« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2016年12月

No.423 (Web版73号)2

SF essay(242回)

川瀬広保

 あれこれ考える

 木星の衛星、エウロパから水が噴出している写真が公開され、大きなニュースになっている。水があれば、生命があるかもしれない。生命がいれば、それはやがて進化発達して、いつか知性のある生命となるだろう。知性とは何かという大きな命題もあるが、「われわれは孤独ではないのだ」という有名なことばが現実化する日も案外と近いかもしれない。

 日本円二千万円で、米ベンチャー企業が火星への有人飛行計画の計画を立てているそうだ。たとえ、お金があっても、あなたは火星へ行きたいですか。戻ってこれればいいかもしれないが、たぶんそんな保証はどこにもない。しかし、このニュースは夢があっていい。「向こうはどうだった?」(エドモント・ハミルトン)と行ってきた人に聞けばいい。

 この間、ボランティアで浜松城へ行った。外国人が来たのでいつものように話しかけてみた。「日本語、わかりますか」だいたいの外国人は「ちょっと」と答える。そこで、“Do you speak English?”と聞くと、“Yes”となるので、あとは英語で話す。わからないところは、わかったようなふりをする(本当はよくない)か、話題を変える。その日、わかったことは、彼は英国からやってきたばかりで、小学生にこれから英語を教えるのだそうだ。
 近いうちに、日本も小学生から英語が教科化されるようだが、わざわざ外国へ行かなくても、英会話の素材は近くにあるかもしれない。

 朝から、テレビばかり見ていると、コマーシャルに毒される。本当に心和むコマーシャルはほとんどない。また、民放もNHKも同じコメンテーターや芸人が、朝から夜まで、出演し続けている。世論はテレビに支配されている。ブラッドベリがこのあたりの未来を、予言していたように思う。何か事件が起こると、テレビは
必ず、街の人はと言って、両方の意見を聞く。それを見ている視聴者は、「ああ、そうだよね」となんとなく分かったようになって終わってしまう。

 近未来をあらわすSFと遠未来をあらわすSFとでは、後者の方が面白い。ウェルズの「タイム・マシン」では、80万年後の地球はモーロック族とエロイ族の二つしかないという地球を予言していたが、われわれは邪悪なモーロック族に支配されているエロイ族なのかもしれない。

 ネビル・マリナーが死去した。92歳だったという。映画「アマデウス」の音楽を担当した。「アマデウス」は何回も見た。ストーリーはもちろんだが、音楽がなければこの傑作が永遠のものにならなかったであろう。ご冥福を祈りたい。

 健康は幻影であるという言葉があるが、そう思いながらもわれわれは医者に通う。薬を飲めば病気が治ると信じている。
 「ねえ、パパ、お医者さんってどういう人?」
 「お医者さんっていうのはね。次から次へと病気を作る人のことだよ」という面白い小話があるのを思い出した。

 今年のノーベル文学賞が、ボブ・ディランに決まったが、選考委員会は一日たった今でも本人と連絡が取れないという。村上春樹が本命だと言われ、ファンたちが受賞前祝いだと言って、騒いでいる様子がテレビに映し出されていた。期待をしてはダメなのだ。
 ところが、いざとなると、だれも予想していなかったボブ・ディランが受賞するということに、賛否両論があって喧々諤々だ。ただし、本人は黙して語らずだ。
 私としては、ノーベル平和賞にノミネートされたアーサー・C・クラークを思いだしたり、賞には無縁だったが、ノーベル文学賞を与えてもよかった星新一を思い出す。ノーベル文学賞は、どうも日本人(日本語)には難しいようだ。
 この話題はまだまだ続きそうだ。

 この世は、オスとメスでできている。人間も例外ではない。男が老いると枯れていく。女は安倍首相が言うまでもなく、はじめから輝いている。テレビは終日、女の顔を大写しで映し続ける。老いた女より、老いた男ほどみじめなものはない。スペース・ヴァンパイヤに生気を吸い取られた抜け殻みたいになっている。
 生気を与えてくれるのは何だろう。太陽のエネルギーや海や大洋の自然エネルギーだ。オリンピックで日本人がメダルを取ったり、ノーベル賞を取ったりすると日本国中が一時的に輝く。輝いているのは一時だけだ。

 さて、あれこれ考えていると、いつまでも終わらない。あれこれ考えない方がいいのかもしれない。流れに身を任せる方がいいのかもしれない。しかし、その流れはほんの少しの違う考えから生まれるのだ。それもSF的な想像力からであろう。その想像力が世の中をよい方向に変えていくと思う。
 さて、秋はあっという間に終わり、だいぶ寒くなってきた。人間は天候に支配されている。地震もそうだ。今回は、あまり、SFについてのエッセイにはならなかった。すみません。
                   (2016・10・26)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

No.423 (Web版73号)1

 最近観たDVDについてあれこれ
                 by 渡辺ユリア
皆様今日は。今回は音楽のほうから導入させて頂きます。キーボード奏者&作曲家のキース・エマーソン氏を知っていますか?エマーソン・レイク・アンドパーマー(略してELP)というイギリスのバンドのキーボード奏者の、しかもムーグ・シンセサイザーを用いた音楽を創り出していた人。作曲家の冨田勲氏もムーグ・シンセサイザーをつかってましたね。今年のSF大会『いせしまこん』の星雲賞受賞式の前に、去年から今年にかけてお亡くなりになった方々の名前を見て、私はすごくおどろきました。キース・エマーソン氏の名前があったことに。それも自殺(!)だなんて。びっくりしました。そして『いせしまこん』の分科会『プログレッシブ・ロックの部屋』に参加しました。
和室でざぶとんの上にすわって司会の方の話をきき、映像を見ました。その分科会の副題が“追とう キース・エマーソンと冨田勲”でした。そこでエマーソン・レイク&パーマーのライヴ映像や日本のアニメ映画『幻魔大戦』のラスト近くの映像を見ました。平井和正氏と石森章太郎氏の原作のものです。私はマンガ版(石森章太郎氏の)をみたことがあります。それでキャラクターの名前はおぼろげながら知ってます。アニメ版のキャラクターデザインは大友氏(AKIRAで有名な)なのです。お姫さま(ルナだったかしら)とヴェガがまるきり大友キャラです。
 でも、ラスト近くで幻魔と戦うシーンは、迫力ありました。その音楽をエマーソン氏が創られたのです。キーボードの音が響き、戦闘が始まり…そして終結、そして、エンディングへとゆく過程がすばらしいのです。エンディングのテーマ曲は女性のヴォーカル曲ですが、その曲もエマーソン氏が作曲。『光の天使』というタイトルです。 
 それで『幻魔大戦』をはじめからみてみたいので、TSUTAYAでDVDを借りてきました。音響かんとくがエマーソン氏…と銘うってありました。幻魔のテーマ曲がバッハ作曲の『トッカータとフーガ イ短調』のようです。そして能力を引き出すために、ルナ姫とヴェガが東丈に迫ってくるシーンは緊ぱく感のある曲です。そして幻魔が迫ってくるシーンは、怖い。 そしておそろしさのある曲。それに対して、東丈が姉さんに自分には能力がなぜかあらわれている…と告白し、姉さんと共に行くシーンは、あたたかなふんい気の曲です。あとで(エンディングで)声優さん方の名前をみたのですがヴェガの声が江守徹さん、東丈の親友の声が塩沢兼人さん、東丈の姉さんの声が池田昌子さん、銀河の意思であるフレイの声が美輪明宏さんです。ヴェガの声が渋いのです。やっぱり声や音楽があると、物語に入りこみやすいです。ではこの辺で
                        2016.10.27 yullia

| | コメント (0) | トラックバック (0)

No.422 (Web版72号)4

不幸なトマソン

加藤弘一

昨年ペリーローダンがめでたく500巻を超えた。
めでたいめでたいなどと思って油断していたらたちまち数冊の新刊がたまってしまった。
今は519巻を読んでいる。
そのなかにトマソンという名の宇宙船の船長が登場するのだが、トラブルに巻き込まれ散々な目に会う。
誠に不幸なキャラクターであるのだが、彼はトマソンなのだ。

プロ野球巨人軍の最強外人助っ人クロマティであるが、最弱はトマソンと言う事になっている。
トマソン選手は鳴り物入りで入団した後、鳴かず飛ばずでシーズン途中解雇されあっという間に帰国してしまったのだ。
怒った画家の赤瀬川源平は「トマソン=無用の長物」という新しい単語を造り出した。
巨人ファンにとってトマソンとはかような存在なのである。

ローダン世界のトマソンは船のトラブルに対し、仲間たちと共に懸命に対処しようとするがうまくいかず絶体絶命のピンチに追い込まれる。
本来なら読者はハラハラドキドキとするべきだが、巨人ファンの末席にいる自分は「やっぱりトマソンだよな!」と冷めた目で見てしまい、今一つ盛り上がらないのである。

そして、そんなつまらない事を考えている自分の前には、ローダンの新刊が次々と積まれてゆくのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

No.422 (Web版72号)3

SF essay(241回)

川瀬広保

「レミングとの対話」再読

 今年は、台風が来ないと思っていたら、ここにきて、連続して次々にきている。50年に一度という見出しにも驚かなくなった。
 東北の方から上陸してみたり、停滞して回れ右してみたりと変幻自在だ。

 さて、最近のSFの新刊のタイトルを見ていると、かつての再販や新訳が多いように思う。かつては、SFの想像力の極みを行く作品が多かったように思う。優れたSFは、アイディアだけでなく、ぐいぐいと引き込まれるような文章力、登場人物の魅力的なキャラクターがなくてはいけない。

 現代は、SF以上にどうなるかわからない混沌とした時代なのかもしれない。想像力よりも、現実そのものがSFみたいなものかもしれない。技術は限りなく発達しても、われわれの心を動かす異常な事件が毎日のように起こる。治安の悪いリオデジャネイロでのオリンピックが何とか大きな事件はなく終わったと思ったら、今度はニューヨークでの爆発事件が起きた。枚挙にいとまがない。

 もうSFのアイディアは出尽くしたのだろうか。所詮、人間が想像することだから、限界があるのだろうが。それでもまだまだ奇想天外な想像力を楽しみたい。星新一はアイディアを得て、書き始める前に、あれこれと独自のルーティーンをやったと本人が書いていた。「目薬を点し、歯磨きをし〜」などと語っていた。想像力を楽しみのはいいことだ。
 毎日のように、殺人事件が起こったり、いかにして人のものを搾取するしか考えていないような事件が起こっている。人間がみんなおかしな方向へ行っているのではないだろうか。
 星新一の「殉教」を思い出す。「死」をなんとも思わなくなる世界をあらわしていて、傑作だった。
 また、レミングの集団自殺行為をテーマとしたジェイムズ・サーバーの「レミングとの対話」が収められたサンリオSF文庫の「ベストSF1」をやっと書斎から見つけ出して、30年以上も前に出版されたこのわずか二ページ程度の小品を再読してみた。
 レミングが人間の性質をあげつらっているところを30年以上ぶりにやっとはっきりさせることができたようだ。

 人間と言うのはと、m,d,c,sで始まる語を使って、レミングが人間をあげつらうところが面白くてずっと印象に残っていた。
 訳文のルビをもとに調べてみた。人間というのは、残虐で、有害で、悪辣で、適応不良で、うすのろで、冷酷で、狡猾で、肉食性で、陰険で、利己的で、貪欲である。(伊藤典夫訳)
 スペルがわからなかったので、すべてではないが、辞書で調べてみた。
murderous,maleficent,malicious,maladjusted,muffle-headed,distasteful,cruel,cunning,carnivorous,sly,selfish,greedyだというわけだ。
 この傑作の最後は、「なぜ、人間は集団自殺しないんだい?」というようなレミングの返事で終わっている。
 まるで、このラストのように、人類はそのうち、自滅していくのではないだろうか。または、ウェルズの「宇宙戦争」の冒頭のように、日常の些事にあくせくしているうちに、火星人が微生物を顕微鏡で見ていて、そこにうごめくおろかな人類は、宇宙人に攻められて破滅するのではないだろうか。
 日本では常に、政治面でももめごとは多いし、世界でもまとまらない。そうこうしているうちに、何か大きな力が働いて、地球滅亡などということになるのではないだろうか。
 そうならない保証はどこにもない。

 さて、もうまもなく10月だ。季節は間違いなく変わっている。SFを読むことや、接すること、過去の名作を考え直すことなどを忘れないようにしたいものだ。

                     (2016・9・26)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »