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2017年7月

No.431 (Web版81号)1

SF essay (250回)

川瀬広保

「SFエッセイ」が250回を迎えました!

 このSFエッセイも、とうとう250回という数字を迎えた。単純計算をすれば、約20年続けたことになる。書かない月もあったから、実際はもっと長かっただろう。最初のころは、SF本やSF映画の感想など、SFについて書くということを自分に課していたが、なかなかそういう窮屈なことをしていると続かないから、時にはSFに関係ないことも書いている。これがある程度、続いた要因だと思っている。
 もちろん、いくら書いてもそれを載せてくれなければ意味がないので、長い間、PMに載せていただいたことはありがたく思っています。
 SFファンというのは、SFを読み、SF映画を見て、あれこれ批評し、話したがるものだ。私の場合、PMにこのSFエッセイを書いて、載せてもらうということが、SFファンとしてのひとつの行動である。20代ぐらいの若い時なら、ファン大会に積極的に参加して、自分で作ったファンジンを並べて、売ろうとするのだが、もうそういう時代はどうやら過ぎたようだ。これは仕方ないのかもしれない。歳をとると、現実的にならざるを得ない。 どうやら寿命は決まっているようだし、高齢になると医者に頼るし、収入は年金しかなくて、税金はいやおうなく、いつまでも追いかけてくるし、そういうことばかり考えざるを得ない。
 したがって、誰かが言っていたが、SFファンのほとんどは、まだ未来のある10代後半から20代前半ぐらいだそうだ。SFファン大会の参加者率がそう示している。

 さて、昔、誰かが言っていた。
 SFファンというのは
 “It's a way of life.”
 いや、
  “It's just a goddamn hobby.”
 つまり、「SFは、人の生きる道さ」というのと、
 「SFなんてただのくだらねえ趣味だ」という二つに大別される。
 私の場合、もしかしたら、人生の大きな生きる道なのかもしれない。

 さて、ほとんどの人はただの趣味となるだろうが、SFが想像して、実現したり、しようとしたりしていることは多い。想像力があってこそ、人類の未来はある。例えば、クラークが静止衛星の発想をして、地球上のどこにいてもその衛星が見られるので、いろいろな研究ができるという技術や宇宙エレベーターの現実化は、想像力がなければできないことだ。優れた科学者ほど、SFを読むというし、科学と宗教は最終的には一致するというから、優れたSFやSF作家はもっと評価されていい。
 天文学ではアマチュアが研究して大きな成果を出しているというニュースを聞くし、SFファン活動も衰えてはいけないと思う。

 さて、この「SFエッセイ」は別にそんなに大きな目標を持って始めたものではない。自分たちのファンジンに何か書こう、投稿しようという単純な気持ちで始めたものであり、だれかが読んでくれればうれしいが、読んでくれなくてもSFについて書きたいという思いで続けたものである。何でもそうだが、続けることが大事ではないだろうか。比べることはないが、SFMは700号以上、PMは400号以上続いているのである。とりあえず、次は251回をめざしてがんばろうと思う。

 アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』の新版が出た。これは、早川から出た『幼年期の終り』の後に創元から出ていたものの新版であり、表紙絵が変わって〈SF史上不朽の傑作〉と書かれた帯が新しくていい。
 一方、同じ創元から『時間線をのぼろう』(伊藤典夫訳)も出た。これは、だいぶ昔に出ていた同じものの新訳版である。新装版も新訳版も新しくなっていいと思う。活字が大きくなれば読みやすくなるし、解説者が変わればまた興味が変わるし、面白いと思う。翻訳者が変われば、微妙な言い回しが変わっていいと思う。
 今のところ、最近のSF出版で興味をひくのはこの二冊だ。

 さて、もう6月も終わって、次は7月だ。一年の半分が終わってしまうと思うと、時間の流れは何と早いことか!日常の些事にうつつを抜かしていると、われわれの知らないところで時代は大きく動いているのかもしれない。
                    (2017・6・28)

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