2015年4月4日の皆既日食は見られずじまいだった。
一応、望遠鏡やカメラを用意して、たとえ一枚でも写そうと思った。天気予報をずっと見ていたが、結局雲の間から、月が現れることはなかった。
どうして、こう日本人は、私も含めて、日食や月食に興奮するのだろう。
天体のダイナミックな運行を感じると、細かい人間の雑事はどうでもよくなってしまうからだろうか。
たぶん、そうであろう。
最近、女性が輝く社会の実現をと盛んに叫ばれている。
女性は男性より、病気になりにくいし、寿命も長い。
テレビを見ていると、この世が、もうすでに女性化していることがわかる。これ以上どうやって、女性を輝かせるのか。
「女性の考え」とか、「女性の目線で」という言葉には枚挙にいとまがない。
長い経験のある男性の意見を聞く風潮があまりない。「よきアドバイスを得たかったら、お年寄りに相談しなさい」という英語のことわざがある。若い人は高齢者の言葉をあまり聞いているようには思われない。
男女は、それぞれの役割がある。マタニティの問題もわかるが、パタニティについてはほとんど言われない。女性の進出は結構だが、英語のことわざにあるように「極端は危険」だ。
カタカナ文字が氾濫している。何もわざわざカタカナにしなくてもいいものを、「〜にチカラ」などとするのはどういうものだろう。「〜の力」とするだけでは、注目してもらえないからだろう。しかし、実に軽薄に思えてならない。例えば、「ビタミンのチカラ」と書いてあったら、買わないだろう。「ビタミンの力」と書いてあったら、買うかもしれない。
最近の日本人が上っ面で軽くなっているのは、このように日本語をわざわざカタカナにしたり、短縮したりしているからだと思う。NHKでさえ、最近では当たり前のように使っている。
短縮形も実に多い。また、英語と日本語をわざと混ぜた言い方も多い。
NHKの「すイエんサー」に至っては、まったくわけがわからない。ちょっと調べたら、サイエンスのアナグラムだそうだ。そんなところだろうと思っていたが、奇をてらっているだけだ。
ほうっておけばこういうことはどんどん流行っていく。そして、日本語は乱れ、日本人はますます軽薄になり、世界の劣等国になるだろう。自国語を正しく使わない国はいずれ衰退する。
さて、次に買って読むかもしれないのは、アシモフの「はだかの太陽」。
新訳版。やっぱり、買って来た。
昔、そして今も(?)、世界三大SF作家と言えば、アシモフ、クラーク、ハインライン(アルファベット順)である。三人とも故人になってしまったが、いまだにSF界に燦然と輝いている。私にとっては、クラークが一番だが、次はと言われれば、アシモフにしようか、ハインラインにしようか迷うところである。
アシモフという作家は、ストーリーテラーであり、理知的である。ロボット三原則を作った創始者であり、数々のロボットもので成功した。
昔、「鋼鉄都市」でアシモフの名を知った。その続編であるこの「はだかの太陽」はこのたび、新訳版になって再登場した。
最近、早川書房は創立70周年を記念して、いろいろの新訳版を出そうとしている。この本もその一冊である。
年月が経つと、翻訳ものも新しくしなければいけないようで、過去の様々な名作が新訳版になっている。しかし、どうしても私のようなオールド・ファンにとっては、最初に読んだ翻訳が一番であり、強く印象に残っているものだ。
だが、名作は訳しなおさなければいけないのだろう。そう思って、今、この名作を新訳で読み始めている。
そして、次は「泰平ヨンの未来学会議」。
(2015・5・24)
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