No.411 (Web版61号)1
SF essay(231回)
川瀬広保
長年、通った浜松の谷島屋さなる店が10月いっぱいで閉店するという。
本が売れない時代だからだろうが、何か寂しい。中高生ぐらいのころから、私はSFマガジンやハヤカワSFシリーズなどを買いにわずかなお小遣いを持って、谷島屋連尺店へ通った。今回の閉店は、さなる店なのだが、家から一番近くにあるから、本屋が遠くなるのは残念だ。
本屋にあまり行かなくなってしまうと、脳も活性化しないだろう。買っても結局読まない本が、書庫などに積み重なっているのだが、それでも新刊が出ると買おうと思ってしまう。迷ったあげく、「よし!行こう!」と思って、今度はちょっとだけ遠い谷島屋に出かけなければならない。
コンビニやスーパーはどこにでもあるのに、書店が消えるということは日本の文化が低迷していくということになりはしないか。
新聞を開けば、毎日、新刊広告が並んでいる。ちょっと見落としていると、もうそんな新刊が出ていたのかと後で知らされることになってしまう。
人間は、やはり何歳になっても、よい本を読まなければだめだ。書店が閉店するというニュースはやはり、寂しい。
さて、国勢調査がやっと終わった。自治会役員をやっている関係で、調査員をやらされた。決して、進んでやったわけではない。
やってみて、一番の問題は、集合住宅はもちろんのこと、一般の個人宅でも、玄関にも郵便受けにも一切、表札も表示もないところが多いことだ。
市から示された地図だけをたよりに、何回も訪問する。地図によれば、この家でいいだろうと思って、思い切ってチャイムを鳴らす。合っていればほっとするが、違うと言われれば、「〜さんのお宅はどこでしょうか」と聞いてみる。出た相手は「わかりません」と答える。
また、今回はインターネット回答と紙の回答のどちらでもいいというようになったので、作業が煩雑だった。約2ヶ月、国勢調査のことばかりで頭がいっぱいになった。
終わってみて、近隣に詳しくなったなあという感想だけが残った。
国勢調査とは何だろう?いくら、国民の義務だとはいえ、巨額を使ってあれこれ調べて、パーセントだけの数字が出てくるだけだ。女性が輝く社会をと盛んに言うし、少子高齢化を何とかしなければと盛んに言う。日本が抱えている問題のために奔走したのかもしれない。国民の義務だと言われれば協力せざるをえない。
さて、SFでは早川書房は創立70周年を迎え、かつての名作の新訳版の出版ラッシュだ。
その一冊が「宇宙の戦士」である。思わず買ってしまった。翻訳者が変わると、趣きも変わる。
比べること自体がおかしいことかもしれないが、「吾輩は猫である」の英訳は"I am a cat."となっている。これだと、「私は猫です」という意味だけはわかるが、味も素っ気もないタイトルになってしまう。英語を日本語に直すということは、訳者の力量だけではない何かが含まれている。
矢野徹訳とは冒頭から何かが違うような気がする。原書で読み、細かいニュアンスまでわかればそれでいいのだろうが、それができる人は少ないだろう。
これからも、かつての名作の名訳が新訳になっていくのだろうか。
さて、季節は確実に変わりつつあり、寒くなってきた。世の中、どんどん変わっていく。マイナンバー制度などどうなるのだろう。管理され過ぎた未来社会を描いた「1984」のようにならなければと願う。そうだ、星新一のショートショート「はい」も思い出した。コンピューターに管理され過ぎた未来社会を見事に描いていた。
SFは最近のこうした変化に良い意味で影響を与えるようになってほしいものだ。
(2015・10・26)
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