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No.435 (Web版85号)3

 SF essay(254回)

 川瀬広保

 突然の解散で、テレビではそのことばかり。新党がやたらと出てきて、有権者はどれを選ぶか大いに迷う。私としては、高齢男性を大事にしてくれて、考えてくれる人や党を選びたい。
 少子高齢化で子どもの数が少なくなっていて、働く母親のために保育園が大いに人を必要としているらしい。保育園はあまり男性が働くところではなさそうだ。女性が輝くと言われると、男性はどうなるのかと思わざるをえない。女性東京都知事ばかり、カメラは追いかける。
 そんな中、英国籍のカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞することになったというニュースは、私は読んでいないのだが、大いに目を奪われた。突然の輝星の出現が男性であったというだけで、関心と興味を持った。
 ラスベガスの銃乱射の犯人はすでに自殺したのだが、彼の心は暗黒で今となっては知りようもない。男女機会均等法案のおかげ(せい?)で、必要以上に職場に女性が進出している。60歳以上の、いや35歳以上の採用は難しいらしい。日本人は極端だから、誰かが言い出すとそれ一色に染まってしまう。アベノミクス然り、今度はユリノミクスだそうだ。

 さて、SFの話題にしよう。
 SF作家にはアイディアだけでなく、名文家もいる。両方を兼ね備えている人は少ないが、アーサー・C・クラークはそのどちらも備えている。「幼年期の終り」の冒頭部分はなんと詩的かと思う。「都市と星」もそうだ。優れた作家はストーリーだけでなく、文章も非常に優れており、そこにはいささかも余分なものがない。冒頭の数行の it was a universe itself.までが優れたミクロ短編になっているように感じる。

 そこまでの原文を引用してみる。

 Like a glowing jewel, the city lay upon the breast of the desert. Once it had known change and alteration, but now Time passed it by. Night and day fled across the desert's face, but in the streets of Diasper it was always afternoon, and darkness never came. The long winter nights might dust the desert with frost, as the last moisture left in the thin air of Earth congealed- but the city knew neither heat nor cold. It had no contact with the outer world; it was a universe itself.
(その都市は、輝く宝石のように砂漠の懐に抱かれていた。かつては、そこにも変化や移り変わりがあったが、今ではそこは時の流れと無関係だった。夜や昼が砂漠の上を通りすぎて行ったが、ダイアスパーの通りにはいつも午後の日差しがあり、夜の帳りがおりることはなかった。長い冬の夜、砂漠では、地球の希薄な大気にわずかに残った湿気が凝結して、埃のように霜をおくこともあった。だが、この都市には暑さも寒さもなかった。そこは外界と何の接触もなく、それ自身が一つの宇宙だったのである。)(山高 昭 訳)

 これだけでも、改めて読むと想像力をかきたてられる。まず、ダイアスパーとは何だろうか。都市と言っているが、どんな都市だろうか。夜が訪れない都市とはいったい、どういう都市なのだろうかなどで、その先を読みたくなったものだ。
 クラークの文章は非常に詩的で、何か韻を踏んでいるようにも思える。よくわからないが。
 alteration という語と congeal という語に私は勉強させられている。変更や改変、そして凝結するという意味らしいが、クラークが名文家であることを表しているように思う。そしてそれをうまく訳している山高訳の方が私は気に入っている。

 また、優れた作品は優れた出だしで始まる。ジョン・ウィンダムの「トリフィドの日」、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」等々。

 「宇宙戦争」の冒頭部分は文明批評だ。人間が狭い地球上を右往左往しているとき、まるで顕微鏡下の滴虫を見ているように、火星人が人類を観察していて、まさか攻撃をしかけて来ようとしている。だが、その時、人類はそんなことはつゆとも思わず、日常の些事に無駄な時を費やしていたという数行でもうこの物語に引き込まれた。

 SFではないが、「吾輩は猫である」の出だしも、思わず居住まいを正したくなる。

 ちょっと改めて、引用してみる。

 吾輩は猫である。名前はまだない。

 どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。なんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。(以下 略)

 いきなり、吾輩はとくるし、名前はないのだ。最初から、漱石のユーモアを感じてしまう。もちを食って、〈踊り〉を踊ってしまうし(吾輩は決して踊りを踊りたいとは思っていないだろう)、最後はビールを飲んで甕に落ちて、亡くなる。漱石のユーモアと実話(?)の両方を感じさせられる。

 アルフレッド・ベスターの作品もそうだし、ハインラインは名文家というより、読者を引き込むストーリーテラーだ。

 クラークの「90億の神の御名」も同様である。ストーリーもさることながら、文章も味わい深い。

90億の神の御名が解明されたとき、終りの2行のようなことが起こるのだ。

 (万物必ラズ終ワリアリ)

 頭上で、音もなく、星々が消えていきつつあった。(小隅 黎 訳)

 万物を創造した神の御名がとうとう明かされるとき、その創造物である星々も消えてしまうということらしい。

 「前哨」の出だしも優れた文であり、いいなあと思う。

 このつぎ、あなたが、南の空に高くのぼった満月を見るときには、注意してその右側のふちに眼をとめ、それから円盤像のカーヴにそって上のほうへと眼を動かしていってみてほしい。時計でいえば二時にあたる付近に、小さいたまご形の暗影がみとめられるであろう。

 (以下 略)(小隅 黎 訳)

 この出だしは、〈危機の海〉を見つけるのに実にうまい表現だと思って、引き込まれたものだ。

 そして、調査隊は、この〈危機の海〉で、あの有名な「2001年宇宙の旅」でわれわれが初めて目にすることになったモノリスを見つけることになるのだ。

 その月で、モノリスではなくて、空洞が見つかったと最新のニュースが伝えている。マリウスの丘の地下に50キロにわたるものだそうだ。SFでは人工的なモノリスで、今回のニュースでは自然にできた(?)空洞らしい。何か月に人工物が見つかったのかと、一瞬色めき立った。

 優れたSFはアイディアだけでなく、表現力・文章力もなければいけないということを改めて感じている。

 さて、日本はどういう方向に向かうのか。選挙が終わって、老若男女全ての人々によいことがありますように。

               (2017・10・20)

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