No.420 (Web版70号)3
SF essay(239回)
川瀬広保
先日、SFファングループ資料研究会の森東作さんから、「SFファンジン・データベース Ver.1.6」を送っていただいた。
森さんは全国のSFファンジンのデータを構築なさっておられる。SF界にはプロとアマがいるのは事実で、プロの発行したものは、例えば、先日出たSFマガジンの「ハヤカワ・SF・シリーズ総解説」が貴重で、詳しく、また懐かしくもあった。
アマチュア出版物については、その全貌を知ることはなかなかできない。われらの東海SFの会についても、50年ぐらいの歴史があると、いろいろなものが散逸してしまって、所在がわからないでいることが多い。(私だけかもしれないが)
書斎(と言っても、本や雑誌、ファンジン、書類などが雑然と積みあがっているだけなのだが)を探しまわっても、目的のものを見つけられないでいる。
興味のない人にとっては、ただのかび臭いごみだろう。だが、そうでない人にとっては貴重な宝物である。いつまでも残しておきたいのだ。
そういうわけで、森さんのご努力にはいつもながら頭が下がる。たぶん、もう捨てていいものと、捨ててはいけないものがあるのだ。だが、それを見極めることは非常に難しい。私は簡単に捨てようとは思わない。特に、「ルーナティック」「テラ」「SFマガジン」「ハヤカワ・SF・シリーズ」等々。自分に関わったり、思い入れがあるからであろう。
昔、SFの9割はクズだという論争があった。それを言い出すと、あらゆるものの9割はクズになってしまう。極端に言うと、人間の9割はクズだということになる。「クリスマス・キャロル」の中で、「余分な人口が減ってちょうどいい」という「霊」のセリフがあったが、そんなことにならないようにしたいものだ。
この世には、余分な人はひとりもいないという教えに従うなら、今回の「SF エッセイ」もクズでないことを祈りたい。
いずれにせよ、SF界の裾野に広がる無数のファン出版とその中にある創作やエッセイ、評論、翻訳などには、一つもクズはないよう信じたい。
(2016・7・25)
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