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2018年3月

No.438 (Web版88号)3

 2017年の宇宙に関するNEWSについてあれこれ

 by 渡辺ユリア

 寒中おみまい申し上げます。まず、おそらくBIG NEWSなのは、土星無人探査機カッシーニのいろいろな発見やフィナーレのことでしょう。20年前にNASAなどが米国フロリダ州から打ち上げ、2004年に土星周回軌道に到着、2005年には、子機ホイヘンスが衛星タイタンに着陸、そして衛星エンケラドスで水が噴き出す現象を発見、そして土星の輪などの画像の撮影は45万点あったそうです。13年間かけてそれほど多くのデータを集めたのです。土星の輪が従来は形が安定していると考えられてましたが、カッシーニの観測で、ダイナミックに変化することが明らかになりました。衛星が近くを通過することで、短時間のうちに形をかえたり、衛星が放出した氷やちりで新たに輪が作られていることも分かったのです。それにしてもカッシーニが撮影した土星の輪は、いろいろな層があって美しいな、と思いました。
 そして2014年には、衛星エンケラドスの表面の厚い氷の下に液体の海があることが発表されました。これはカッシーニの観測によってです。2017年4月に任務終了に向けた「グランドフィナーレ」のミッションが開始され、9月12日に衛星タイタンの重力を利用して軌道変更がスタート。そして15日に土星大気圏へと突入していきました。その間にも土星の大気のサンプルの分析データや土星の最接近の画像を送りつづけたそうです。すごいミッションでした。
 話はかわって地球での話です。11月21日夜、東日本から西日本にかけての広い範囲で光を放つ物体が落下するのが目撃されました。インターネット上には”隕石を目撃した”という投稿が相次いだそうです。地表に落下する隕石が光る「火球」とみられたようです。ツイッターでは「隕石落ちた」「流れ星みたいなのがすごい勢いで光って消えた」「白い光が赤く燃えて落ちてくるのが見えた」といったコメントと共に隕石とされるものの写真や動画が次々と投稿されました。そういう新聞の記事の中には、埼玉県滑川町で車の運転中に光る物体を目撃し、ドライブレコーダーで撮影された写真が載ってました。これはすごいことです。
 では、このへんで、今日1/25は日本全国で氷点下になった場所がとても多買ったそうです。日本の80%の観測地点で氷点下だったようです。東京でー4℃、岡崎ではー2℃でした。
では、                 2018.1.25 yullia

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No.438 (Web版88号)2

 SF essay

 川瀬広保

 2018年、平成30年が明けた。ノストラダムスの予言から、もうじきおよそ20年にもなろうとしている。天候は常に不純で、人々の心もまとまらない。貴乃花は一人、孤高として無言を貫いていて、彼のその行動には賛否両論がある。
 昔から行なっていることは相撲に限らず、正月の準備として、しめ縄を飾るとか、神仏に御祈祷するなど、日本人のほとんどがやっていることだと思う。今日はその鏡開きの日になった。

 さて、SFマガジンはオールタイムベストSF映画総解説のpart3が出た。知っているタイトルはあまりない。「日本沈没」「トランスフォーマー」「ミスト」「アイアンマン」「アバター」「ゼロ・グラビティ」ぐらいか?
 SFの原作と映画は別物だとはよく言われるが、映画から原作を知ることも多い。「ミスト」はおどろおどろしくて、よかった。「ゼロ・グラビティ」はリアルな近未来的SFだった。「日本沈没」は、日本が消えていくところが悲しかった。日本と日本人が消えていくとどうなるのだろう?幸い、今のところ、日本は沈没も消滅もしていない。「アイアンマン」は、かっこよかった。現実の人間ができないこともアイアンマンにはできるのだ。「トランスフォーマー」は何にでも姿を変えられるというアイディアで続編が次から次へと出た。
 まだまだ見ていないSF映画がたくさんあるということがこの「総解説」でよくわかる。

 まだ見ぬこれはという想像上のSF映画の原作をあげてみよう。
  クラークの「幼年期の終り」
       「星」
       「前哨」
       「銀河帝国の崩壊」
 ハインラインの「夏への扉」
 この作品は、主人公(?)である猫のピートの演技指導が難しいーいや、ほとんどできないだろうな?
 などと、まだ見ぬSF映画への希望はふくらむ。

 SFマガジン2月号には、アーサー・C・クラーク生誕100年記念特集が載っている。そこにはスティーブン・バクスターと競作の白鹿亭奇譚の新作と、ショートショートセレクションなるもの等が載っていた。前者はウェルズやアシモフ、ベンフォードらの実在ネームが登場して、あれこれと白熱の議論を戦わせている。
 後者のショートショートはあまり意味が分からなかった。どうやら、地球は何者かに壊されて、半分ぐらいが中空にかかっているらしい。「好奇心発生器」とは何だろう?6つの「演算子」が、ラストの6つのチェス用語(?)らしい。クラークはこの世は偶然にできたと言いたいのかもしれない。

 クラークのフィクションもノンフィクションもペダントリーと示唆に富んでいる。「2001年宇宙の旅」の後半20分がそうだったし、「未来のプロフィル」など大いにそのように感じる。クラークが現代の予言者と言える所以である。

 さて、小松左京の「復活の日」の新装版が出たので、ちょいと高いが思い切って買ってきた。
 懐かしの日本SFシリーズに「復活の日」が出たのはもうだいぶ以前だ。あれから50年、早川から新装版が出た!ちょっと高いが買ってしまった。ゆっくり読み返すことにしようと思っている。旧版があるのに、買ってしまうのは、あとがきを書く人が変わっているとか、表紙絵が変わったなどもその理由のひとつだ。今回は、生頼範義のカバー絵が売りのようだ。

 2月ももうすぐだ。列島は寒波に震えている。やはり、寒さには弱い。月並みだが、早く暖かくなるといいなと思う。
                  (2018・1・25)



 

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No.438 (Web版88号)1

ネオローダンの話

加藤弘一

ローダンシリーズの宇宙ハンザへフトまでを読了したので、溜まり始めたネオローダンシリーズを読み始めた。
さて、本家ローダンシリーズが始まったのは1961年の事である。
当時のTVは真空管なので画面が出るまでに時間がかかり早めにスイッチを入れなくてはならなかったが、アルコン船のスクリーンも真空管仕様(笑)だったようでトーラの姿が現れるまでに十数秒かかった。
スマホなどはなく、通信は小型トランシーバーのミニカムか公衆電話。
検索するには巨大なコンピューターに入力してデータテープを出力させて、これを解読装置にかけて解答をみる。
後に巨大コンピューター「ネーサン」が登場して通常の会話でやり取りが出来るようになるが、スマホのような便利な端末は存在しない。

かのような訳で今の世とローダンの世界との整合性の為にネオローダンのプロジェクトは2011年に始まったと解説は告げている。
以後、ローダンシリーズを本ロと、ネオローダンシリーズをネロと呼ぶ事にする。

ネロのスターダストは、連絡の途絶えた月面基地の調査の為2036年に地球を発進した。
そして、元凶たるアルコン人に会うことになる。
このエピソードが描かれている第一巻はすらすらと読むことが出来た。
しかしながら、お馴染みのゴビ砂漠に着陸してバリアを展開し、支那軍と対立を始めてからとたんにペースダウンしてしまった。
何故かというと登場人物の描写が細かくなり話が進まなくなってしまったのだ。
まるで、グインサーガみたいである。
(ファンの皆さんごめんなさい)
そして、書き始めるとネタバレになってしまうが、本ロと比べてネロのローダン達がアルコン人からもらう装備品の種類が少ないのです。
ネロでアルコン人からもらう装備品は、改造されたスターダスト・バリア発生装置、マッハで飛べる宇宙服、アルコンロボットとテラニア建設資材である。
本ロではそれに加えて棒状の反重力発生装置と精神暗示装置があり、更にトーラが東西ブロックの核戦争の危機にはニュートロンジャマー(ガンダムSEEDで出た奴ね)を用いて核戦争を無効化してしまった。
ローダンの相棒ブルは核兵器が使えなくなった支那軍を反重力と暗示装置を使って翻弄し、勝利に導いている。(シリーズ中ブルが一番活躍したエピソードである。)
以上のようにネロではバリアのような防御的な兵器しかないために、支那軍に効果的な攻撃ができず、膠着状態に陥って話が止まったままなのである。
これはなぜかと言えば、本ロでは後にミュータント部隊が登場しローダンを助けて活躍するのだが、その頃にはサイコキネシスに相当するコンパクトな反重力装置やテレパシーに相当する暗示装置が初めから存在しなかったように登場しなくなる。
ご想像の通りネロではミュータント部隊が登場することを初めから設定されているので、超能力的な効果を持つアルコン装備が無くなっているのである。
かくしてローダンはミュータント部隊を今か今かと待つ役どころしかなくなり、お話は登場人物の背景をさらに深く掘り下げる為に、なかなか進まない事となって行くのだ。

ここまでが、第6巻ツインズまでを読み終えて感じた事である。
第一シリーズ終了まであと二巻という事はこの次どんでん返しがあり最終巻で感動的な完結へと向かうのだろうか?
そうなら2巻から6巻までの尾ひれ羽ひれのボリュームをもう少し減らして貰いたいものだと思うのは自分だけだろうか。

また、本ロではブリーやグッキーといったキャラクター達が悪戯が大好きで物語の潤滑剤になっている。
ネロでは遊びがなくひたすら真面目な話が続き少し疲れる感じがする。

以上読んだ感想です。

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