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No.408 (Web版58号)1

最近、見たり聞いたりしたものについてあれこれ

by 渡辺ユリア

皆様今日は。うちの初孫の光陽(みつはる)が満5ヶ月になりました。はやいものです。目はよくみえているようです。時々にっこりと笑いかけます。かわいいです。
さて、6月28日に実家のほうに行きました。私の実家は岐阜県加茂郡八百津町(やおつちょう)にあります。木曽川の中流域で河岸段丘が数多く存在しています。
『世界ふしぎ発見』という土曜日のPM9:00から放映されている番組をご存知ですか?少し前に“外交官 杉原千畝(すぎはらちうね)氏”の特集番組がありました。みた方いらっしゃいますか?約6000人のユダヤ人の生命を救った方です。実は杉原氏は八百津町出身の方です。小学校は八百津小学校を卒業して、その後、家族で名古屋にひっこしたそうです。日本通過のビザを発行して、それは“命のビザ”と呼ばれるものになりました。太平洋戦争のはじまる前にヨーロッパのリトアニアの領事、つまり外交官だったわけです。その当時、ナチスドイツに追われたユダヤ人の方々が、ポーランドからリトアニアに入り、そして日本領事館の前で訴えたそうです。“…日本通過のビザを発行して欲しい…”と。彼らは、シベリア鉄道でウラジオストクに行き、その後、船で日本に行き、そして日本を通過して、おもに神戸港あたりから、米国やオーストラリアに行く予定だったそうです。それで日本を通過するためのビザを発行して欲しいと頼みに来たのです。杉原氏は、いそいで日本の外務省に電報を打ちました。ビザの発行をして良いか‥と。けれど外務省の答えは“否”であったのです。打ってはいけないと…杉原氏は大いに悩みました。窓の中から外のユダヤ人の方々の真剣な表情をみつめ、…そして自分自身に問いかけ、そして自分の判断でビザを発行することを決意したのでした。その後、ビザを書きつづけ、領事館を後にするまで、それはつづきました。(日本政府からのリトアニアから出なさい‥という命令があったためです)
ではこのへんで
                           2015.7.23 yullia

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