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2017年12月

No.436 (Web版86号)2

 SF essay(255回)

 川瀬広保

 もう11月になった。季節はうつろい、ついこの間、夏の暑さだと思っていたら、10月の台風一過、冬のような寒さになり、あわてて寒さ対策をしている。テレビを見ていても、これはというようなよいニュースはない。藤井聡太棋士が高校進学を決めたことがニュースになって、彼の「すべてをプラスに変えて頑張りたい」と言っているのを聞いて、若いのに素晴らしいと思った。国政選挙結果は混迷を深め、どうなることやら政治にはあまり関心はないのだが、どうしてもニュースを見てしまう。結果は自公政権の圧勝だったが、教育無償化で喜ぶ人はどれほどいるのだろう。

 さて、前回書かなかったのだが、森東作さんから「SFファンジン・データベース Ver.1.7」を送っていただいた。いつも緻密な仕事をされていてこうした活動には頭が下がる。かつてあったが今はもう活動していないファングループ、そして今も活動しているファングループのすべてを把握し、まとめようとするご努力には頭がさがります。ぜひ続けていただきたいと思います。森さん、ありがとうございました。送付者一覧の中に福田さんと私の名前を見つけました。

 ファンやファン活動という裾野の頂点に、優れたSF作家やプロの人々がいる。こうした活動は、目立たないところで行われているが重要であると確信している。

 さて、トランプ・フィーバーともいうべきトランプ大統領の娘、イヴァンカさん来日とそれに続くトランプ大統領自身の来日のニュースを見ていると、改めてアメリカという国は、自由でフランクでフレンドリーで、理想を追求する国であるという感想を持った。外国の政治家には普段あまり興味・関心を持たないのだが、今度のトランプさんには思わず、興味を持ってしまう。英語もゆっくりしゃべり、ある程度、聞き取れるので、いいのかもしれない。

 さて、安倍首相が盛んに言うことには、日本に来る外国人が2400万人になって、これからも増えるであろうということである。浜松城にいると、フランス人やインドネシア人を見かけて声をかけたり、浜松駅では、インド人やオーストラリア人、さらにはまつり会館ではロシア人のカップルにも会った。日本は安全だし(一応)、古い日本的な文化をめざしてくるらしい。だいたいは英語で意思疎通ができるが、うまく行かないときも多い。日本の「マンガ」に興味があるらしいということも少しわかった。

 さて、クラークは私にとって最高のSF作家であることは間違いない。長編も短編もどちらも実にうまい。もともとクラークは最初から確立していた。だんだんうまくなるという作家ではなく、最初から成功した作家だった。人には初めから成功している人と、だんだんよくなる人と、あとでうまくいく人とに分かれると思う。
 今度の日馬富士の事件を見ていると、よくわかる。政治家も見ているとよくわかる。今もテレビで中継している。こんな騒ぎになったのも、酒のせいだ。そして、
メデイアも一度火がつけば朝からどの局も徹底的に放映している。いずれにしても、暴力はいけない。

 さて、いっぺんに冬のように寒くなってきた。天候と人心と政治の行方そして、時代の変化がこの世を動かす。重要人物の一言一言のツイートや言葉が瞬時に世界中をめぐってかき回す。
 今の状況がしばらく前のSFそのものではないか。昔は人に何かを伝えるには、手紙だった。もっと昔は飛脚か何かでお殿様に伝えた。今は、ツイート、ライン、SNS、実況放送などですぐに世界中に伝わる。昔、読んだ宇宙科学冒険全集の一冊の中に、「光より、速いものは思考じゃよ」という科学者はなにかの言葉があった。人間は言葉によって意思を誰かに伝えようとするがなかなかうまくいかないことも多い。ところが、「思考」によって伝わることもあるようだ。以心伝心というものかもしれない。

 つい先日、大火球のニュースを見た。どうやら数センチの小惑星の成れの果てらしい。ほとんど、空中で消滅してしまうが、何年か前にロシアの方で、民家すれすれで激突したことがあった。まったく何があるかわからないものだ。昔、心配性の男のSFがあったが、隕石にぶつかりはしないかと悩む男の話だったように記憶している。ほとんどゼロに近い確立だが、全くのゼロではないというところが怖い。しかし、人々はそのニュースが過ぎれば忘れていく。そして、次のニュースが次々と現れるものである。

 さて、相撲界の不祥事のニュースがどこまで続くのであろうか。このところこの話題は終わることはなさそうだ。時間は「高さ」によって変わることが実際に突き止められたそうだという最新のニュースも接した。人間界の些事以外のところで、科学や宇宙が進歩したり、小惑星のかけらが今もこの地球にまた突き進んでいたりするのかもしれない。
 もうすぐに12月。一年など過ぎるのは早い。相撲界などの不祥事や高齢者講習(初めてやってきた!)、もうじき古希の年齢が目前に迫っていると思うと(簡単な式がもうあった!)もっと夢のあるSFを読んでいた方がいいように思う。夢のないディストピア小説のような未来社会が現出するか、もっと明るい希望にあふれた未来になるかは、やはり心の時代である人々の心に由来するのであろう。
 今月はSFエッセイらしからぬ内容になってしまいました。ごめんなさい。
                     (2017・11・25)

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No.436 (Web版86号)1

 『わたしを離さないで』についてあれこれ

 by 渡辺ユリア

 カズオ・イシグロ氏作のこの作品(6番めの長編)について思いついたことをつづってゆきたいと思います。本年度のノーベル文学賞を受賞されたイシグロ氏は、日本生まれのイギリス人作家。
1954年11月生まれ、1984年の長編デビュー作「遠い山なみ」で王立文学協会賞を、1986年の「浮世の画家」でウィットブレッド賞を受賞。1989年には長編第三作めの「日の名残り」でブッカー賞を受賞されました。そして2005年に発表した「わたしを離さないで」は世界的なベストセラーになりました。
 では、この作品について語ってゆきましょう。…どこから話しましょうか、まずタイトルについて。これは誰に言っているのかしら‥と思いました。そしてページをめくりました。第1章 “…わたしの名前はキャシー・H、いま31歳で介護人をもう11年以上やっています…” という冒頭のことば。介護人とは何だろうか、誰を介護するのだろうか‥ということが私の心にひっかかりました。文章は読みやすいです。でも心のすみで“なぜ”という疑問がわくのです。何か奇妙なふんい気があるのです。そしてキャシーから生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースや友人たちとの回想が語られるのです。図画工作に力を入れる授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度。キャシーの回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしてゆく。読んでいるうちに、タイトルのNever Let Me Goというのが思い出のカセットテープであることに気づきました。幼い頃に手に入れて大切にしていたテープがある日を境にして失われてしまうのです。そしてキャシーたちの未来がかいまみえてくるのです。奇妙なふんい気、まわりの人たちのぎこちなさ。キャシーやトミーやルースはこれからどんなふうに生きるのだろうか…ということに思いをはせました。特にトミーの心のはげしさ、やるせなさが伝わってくるのです。この人たちの心はどこに行くのだろうか。そして生きること、愛することとは何だろうか、ということが私の心にフッと浮かんできました。また、この人たちの未来がもしちがっていたら、とも考えました。もし人類よりも優秀な者たちが生まれたら、人類はその者たちを怖れ、そしてしっとするのだろうか…とも。
 物語のさいごのさいごまでゆっくり読んでください。そこにはキャシーのメッセージがみえてくるのです。
PS. 映画化されたDVDをさいしょにみることをおすすめします。次に小説をよんでみて下さい。そしてラストは日本でドラマ化されたDVDですね。どの作品も印象的です。ちなみに日本で舞台化されました。では
                   2017.11.21 yullia

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No.435 (Web版85号)3

 SF essay(254回)

 川瀬広保

 突然の解散で、テレビではそのことばかり。新党がやたらと出てきて、有権者はどれを選ぶか大いに迷う。私としては、高齢男性を大事にしてくれて、考えてくれる人や党を選びたい。
 少子高齢化で子どもの数が少なくなっていて、働く母親のために保育園が大いに人を必要としているらしい。保育園はあまり男性が働くところではなさそうだ。女性が輝くと言われると、男性はどうなるのかと思わざるをえない。女性東京都知事ばかり、カメラは追いかける。
 そんな中、英国籍のカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞することになったというニュースは、私は読んでいないのだが、大いに目を奪われた。突然の輝星の出現が男性であったというだけで、関心と興味を持った。
 ラスベガスの銃乱射の犯人はすでに自殺したのだが、彼の心は暗黒で今となっては知りようもない。男女機会均等法案のおかげ(せい?)で、必要以上に職場に女性が進出している。60歳以上の、いや35歳以上の採用は難しいらしい。日本人は極端だから、誰かが言い出すとそれ一色に染まってしまう。アベノミクス然り、今度はユリノミクスだそうだ。

 さて、SFの話題にしよう。
 SF作家にはアイディアだけでなく、名文家もいる。両方を兼ね備えている人は少ないが、アーサー・C・クラークはそのどちらも備えている。「幼年期の終り」の冒頭部分はなんと詩的かと思う。「都市と星」もそうだ。優れた作家はストーリーだけでなく、文章も非常に優れており、そこにはいささかも余分なものがない。冒頭の数行の it was a universe itself.までが優れたミクロ短編になっているように感じる。

 そこまでの原文を引用してみる。

 Like a glowing jewel, the city lay upon the breast of the desert. Once it had known change and alteration, but now Time passed it by. Night and day fled across the desert's face, but in the streets of Diasper it was always afternoon, and darkness never came. The long winter nights might dust the desert with frost, as the last moisture left in the thin air of Earth congealed- but the city knew neither heat nor cold. It had no contact with the outer world; it was a universe itself.
(その都市は、輝く宝石のように砂漠の懐に抱かれていた。かつては、そこにも変化や移り変わりがあったが、今ではそこは時の流れと無関係だった。夜や昼が砂漠の上を通りすぎて行ったが、ダイアスパーの通りにはいつも午後の日差しがあり、夜の帳りがおりることはなかった。長い冬の夜、砂漠では、地球の希薄な大気にわずかに残った湿気が凝結して、埃のように霜をおくこともあった。だが、この都市には暑さも寒さもなかった。そこは外界と何の接触もなく、それ自身が一つの宇宙だったのである。)(山高 昭 訳)

 これだけでも、改めて読むと想像力をかきたてられる。まず、ダイアスパーとは何だろうか。都市と言っているが、どんな都市だろうか。夜が訪れない都市とはいったい、どういう都市なのだろうかなどで、その先を読みたくなったものだ。
 クラークの文章は非常に詩的で、何か韻を踏んでいるようにも思える。よくわからないが。
 alteration という語と congeal という語に私は勉強させられている。変更や改変、そして凝結するという意味らしいが、クラークが名文家であることを表しているように思う。そしてそれをうまく訳している山高訳の方が私は気に入っている。

 また、優れた作品は優れた出だしで始まる。ジョン・ウィンダムの「トリフィドの日」、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」等々。

 「宇宙戦争」の冒頭部分は文明批評だ。人間が狭い地球上を右往左往しているとき、まるで顕微鏡下の滴虫を見ているように、火星人が人類を観察していて、まさか攻撃をしかけて来ようとしている。だが、その時、人類はそんなことはつゆとも思わず、日常の些事に無駄な時を費やしていたという数行でもうこの物語に引き込まれた。

 SFではないが、「吾輩は猫である」の出だしも、思わず居住まいを正したくなる。

 ちょっと改めて、引用してみる。

 吾輩は猫である。名前はまだない。

 どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。なんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。(以下 略)

 いきなり、吾輩はとくるし、名前はないのだ。最初から、漱石のユーモアを感じてしまう。もちを食って、〈踊り〉を踊ってしまうし(吾輩は決して踊りを踊りたいとは思っていないだろう)、最後はビールを飲んで甕に落ちて、亡くなる。漱石のユーモアと実話(?)の両方を感じさせられる。

 アルフレッド・ベスターの作品もそうだし、ハインラインは名文家というより、読者を引き込むストーリーテラーだ。

 クラークの「90億の神の御名」も同様である。ストーリーもさることながら、文章も味わい深い。

90億の神の御名が解明されたとき、終りの2行のようなことが起こるのだ。

 (万物必ラズ終ワリアリ)

 頭上で、音もなく、星々が消えていきつつあった。(小隅 黎 訳)

 万物を創造した神の御名がとうとう明かされるとき、その創造物である星々も消えてしまうということらしい。

 「前哨」の出だしも優れた文であり、いいなあと思う。

 このつぎ、あなたが、南の空に高くのぼった満月を見るときには、注意してその右側のふちに眼をとめ、それから円盤像のカーヴにそって上のほうへと眼を動かしていってみてほしい。時計でいえば二時にあたる付近に、小さいたまご形の暗影がみとめられるであろう。

 (以下 略)(小隅 黎 訳)

 この出だしは、〈危機の海〉を見つけるのに実にうまい表現だと思って、引き込まれたものだ。

 そして、調査隊は、この〈危機の海〉で、あの有名な「2001年宇宙の旅」でわれわれが初めて目にすることになったモノリスを見つけることになるのだ。

 その月で、モノリスではなくて、空洞が見つかったと最新のニュースが伝えている。マリウスの丘の地下に50キロにわたるものだそうだ。SFでは人工的なモノリスで、今回のニュースでは自然にできた(?)空洞らしい。何か月に人工物が見つかったのかと、一瞬色めき立った。

 優れたSFはアイディアだけでなく、表現力・文章力もなければいけないということを改めて感じている。

 さて、日本はどういう方向に向かうのか。選挙が終わって、老若男女全ての人々によいことがありますように。

               (2017・10・20)

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No.435 (Web版85号)2

 スタートレック・ディスカバリー

 中嶋康年

 9月25日からNETFLIXで、スタートレックの新作TVシリーズの配信が始まった。2005年に「エンタープライズ」が終了し、もうテレビシリーズの新作は作られないんじゃないかという噂も聞かれたが、それ以来だから12年ぶりの新作である。10月16日現在、第5話まで配信中で毎週月曜日に新エピソードが追加される。ネット配信なので、今からでも全話最初から見ることができる。
 時代設定はカークの時代の10年前、本作第1話で100年ぶりにクリンゴン帝国と遭遇する。主人公はマイケル・バーナム中佐(ソネクア・マーティン=グリーン「ウォーキング・デッド」で壮絶な最期を遂げたサシャ役の黒人女性)で、かつて両親をクリンゴン人に殺された後スポックの父、サレクに救われて育てられ、バルカン学習センターおよび科学アカデミーに初めて参加した地球人。船長でも艦長でもなく、普通の乗組員というのが珍しい。最初はミシェル・ヨー(映画界のスターが出演するというのも、ピカード役のパトリック・スチュアート以来か)扮するジョージャウ船長率いるUSSシェンジョウの副長として登場するが、第3話で初めてあらわれるUSSディスカバリーにある事情で乗り込むことになる。そして、このディスカバリーが相当にいかがわしい。船長が「ハリー・ポッター」シリーズのルシウス・マルフォイ役のジェイソン・アイザックスというのもいかがわしさに輪をかけている。
ちょっと凝りすぎじゃないのと思えるのが字幕。英語、日本語、韓国語、ポルトガル語のほかにクリンゴン語が選べるようになっている。クリンゴンの言葉だけではなく、すべてのセリフをクリンゴン語訳してあるという手の込みよう。

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No.435 (Web版85号)1

ドンブラコンLLアフターレポートII

by 渡辺ユリア

 皆様今日は。ではアフターレポートのつづきを書き記します。まず、第1日目の第2分科会は荒巻義雄最新作『もはや宇宙は迷宮の鏡のように』を語る…に行ってきました。御年84才の先生、元気ですね。にこにこ笑ってみえて、この作品は白樹直哉3部作の完結編である事。分科会で「この作品は遺書のつもりで書いたのだが、かきおわってから、次の作品の構想が浮かんだので、また書きます」…とおっしゃってました。
 そして第3分科会は『空想音楽大作戦2017「スターウォーズ」40周年』に参加してきました。やっぱり音楽は良いですね。まず『スターウォーズ』のオーケストラバージョンを聞いたあと、ミーコさん編曲のディスコ版のテーマ曲を聞いたり、去年お亡くなりになった冨田勲氏編曲のシンセサイザー版を聞いたのですが、主旋律が口笛風なのが、やっぱり冨田氏のタッチだな…と思いました。面白かったのが、ラジオドラマ版スターウォーズの日本語ふきかえ版です。神谷明さんがルーク役、潘恵子さんがレイア姫役、主題曲が日本語になって子門真人さんが歌っているのです。楽しかったです。
 そして2日目は、おひる頃は私はディーラーズルームにいて中嶋康年三谷新村佳三さん方とおしゃべりしてました。そして加藤直之先生のライブペイントをみていました。
 そして第3分科会は池澤春菜さんの「SF乙女の優雅でステキな読書道」に参加してきました。池澤さんのお声は、りんとしていて良いですね。まずフィンランドでひらかれたワールドコン2017に参加されたそうで、そのお話をされました。日本ブースでタコやきつくるんですね。そこでみえた方にお茶をつくってさし上げた事など話されました。
 そしてクロージングのこと。司会は池澤春菜さん。暗黒星雲賞の発表がありました。企画部門は『三行でおしえて』…リーダーの人が骨折して、急きょこれなくなったらしいです。時点はヒゲキタさんの『手作り三Dプラネタリウム』でした。そしてゲスト部門は草野原々さんでした。コスチューム部門はTVアニメの『けものフレンズ』サーバルちゃんのコスチュームをした人でした。そして自由部門は、名札ケースでした。やっぱり‥と思いました。このサイズでは名札入らないものね。
 そしていよいよ来年のジュラコンのプレゼンが始まりました。プロのテノール歌手(オペラの)の木下紀章氏が「残酷な天使のテーゼ」や「ギャバン」の曲や「宇宙戦艦ヤマト」の曲などを歌い、伴奏は映像のピアノ曲で、そのあとバックにはグランシップが空をとび、水上温泉の近くに行ったけれど、多くの恐竜が出現したので着陸できない…という映像がうつりました。みなさんに大ウケでヤマトの曲は会場のみなさんも多くの方がうたってみえました。
 来年は群馬県の水上温泉のホテル聚楽(じゅらく)です。ではこの辺で

                  yullia 2017.10.19

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