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No.433 (Web版83号)2

SF essay(252回)

川瀬広保

 1970年に「国際SFシンポジウム」が開かれた。この時の経緯は福島正実の「未踏の時代」に詳しく書かれている。
 私も参加した。そのときの思い出はクラークにサインをもらったということが一番であろう。なにしろ「SFの神様」が目の前にいるのだ!会場で、クラークが現れた時、オールディスだったか、ポールだったか、「さあ、SFの神様の登場だ!」と大きな声で言った。そのあと、何か言ったが、私の英語力では聞き取れなかった。そこだけは覚えている。
 みんなサインをもらおうと列を作った。私もクラークのところに並んだ。持って行ったのは、早川SFシリーズで出ていた「幼年期の終り」と明治大学SF研究会のSFファンジン「テラ」だった。いよいよ自分の番になって、早川SFシリーズの「幼年期の終り」にサインをもらった後、「テラ」の「土曜の出」のページ(だったと思う)を開いて差し出したところ、クラークはきっと何か思ったのだろうか、「テラ」を裏返して見ている。そこで私はそこに印刷されている “Meiji University SF Club” の文字を声に出して言ってみた。何の返答もなかった。
 今、思うと何か気の利いた英語の一言を言えばよかったと思うが、そんな英語力はなかった。
 たったこれだけの思い出だが、私にとってはその部分が鮮明に記憶に残っている。

 この国際SFシンポジウムでのクラークのインタビューは読売新聞に載った。クラークはすでに未来を見通していた。
 このころ、クラークは53歳、「幼年期の終り」を書いたのは、37歳のころということになる。まさにクラークは true genius (真の天才)だった。

 昔、SFマガジン53号に「自然の呼ぶ声」という短編が載っていた。小松左京の作品である。確かこの作品から、私は小松左京のファンになったと記憶している。おもいつくままいくつか並べてみよう。

 「ご先祖様万歳」

 ストーリーテリングの鮮やかさは、初期の作品から、群を抜いていた。あまりにも話がリアルだったので、当時編集者をしていた石川喬司さんのところに、読者から「あれはどこであった話か?」という手紙が来たというエピソードを何かで読んだ。

 「影が重なる時」

 このタイトルも実に懐かしい。影とは原爆以上の巨大な爆発で時空間が曲がって、すべてのものが重なってしまい、〈幽霊〉としてあちこちに出没するようになったといういつかありえそうな怖い話であり、傑作である。

 「ゴエモンのニッポン日記」

 この作品ほど、小説の形をとりながら、痛快に文明批評をしている著作を知らない。ゴエモンと名のる宇宙人が主人公(どちらが主人公かわからない)に居候して、あれこれこの日本を鋭く批評していく。

 「お召し」

 確か、ある日突然12歳以下の子どもだけになってしまったという世界を思考実験している。それも古代文書から、明らかになっていくというストーリテリングの鮮やかさで、印象に残っている。

 「コップ一杯の戦争」

 わずか2〜3ページだが、飲み屋でちょっと飲んでいるうちに、核戦争が起こり、帰るころにはもうすでに終わってしまっていたという奇妙な味わいを残すショートショートである。そのころから、小松左京は未来を見据えていた。今の世界もそうなるかわからない。重いテーマを軽いタッチで書いていて傑作だ。

 「骨」

 この作品も実に深いテーマを持っている。井戸を掘ろうとしたら、深く掘れば掘るほど、地層に埋まった骨が新しくなっていくという考えさせられる重いホラー小説である。

 さて、小松左京が亡くなって、偲ぶ会が行われたときに、それに参加したことがある。まわりはみんな作家、翻訳家、出版社などのプロがほとんどだったので、ちょっと気がひけたがそれだけ人気があり、慕われていたということである。この偲ぶ会は、新聞のニュースにもなった。
 小松左京は、晩年、うつ病になってしまった。NHKのクローズアップ現代に、今までに唯一取り上げられたことのあるSF作家であった。石川喬司さんが涙ながらに語っていたのが、印象的である。小松左京は、大きな作家である。取り扱うテーマが大きく、その語り口は鮮やかだった。
 星新一なら、タイトルそのものがすでに、SFだった。いわく、「悪魔のいる天国」「マイ国家」「妖精配給会社」「きまぐれロボット」「未来いそっぷ」等々。小松左京の場合は、果てしなく話がひろがっていき、ほとんどが壮大な長編になる。そして、テーマ自体が大きい。
 クラークも星新一も小松左京もそれぞれ特徴があって、優れた作品が多く、一度に語り切れない。思いついたものだけについて書いてみた。

 最近、天候がおかしくなり、どこで豪雨や災害が起こるかわからない。天災以外に、人災として起こりうるのは、北朝鮮とアメリカとの一触即発の危機だ。地球というこの狭い惑星上で、戦争状態になりそうだということは、人間はどこまでも争いが好きなのだろうか。
 ほとんどの人は違うと思うのだが、このところ毎日このニュースが一番だ。平和を願わない人はいないと思うのだが、どうしても意地の張り合いになるのだろうか。
                     (2017・8・23)

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