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2016年1月

No.413 (Web版63号)2

SF essay(232回)

川瀬広保

     明治大学SF研究会OB合宿の記

 ある日、メールが来た。恒例の研修会をやるという内容だった。研修会といっても、飲み会だ。そして、今年は舘山寺で2015年11月15日〜16日にやるという。
 しばらく、そのままにしておいたら、今度はスマホに電話が入った。こうなると重い腰をあげないわけにはいかない。
 「わかりました」と答えた。詳しいことはそのうちメールで連絡が来ると言う。やがて、詳細が送られてきて、いよいよ当日の朝になった。
 前日、前々日からあれこれ考えてはいた。もともと心配性で、小心者なのだ。
 16時ごろを目指して、舘山寺のホテルに向かった。浜松に住んでいても、舘山寺へはほとんど行かない。
 30分で着いた。ロビーへ行くと、もうそこには懐かしの4人がいた。誰が誰か認識するのに、数秒の時間がかかった。そのうち、一人は初対面だった。
 7年ぶりの再会である。お互いにもう高齢者であるのは間違いない。SF研創立から47年。もう3年もたつと50周年を迎える。
 その種をまいたのが私だ。
 昔話はもうあれこれたくさん書いた。思い出を書きだすと、何か郷愁を感じる。
 まずは、部屋でビール。初対面の人は、私が卒業した後に入会した後輩である。初めての出会いである。趣味の集まりというものはそんなものだろう。1970年の国際SFシンポジウム、7年前の東京での研修、そしてあまり覚えていないのだが、「はまなコン」でも会っているそうだ。
 ビールを飲みながら、あれこれ話し合う。会の顧問だった大西尹明先生を知らないというのは、私にとってやはり年令の差を感じる。
 持っていった『SFファン48年』や『テラ』の創刊号のコピーを皆さんに見せる。だが、47年という年月は、もう元へは戻せない。
 やがて、2階で夕食。久しぶりの御馳走である。どうしても、話は糖尿病とか血圧とかコレステロールの話になる。
 「47年前には、そんなこと話さなかったよね」と私が言うと、みんな笑う。写真も撮る。やがて、そこでの食事も終わり、部屋へ戻り、またビール。
 「さて、話題を変えて、年金の話にしようか」と言うと、「その前に、小学生の英語教育についてどう思いますか」と聞く人もいる。道徳の教科化についても話す。
 そのうち、テレビで野球を見始める。野球には興味のない私だが、結局、最後まで見てしまう。やがて、二回目の温泉に入るという人もあれば、私のように一応布団に入る人もいる。
 少しは眠ったか、やがて、朝になる。7時には起きる。家とは違う環境で一晩を過ごした。こうして久しぶりにSF研究会のOBに会うことができた。
 朝食。ホテルでのバイキング朝食は久しぶりだ。やがて、チェックアウトのための清算をしてもらって、金を払い、みなさんと別れる。帰路に着いた。

 

 SFファンというのは、集まりたがる。20代のころからである。それが、大学のSF研創立につながり、あれからもう47年も続いている。
 現在の明治大学SF研はアニメファンの集まりみたいになっているそうである。20代の若さがSFの根本なのかもしれない。
 SFというのは、「若さ」なのだ。「熱さ」なのだ。たとえSFでも、老化には逆らえない。
 だが、やはり私は終生のSFファンであり続けよう。人間がみんな健康である未来を夢想しよう。その方がいいと思う。

 さて、47年前の1968年ごろ、SFでは、2015年は輝かしい未来だった。現実は、テロ、温暖化、格差、貧困など暗い話が多い。だが、探査機は冥王星まで行ったし、鮮明な写真が送られてきた。〈ニュートン〉最新号の付録カレンダーは、その冥王星の大きな写真が目立つ。
 iPS細胞による再生医療実用化は、少し先送りになっているようだが、近いうちに、きっと成功するだろう。また、日本のH2Aは日本初の商業衛星だとのことである。
 47年前には、あまり想像されていなかったように思う。
 SFというのは、想像力であり、その想像力によって、人類は進歩し、発展する。大学のSF研創立がそれに少しでも寄与しているとすれば、うれしいことだ。小松左京が言っていたように、教育に良質のSFを取り入れていくといいと思う。科学の発展だけでなく、人類の心の発展にもつながると信じたい。
 あれこれ考えながら、二日間とその後を過ごした。

 さて、急に寒くなってきた。あと数日で、もう12月である。月並みな言い方だが、一年が過ぎるのは早いものだ。
                     (2015・11・26)

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No.413 (Web版63号)1

米魂アフターレポート〜番外編〜

by 渡辺ユリア


 皆様今日は。今年のSF大会『米魂』が終ってから皆生温泉でもう一泊して、8月31日(月)バスでJR米子駅に行きました。切ぷを買って、米子駅の改さつをくぐり、0番線のホームに行きました。そこには、水木しげる先生作の有名なキャラクター“ねずみ男”の絵のついた駅名の看板があるのです。びっくりしました。そこは境線のホームなのですね。もう、電車が着いていました。『目玉おやじ』列車でした。他にも鬼太郎・ねずみ男・猫むすめ列車などがあるようです。
 そして、私が電車の中に入ると、天井にも座席の後ろにも鬼太郎のキャラがいっぱいついていました。電車の中は、ほぼ満員でした。立っていると前のほうに知っている方のお顔が見えました。北海道のイスカーチェリの波津さんや大森望先生がみえました。電車は出発しました。各駅止まりでしたが、米子鬼太郎空港駅では多くの方々が降りられました。羽田行きの飛行機で東京方面に帰られる方が多かったようです。大森先生や波津さんも降りられましたね。
 そして私は終点の境港駅で降りました。目的は水木しげるロードを歩くことと、水木しげる記念館に行くことです。水木しげるロードのいろいろな妖怪さんたちのブロンズ像も楽しかったのですが、お店に入ってみやげ用のポストカードをえらぶのも楽しかったです。妖怪神社でお参りしたり、妖怪の像のある公園とか。妖怪道五十三次のシリーズのポストカードで岡崎のが欲しかったのですが、なかったので、となりの藤川宿のを買いました。出発は日本橋で、終点は京都です。水木しげる記念館では、先生の年表を読んだり、先生の仕事部屋を再現したコーナーとか、ゲゲゲの食卓のへやとか、先生の作品の載った当時の雑誌を集めたコーナーもあります。そして『妖怪ひろば』というコーナーでは、北海道から沖縄までのおもな妖怪とその話が書かれていて、こんな妖怪もいるんだな〜と興味がわいてきました。では、この辺で            2015.12.12.yullia

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