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2016年8月

No.420 (Web版70号)3

SF essay(239回)

川瀬広保

 先日、SFファングループ資料研究会の森東作さんから、「SFファンジン・データベース Ver.1.6」を送っていただいた。
 森さんは全国のSFファンジンのデータを構築なさっておられる。SF界にはプロとアマがいるのは事実で、プロの発行したものは、例えば、先日出たSFマガジンの「ハヤカワ・SF・シリーズ総解説」が貴重で、詳しく、また懐かしくもあった。
 アマチュア出版物については、その全貌を知ることはなかなかできない。われらの東海SFの会についても、50年ぐらいの歴史があると、いろいろなものが散逸してしまって、所在がわからないでいることが多い。(私だけかもしれないが)
 書斎(と言っても、本や雑誌、ファンジン、書類などが雑然と積みあがっているだけなのだが)を探しまわっても、目的のものを見つけられないでいる。
 興味のない人にとっては、ただのかび臭いごみだろう。だが、そうでない人にとっては貴重な宝物である。いつまでも残しておきたいのだ。

 そういうわけで、森さんのご努力にはいつもながら頭が下がる。たぶん、もう捨てていいものと、捨ててはいけないものがあるのだ。だが、それを見極めることは非常に難しい。私は簡単に捨てようとは思わない。特に、「ルーナティック」「テラ」「SFマガジン」「ハヤカワ・SF・シリーズ」等々。自分に関わったり、思い入れがあるからであろう。
 昔、SFの9割はクズだという論争があった。それを言い出すと、あらゆるものの9割はクズになってしまう。極端に言うと、人間の9割はクズだということになる。「クリスマス・キャロル」の中で、「余分な人口が減ってちょうどいい」という「霊」のセリフがあったが、そんなことにならないようにしたいものだ。
 この世には、余分な人はひとりもいないという教えに従うなら、今回の「SF エッセイ」もクズでないことを祈りたい。

 いずれにせよ、SF界の裾野に広がる無数のファン出版とその中にある創作やエッセイ、評論、翻訳などには、一つもクズはないよう信じたい。
                    (2016・7・25)

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No.420 (Web版70号)2

アメリカンコミック実写化映画

中嶋康年

 アメコミ実写化映画「シビル・ウォー/キャプテンアメリカ」と「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」を見た。いわゆるクロスオーバーものという数人のヒーローが一本の映画に出演するという形式だ。「シビル・ウォー」はキャプテンアメリカ、アイアンマンをはじめとする総勢12人のヒーローが集まり、「バットマンvsスーパーマン」はこの二人とワンダーウーマンが出ている。映画のポスターはバットマンとスーパーマンの二人だけだったが、映画を観ると、ワンダーウーマンの印象が鮮烈。そのためか、発売されたブルーレイのジャケットはこの通り。(PAPER MOON 2016.8 No.420印刷版参照)マーベル陣営はこのシリーズを「マーベル・シネマティック・ユニバース」と呼び、DC陣営は「DCエクステンデッド・ユニバース」と名付けた。
 マーベル・ユニバースは公式には13作だが、実はゆるくつながっているだけで、緊密に続き物らしくなってきたのは、2012年の「アベンジャーズ」から。しかし、それでもすでに4作め。対するDCの方は、スーパーマンやバットマンの映画は数多くあったが、連続感が出てきたのは2013年の「マン・オブ・スティール」からの2作しかない。「バットマンvsスーパーマン」にはフラッシュ、アクアマン、サイボーグがチラッと出演し、来年の「ジャスティス・リーグ」につなげていく魂胆が見え見えである。両陣営ともスーパーヒーローたちが悪と戦うのはいいが、一般市民に被害が出るのはまずいんじゃないのという展開になっているのは、今のアメリカがまさにその状態になっているということ?
 アメコミブームが起きているのは映画界だけではなく、スカパーやNetflixなどで配信されている海外ドラマにもみられる。バットマンの少年時代を描いた「GOTHAM」、グリーンアローのドラマ化「ARROW」、第1シーズンが終了した「スーパーガール」、huluが配信した「FLASH」などで、後者3作はクロスオーバーした回もいくつかあるが、マーベルの方は「デアデビル」「ジェシカ・ジョーンズ」の2作しか思いつかない。クロスオーバーもしていなかったが、来年にはジェシカ・ジョーンズに出演していたルーク・ケイジが単独ドラマ化されるらしい。とはいうものの、マーベルはドラマには余り力を入れてないようだ。
 今回のブームでは、和訳コミックがよく目に付く。映画化された「シビルウォー」「バットマンvsスーパーマン」はもちろん、同じく映画化された「デッドプール」「スーサイド・スクワッド」など、いままでアメリカンコミックなど見かけたこともない書店にも並ぶようになった。映画化以外では、マルチバースと呼ばれる多元宇宙のスパイダーマンが86人集合するという「スパーダーバース」、ヒーローチームのアベンジャーズとX-MENが対決する「AvsX」など。いずれもいままでのアメコミのイメージとは違う厚めのつくり。お値段2500円以上という高めの設定が特徴。

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No.420 (Web版70号)1

『いせしまこん』(第55回日本SF大会)アフターレポート

by 渡辺ユリア

皆様今日は。ぶじに『いせしまこん』が終わりました。7月9日〜10日でした。まず鳥羽のバスターミナルから会場である戸田屋まで歩いて行きました。雨がはげしくふってました。でも戸田屋に入って行くと、親切な戸田屋のスタッフさんがタオルを下さいました。まず受付けでスーベニアブックなどをもらい、『小さなお茶会』の予約に行きました。その後ディーラーズルームの会場に行きました。今年は広いざしきでざぶとんがありました。新村さんと林さんに再会し、本などを机の上にならべ出店しました。PM1:00からの『小さなお茶会(梶尾真治先生の)』に出席しました。楽しかったです。先生は『黄泉がえり』の外伝の『黄泉人知らず』の本をすすめてみえました。先生から熊本地震の時のことを聞きました。家がゆれて外に出ようとしたら、玄関の戸が全然動かなかった、とか、その後勝手口から外に出たら、へいがこわれてしまった、とか、先生の書さいがこわれてしまった、とか、大へんだったそうです。
そしてPM4:00からの星雲賞授賞式に出席しました。その後、ディーラーズルームに行ったり、夕食に行った後、PM8:00からの『空想音楽大作戦・2016追悼冨田薫』に参加しました。冨田氏の作曲した楽曲が流れ、うれしかったです。『ビッグX』や『マイティジャック』や『キャプテンウルトラ』『宇宙人ピピ』の曲も冨田氏作なんですね。そしてPM12:00からの『プログレッシヴ・ロック』のへやへ。何とキース・エマーソンが自殺だったとは…初めてききました。エマーソン・レイク&パーマーのライヴの曲や幻魔大戦の終り頃もみました。作曲はエマーソンです。ついでにEDも彼でした。では、このへんで
                 2016.7.17 yullia

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No.419 (Web版69号)3

台湾ファンタジー旅行記

by 渡辺ユリア

今年の5月19日(木)〜22日(日)に主人と共に台湾に行ってきました。2回目の海外旅行。1回目は37年前でしたが、カナダでした。では旅行のことを…3日目は、朝、バスで十份ジュウブン(日本語読みで)に行って、大きな風船を飛ばしました。その後、バスで九分(キュウフン)に行きました。そこには斜面に所狭しと造られた大小様々な家が建ち、スタジオジブリのアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったと言われている(湯婆婆の家など)建物があります。九分でお昼をたべた後、バスで野柳(日本語読みでヤリュウ)に行きました。そこには自然に出来た岩があります。アイスクリームの岩、ローソクの岩、カメの岩などです。楽しかったです、では、この辺で
                  2016.6.24 yullia

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No.419 (Web版69号)2

SF essay (238回)

川瀬広保

映画「オデッセイ」ほか

 「スーパーマーズ」という言葉がテレビ、新聞に踊った。火星の最接近のことだ。マイナス2等星に輝く赤い星が見えるというので、望遠鏡を出して見てみた。7600万キロも遠くにいつもより、煌々と輝いていて、心なしか大峡谷も「見えたかな?」という感じだった。
 その火星に実際に行って、困難に打ち勝つという物語が次のSF映画である。

『火星の人』、映画の原題は ”The Martian”、映画のタイトルは、『オデッセイ』を見ている。久しぶりにツタヤで借りてきた。
 これは一人火星に取り残された男のサバイバル物語だ。火星の嵐で、他のクルーは火星を離れる。一人ワトニーは火星に取り残され、けがをしているのを、自分で止血する。このような場面は、アメリカ人の強さを描いているように思う。日本人だったら、あきらめてしまうだろう。自分を自分で手術できない。
 彼は生き延びようと考えたあげく、水を作り、ジャガイモを火星の大地に植えようとする。肥料はどうする?他のクルーの残した「人糞」だ。宇宙は汚してはいけない。不要物を宇宙に残してはいけないのだ。だから、宇宙船の中に保存してあったのだろう。
 それが良かったのか、ジャガイモがついに発芽する!
 また、彼は火星の大地に「パスファインダー」を見つける。こういうエピソードも心憎い。時々、現れる明るいバックグラウンドミュージックや早送りの画面が、この映画を深刻なものにしていない。
 火星の嵐によるアンテナの損傷が、ワトニーの腹に刺さっただけでなく、地球と交信できなくなってしまった。
 しかし、ワトニーは死亡されたとされ、NASAも早々に彼の葬儀を執り行ったが、生きているとわかって、今度は救出へと動き出す。テンポは早い。
 われわれ人類は宇宙へ進出したがる。しかし、事故や失敗も多い。その失敗や、考えてみもしなかった事件を乗り越えていこうとする「負けない精神」「頑張り」がこの映画を見るものの心を打つのではないだろうか。主人公は神に祈ったりしない。孤独に耐えるためか、音楽を流す。決して、絶望してはいない。
 最後に、次期宇宙飛行士候補たちの前で、ワトニーは、君たちが宇宙へ行ったらマニュアル通りにやればいいというものではないということを、体験したものでなければわからない言葉で言い聞かせて終わっている。
 次に、スターウォーズの最新作『フォースの覚醒』を借りて、見た。こちらは、深い何かの意味が含まれているわけではないが、いつものように空中戦や銃撃戦、異性の奇妙なエイリアンが出てくるのを、SF映画として素直に楽しめばいいのだろう。R2D2もC3POも進化している。銀河帝国の圧政から逃れるために、「レジスタンス」のメンバーは、最後には自由と平和を手に入れる。必ず「善」が勝つというシナリオは安心して見ていられる。

 さて、先日、国立天文台の縣秀彦教授が天文講演会を行うというので、浜松天文台へ行って来た。専門家の最新の天文の話題が聞けてよかった。70人ぐらいが集まって、テンポよく最新の天文の話題が聞けた。私も質問してみた。SF作家と天文学者の接点について、どう思うか。「アメリカにタイソンという人物がいる。日本では・・・」
 優れたSF作家であり、優れた天文学者でもあるという人材はなかなかないのであろう。アーサー・C・クラークやカール・セイガンのような有名人なら、両立させていたのだ。

 さて、舛添都知事は責められてとうとう辞職させられ、一言も発せずに都庁をあとにした。アメリカでは、クリントン候補とトランプ候補は終わることのない言い争いをしているし、テロは止まない。一番よくないのは、慢心してしまったわれわれ人間である。
 気候が狂ったり、熊が人を襲ったり、予想もしないようなことが毎日のように起こっている。優れたSFを読んだり、優れたSF映画を見たり、接近してきた火星を見たりして、人類がいかに小さな存在であるかということを、幼い時から学ぶようにすれば、人の「心」が原因の困った事件や事故は減るのではないか。そんなふうに思っている。

 さて、次回はたぶん、ハル・クレメントの『20億の針』『1000億の針』について。新装版、新訳版が出ている。前者だけ入手したが、まだ未読である。懐かしのタイトルである。

                     (2016・6・20)

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No.419 (Web版69号)1

SF essay (237回)

川瀬広保

漫画について

 漫画家と言えば、私にとっては、一番目は手塚治である。そして、二番目は藤子不二雄だ。のちに、藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aに分かれたがどちらも好きである。三番目となると誰をあげようか。
 最初は、子どもはだれでも漫画から何かの分野に入るもののようだ。いきなり、難しい文だらけの本から、何かの分野に入ったりはしない。親が子供に最初に与えるのは、図鑑や漫画入りの本である。
 手塚治虫は天才だった。絵が流動的で、ダイナミックで誰もが描けるような絵ではなかった。私も、「鉄腕アトム」から入った。SFへの入り口だったと言ってもいい。SFマガジン53号が私にとってのSFへの入り口だったが、それより以前はやはり「鉄腕アトム」である。
 その後の、「火の鳥」「ブッダ」「ブラック・ジャック」など、どれもみな傑作である。もし、手塚治虫が医者になっていたら、あまり後世に名前が残らなかったかもしれない。最近、読み返すことがなくなってしまったが、私にとってはSFの原点であり、漫画家の最高峰に位置している。
 そして、次は藤子不二雄である。やはり、なんといっても「ドラえもん」である。その昔、毎月2冊づつ「ドラえもん」を読んで、あっと言う間に、藤子不二雄のファンになった。「ドラえもん」にはあらゆるアイディアが含まれていて、素晴らしいと今でも思っている。奇想天外なものもあるが、実現しそうなものもあるし、泣ける話もあるし、ドラえもんで育ったと言っていいだろう。また、「まんが道」は何回も読み返した。
 さて、三番目は誰にしようか。水木しげるにしようか。分野はまったく違うが、いしいひさいちにしようか。吾妻ひでおにしようか。「失踪日記」が赤裸々でよかった。水木しげるは94歳で亡くなってしまったが、多くの人に愛された。いしいひさいちは毎朝、朝日新聞の朝刊で楽しませてもらっている。
 吾妻ひでおは、もう終わったのでしょうか?新作は出ないのかな?
 あとは長谷川町子。国民的漫画家であり、「サザエさん」を知らない人はいないであろう。
 こんなところが、私の漫画の思い出である。活字文化の方が、重要視されがちだが、優れた漫画は後世に残る。福島正実は、漫画を「ポンチ絵」と言っていたが、あのころはSFを世間に認めさせるために必要だったのであろう。

 さて、現実の社会では、熊本地震の被災者はまだ避難生活だったり、サミットが日本で開催されるので、かつてないほどの厳戒態勢だったり、沖縄では忌まわしい事件が起こったりと大変なニュースは欠かすことがない。
 こういう時代こそ、もっと心温まる漫画、SFを読んで、人心が明るく、温かくなることが必要ではないでしょうか。
                      (2016・5・25)

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