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2017年6月

No.430 (Web版80号)3

はるこん2017 アフターレポート

by 渡辺ユリア

4月22日(土)〜23日(日) はるこん2017が横浜市開港記念会館でひらかれました。GOHはアメリカからケン・リュウ氏が初来日。国内のゲストは漫画家の速水螺旋人(はやみらせんじん)氏をお迎えしました。
私は1日目はビブリオバトルに参加して本を紹介しました。紹介した人は、4名でした。ほかに参加した方は7名ほど(もう少し多かったら良いのですが)主催している方は、SF文学振興会の方々で、小学生や中学生にもっとSF文学をひろめていこう・・と活動されている方々です。
 2日目の“「これってSF?」メイドさんと一緒にSFを考える”の分科会は司会が柴田勝家氏とメイドのミソノさんとアイリさんの3名でした。いろいろ参加者からおススメのSF本のタイトルが出てきました。たのしかったです。「火星の人」や「火星年代記」など。
 そして、ケン・リュウ氏と速水先生のオートグラフ(サイン会)もたのしかったです。ケン・リュウ氏の「紙の動物園」にちなんで、折り紙でいろいろな動物を折り、グループごとにその数をきそってました。みな並べるとけっこう豪華でした。では、この辺で
                 2017.5.26 yullia

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No.430 (Web版80号)2

SF essay(249回)

川瀬広保

 SFマガジン4月号に筒井康隆へのインタビューが載っている。星、小松、光瀬などの大御所が他界した後、ビッグネームがSFマガジンに載るのは、久しぶりだ。昔のことが思い出される。時々、往年の作家の近況も知らせてほしい。

 さて、この「SFエッセイ」も回を重ねて、249回となった。あと1回で250回となる。だが、この数字が正確に合っているかどうかは本人にもわからない。まだ大学生だったころ、発行していたファンジン「テラ」に「SFエッセイ」と題して、文を書いたのが残っているので、相当古い。40年ぐらい前だろうか?自画自賛になるが、よく続いているなあと思う。最近は、SF以外のこともあれこれ書いていることが多い。本当はもっと新刊SFや映画の批評をすればいいのだろうが、なかなかそうはいかない。趣味と言えば趣味であり、ファン活動と言えばファン活動である。これからも続けていきたい。

 最近、過去の名作・傑作の新訳版、新装版が次々と出ている。気にかけているのは、伊藤典夫訳、シルヴァーバーグの『時間線をのぼろう』とクラークの『地球幼年期の終わり』である。過去に買ったことがあっても、また買おうとしている。昔、買ったSF本がここにある。小松左京の『影が重なる時』だ。ハヤカワ・SF・シリーズの一冊であり、昭和39年発行とある。330円。だいぶ古くなり、劣化している。そこで、この本に限らず、再販、新装版などが出版されるようになると、ファンとしてはつい買おうとして買ってしまう。時代が変わっても残っていくほんといつのまにか消えていくものとがあるように思う。いったい、SFに限らずどれだけ後世に残るのだろう。
 星新一は、1000編余のショートショートを書いた。そして、後世に残るものは、1パーセントしかないと言って、いつまでも残るように、自作の言葉をいつの時代になってもいいように変えていたりした。どうしても、言葉が古くなる。あんなにたくさん書いたのに、わずか10編しか残らないのであろうか。
 一方、出版社としては、売れるものを出し続けることになる。いたし方ないところであろうか。

 さて、ボランティア活動で時々、浜松城へ行く。全く、しろうとだが、お客さんに、浜松城や徳川家康のことなどを説明する。特に、英語を話す外国人とたまに話す機会があって、こちらの英語が通じるとうれしくなる。相手の速い英語が全部わからなくても、何とか要点をとらえようとしている。
 言葉というのは、大よその文法を間違えていなければ何とか伝わる。わからないときは、はっきりわからないと言うことにしている。
 日本語でも同じだ。日本語が話せる外国人の日本語を聞いていると、そのことがわかる気がする。また、言葉が少ないと何も伝わらない。うれしいのか悲しいのかなどの感情や意見も時には含めるべきだ。
 また、別のボランティアで、中学生に時たま、英語を教えることがある。こちらは、月に一度あるかどうかだが、楽しみにしている。母子等家庭の恵まれない子供たちが相手だ。政府の政策から来ているものである。
 これらは、せいぜい合わせて、50回もあるかどうかである。
 「SFエッセイ」はまずは、次の250回を目指したい。

                       (2017・5・25)

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No.430 (Web版80号)1

佐藤大輔の逝去を悼む

中村達彦

 まだ寒い日が続く3月26日、訃報を耳にした。作家佐藤大輔が急死、享年52歳。
 逝去に愕然としたSFファンも少なくないはず。
 ファンタジー戦記小説「皇国の守護者」の作者、ゾンビ学園コミック「学園黙示録HIGHSCHOOL OF THE DEAD」の原作者でも知られる。どちらも多くの支持を得た作品であったが、連載が止まり、相当の月日が流れていた。当然未完である。
 以前、東海SFの会において、10年前のルナティックやそれ以前のPMでも、何度か佐藤の作品を取り上げたことがある。今回、追悼記事を書かせていただく。

 佐藤大輔は1964年石川県生まれ、86年ごろから、東京の大学中に、ウォーゲームのデザインのアルバイトの傍ら、ゲームのリプレイ記事などで注目されるようになった。
 当時、ウォーゲーム雑誌で書かれた記事は、ゲームをプレイした内容を、本当の戦争を見ているように真に迫るものがあった。
 政治家や軍人の洒落た台詞やちょっとしたお遊びが盛り込まれている。当時は自分とそんなに年齢が違わない人が書いているとは、想像していなかった。
 その後、ウォーゲームは急速に衰退していったが、入れ替わるように、湾岸戦争や冷戦終結の影響で、架空戦記もしくはシミュレーション小説がブームとなり、佐藤は原稿発表の場を移す。1991年に書き下ろし「逆転太平洋戦史」を発表し、以後、シミュレーション戦記の分野で作品を発表し続けた。
 綿密な考証と世界観の構築を徹底し、先陣の作家たちから学んだ鋭い分析を駆使した。徳間ノベルズをメインに新作を発表した。
 レイテ沖海戦で勝利した日本が米ソに分割された以降の戦後史「征途」、第二次世界大戦に勝利したナチスドイツがアメリカに核兵器を射ち込み、日本と大戦争に突入する「レッドサンブラッククロス」など。時折、アニメのパロディーを入れ、にやりとさせられた。
 歴史雑誌などにエッセイを発表したこともあり、それも読み応えがあった。
 90年代初めから半ばに多くのファンを獲得した佐藤は、SFにも手を伸ばし、「遥かなる星」「地球連邦の興亡」といった長編シリーズに着手した。
 SF冬の時代の真っ只中、気鋭の作家が描く、異なる現代史、遠い未来の宇宙にそれぞれ描かれる群像劇は好評を持って迎えられたが……。
 「征途」を除く、以上のどの作品もきちんとした決着がつかなかった。何巻か続いてから、突然話が止まってしまい、結局それっきりの状態があちこちで続いた。書籍の新刊ラインナップに、予定作品名が掲載されるも、結局、出なかったことも度々ある。
 読者からも、編集者からも「約束を守れない作家」のレッテルを貼られたのは言うまでもない。飽きてしまったのか、完全主義者であるが故に机の上で頭を抱え、文字が進まなくなったのか?本人は一応書いていたようだが。
 彼なりの事情もあっただろう。原稿料を未払いのまま倒産した出版社もあったと聞いている(作品は別社から再発表されているが)。出版社の方針が変わり、刊行が切られたり、書き直されるなども。体調やプライベートもまた。
 それでも本の続きを待ってくれる読者に対し、「すまない」と思わなかったのか?
 遅筆で知られる夢枕獏や田中芳樹は、何とか頑張って続きを書いている。小説ではないが、庵野秀明が「シン・ゴジラ」で名誉挽回を果たしたことを、同作の感想を含め、佐藤の意見を聞いてみたかった。
 死者を鞭打つようだが、彼の人間性を非難する声も複数聞かれた。
 それでも私を含め、佐藤の作品を待ち続けた読者は少なからずいた。彼を見限らず手を差し伸べてくれた作家などもいた。その中には、「ドリフターズ」などの漫画家平野耕太もいる。なお平野は「学園黙示録」劇中にレギュラー役のモデルになっているが、佐藤もまた、戦記漫画家小林源文の作品に、彼をモデルにしたキャラクターがよく登場した。
 佐藤は、あちこちで作品がストップしながら、時々、読みきりの話を書いていた。
 第二次世界大戦末期に歴戦のドイツ軍将校が宇宙人に操られたゾンビと戦う「凶鳥“フッケバイン”⎯ヒトラー最終命令」は個人的に気に入っている。他にも「黙示の島」「平壌クーデター計画 静かなる朝のために」がある。
 2015年春には久しぶりの新作「エルフと戦車と僕の毎日」を発表した。それっきり音沙汰がなく、今回の訃報を耳にした訳である。

 まだまだやれたのではないか……。そう思いながら本原稿を書いていると、早川文庫から4月下旬に「帝国宇宙軍」が刊行されるとのニュースが入った。これが遺作かと思っていると、「エルフと戦車と僕の毎日」続編や「地球連邦の興亡」外伝も5月以降に発表されるとの話も入ってきた。
 佐藤は、自身を「これではいかん」と一念発起し、病と闘いながら、精力的に原稿に向かっていたのではないか?ならば彼は志半ばで無念の死を遂げたことになる。
 まずは遺作を読んでみたい。
 そのうち誰か佐藤大輔について取材を重ね、本を出すかもしれない。新たな事実や彼の心情が明かされるはずだ。
 私は佐藤とは知り合いではないが、87年正月明け、新橋にあった佐藤がゲームデザインをしていた会社を見学したことがある。その時、名前は忘れたが、愛嬌のある小太りの青年がいて言葉を交わした。社長から「彼はSFが大好きで、話をしたら止まらなくなるんだ」と紹介された。その青年とはそれっきりだったが、もしかして佐藤だったのか。
 佐藤は我が強い人で、会ったとしても、私など足元にも及ばず一喝されるだろうが、それでも小説のエッセイも面白かった。追いかけてきた。
 振り返れば、佐藤のほかにも、SF気鋭の新人と言える人が次々に現れたが、デビュー後も作品を発表し続けることなく消えたことが少なくない。書きたいアイディアがたくさんあったのに、病などで生涯を閉じた人もいる。物書きの環境は厳しい。
 佐藤の逝去で、生きる意味についても考えさせられた。
 自分は、佐藤の遅筆や出版社のやり方を批判するばかりで、この20年何をしていたんだろう(さぼっていたわけではないが)など、彼の逝去の後も、何度か思ってしまう。
 皆さんにも、佐藤大輔の小説を読んでもらいたい。そして彼を覚えていてもらいたい。氏は、紛れもなくSF者である。合掌。

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