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2018年4月

No.440 (Web版90号)2

 SF essay(259回)

 川瀬広保

 政府が働き方改革と盛んに言うようになった。ついこの前までは、女性が輝く社会の実現と言っていたのに、言うことが違ってきた。高度プロフェッショナル制度だそうである。だいたい、内閣に含まれる女性の率を諸外国と比べて、日本はだいぶ低いということだけで、女性が活躍しているということを比べられるのだろうか。この世は男性と女性でできているのだから、やたらと女性が女性がと言いすぎていると思う。

 さて、SFの話題に戻そう。テレビを見ていたり、新聞を読んでいたりしても、SFの二文字が出てくることはあまりないが、それでも「1984」が出てきたり、日曜日の書評欄にJ・G・バラードの作品が取り上げられていたりすると、うれしくなる。また、夜のNHKの教育テレビではレムが取り上げられていたりする。そんな時代になってきた。
 昔、SFがまだ空想科学小説だったころとは比べることはできないが、SFの認知度が少しずつ上がっているのかもしれない。

 「SFが読みたい!」を買ってきた。一応昔から、必ず年に一度だが買っている。今年一年各出版社がどんなSFを出版予定かがわかるからである。また、2017年にどんなSFが読まれていたかを把握できるからである。

 クラークの「超常現象の謎を解く」という昔出たノンフィクションの中で、クラークは昔、超常現象を信じていたというのだ。彼が亡くなる前に、「一度宇宙人に会ってみたい」と言っていたそうだが、ずっと昔は、宇宙人がいると言ったら、そんなもの信じているのかとバカにされた。しかし、SFの神様と言われ、一流の科学者でもあり、ノーベル平和賞にノミネートされたクラークのこの発言だから、われわれが宇宙人と遭遇するのも案外、近いのかもしれない。

 また、昔から以心伝心と言って、遠く離れていても、思いは伝わるということが、オキシトシンという物質で解明されつつあるようだということを、SFではないが、最新本「人のために祈ると超健康になる」(マキノ出版 平成30年2月20日発行)で知った。肩こり、頭痛、めまい、不眠等々の症状は西洋医学ではなかなか治らない。これらを別の観点から、アプローチしようという発想で、例えば、癌に侵され、医者にも見放された人が愛する人に「祈られる」ことによって、回復することがあるのは、決して非科学的なことではないらしい。

 考えたことはいずれ実現する。いずれタイムマシンも透明人間も実現するであろう。それは、人間の想像力で「考えた」からだ。また、昔、SFという言葉がなかったころ、ある子ども向け空想科学小説で、ある科学者が、「光より速いものはありますか」という子どもの質問に「それは人間の思考じゃよ。考えたことは瞬時に伝わる」と答えていたことを思い出した。光速以上の速さはないという通例の現代科学を超えて何かがあるかもと、そのころはわからなかったが、今になるとそうかもと思わされる。

 だいたい、そんなことはあり得ないというのが、「今」の発想だ。あるとき、何かが突然逆転することはよくあることだ。クラークの法則にも偉い高齢の科学者がそんなことは不可能だといえば、だいたい間違っているというのがあった。十分に発達した科学は魔法と見分けがつかないという言葉もあった。

 さて、ホーキング博士が亡くなった。天才の頭脳を持ちながら、筋肉が動かない病気に侵されて、車いす生活をよぎなくされて、その一生を終えた。

 毎日のように、おかしなニュースが現れては消え、また現れる。人間の心の中に、その原因がありそうだ。

 近くの公園には、桜を見に来る人が来はじめた。いっぺんに暖かくなってきた。最後に、Newton最新号のソンブレロ星雲の写真を見ると、いい写真だなあと思う。

 今回はまとまらない文になってしまった。また、次回。

                (2018・3・24)

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No.440 (Web版90号)1

石ノ森章太郎
アフリカ旅行と青いけもの

福田淳一

 石ノ森章太郎の海外旅行は、1961年(昭和36年)若干23歳という若さで8月24日から約3ヶ月もの長期間に渡って世界を一周したものが有名である。
 この時は、ハワイ経由でサンフランシスコへ入り、アメリカを横断してニューヨークへ入った。そこからヨーロッパへ渡り各国を巡り、エジプト、香港などを回ってきた。

 続いて1968年(昭和43年)30歳の時、9月27日から10月3日の1週間で香港、マカオ、台湾へ旅行に行っている。これが二度目の海外旅行となる。
 この時は藤子不二雄、園山俊二、つのだじろう、鈴木伸一との旅行であった。いわゆる「トキワ荘」時代からの仲間であり、「新漫画党」の仲間、当時は「スタジオゼロ」のメンバーでもあった。
 この旅行には、遊びに行くという以外に香港、台湾で「サイボーグ009」等の海賊版が出回っていたため、それらの国のマンガ家の良識を促すという目的も持っていた。

 そして、1970年(昭和45年)32歳の時、7月1日から7月25日までの予定で、石ノ森章太郎は藤子不二雄Ⓐと園山俊二のマンガ家仲間三人でアフリカ旅行へ出かけたのである。
 アフリカでは、ケニア・タンザニア・ウガンダの赤道付近の3か国を回っている。このアフリカ旅行は20日頃までで、その後団体旅行とは別に、ニース(フランス南東部)やリスボン(ポルトガル)・ロンドン(イギリス)などのヨーロッパを旅して帰ってきた。
 このようにして「アフリカ旅行」へ行った翌年の1971年(昭和46年)、石ノ森章太郎は、「青いけもの」という作品を1月4日から10月16日まで230回『河北新報』に連載する。
 この『河北新報』は、宮城県仙台市に本社を置き、東北地方を中心に発行されている新聞になる。この新聞に1月4日の月曜日から土曜日まで、日曜日を除き毎日1ページづつ掲載されていた。

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 ある動物学者とそのむすこが世界動物保護連盟の命を受け、世界中の動物保護の状況をカメラに収めるため旅をします。ある時は密猟グループと、ある時は”公害”企業と戦ったり、また動物たちの生存競争に巻き込まれる場合も有ります。そして行く先々で”青いけもの”を目撃するのです。それは深い青い地毛に白い斑紋のある不思議な動物なのです。この青いけものの正体は?敵なのでしょうか、味方なのでしょうか。
 作品の中には世界中の滅びゆく珍獣奇獣が登場しますが、この作品のアイディアは石森氏が河北新報社の以来で、ことし七月、アフリカ旅行をしたさい生まれたものです。作者はここで動物たちの滅亡は人類の滅亡につながることを描きたいと語っています。

 これは熱血冒険マンガです。これは愉快な動物マンガです。これはまたファンタジックなSFマンガでもあり、深刻な社会派マンガでもあります。ふしぎな”幻の青いけもの”を追って世界中を旅する動物学者親子が、さまざまな珍獣奇獣とのかかわりあいの中から、生命とは何か、そして人間とは……という問題を考えて行くのです。動物学者親子は作者の私であり、読者のみなさんでありえたら(になりえたら)この作品は”成功”したことになるでしょう。ご期待の上、ご支援いただきたいと思っています。

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 この「青いけもの」の単行本には収録されていない予告を見ると興味深い。まずはこの作品のアイデアが、河北新報の依頼でアフリカ旅行をした際に生まれたものと書かれていることである。以前から「青いけもの」の内容やテーマを見ると、「アフリカ旅行」での体験が生かされて生まれた作品であるように感じていたのだが、予告を見た時この二つが完全に結びついたのが嬉しく感じられた。
 この様に「アフリカ旅行」は、大自然の中で連鎖のバランスを壊し始めた人類に一石を投じた「青いけもの」という名作を生み出した。だが、この「青いけもの」は全集を除き大都社からB6判の単行本として一回発行されただけで地味であまりメジャーにはならなかったのが残念だ。
 しかし、もう一つこの「アフリカ旅行」での体験から生まれたメジャーな作品がある。それが「仮面ライダー」である。「仮面ライダー」はこの「青いけもの」の連載開始から3ヶ月後の1971年(昭和46年)『ぼくらマガジン』の16号(4月12日号)から登場する。
 仮面ライダーは第1話「怪奇くも男」の中で「大自然がつかわした正義の戦士 仮面ライダー」と名乗りを挙げる。”仮面ライダー”は”青いけもの”とイコールという事になる。そして作品に登場する怪人たちは、環境破壊や公害などにより絶滅の危機にあった昆虫や動植物をモチーフに描かれていた。

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No.439 (Web版89号)3

SF essay(258回)

川瀬広保

 ボランティアで時々、天文台へ行く。曇ったり、雨がふったりしている時は行かないので、せいぜい月に一回あるかないかだ。先日行ったときは、寒波で屋上は寒くて大変だった。それでも、来る人は来るので、世の中には天文ファンも多いのだと思ったものだ。天文ファンとSFファンの接点はどこにあるのだろうといつも思う。完全に両立させている人はどのぐらいいるのだろう。クラークが大きな望遠鏡をのぞいていた写真をどこかで見た覚えがあるが、クラークなら両立させているのだろう。セーガンもきっとそうであろう。現実的な天体観測と数億年後の未来を想像力で描くSF作家とではやはり種類が違うのだろう。

 さて、天体観測は現実であり、重い機材を運んで、組み立てたり、寒い戸外で腰をかがめて目標物を導入したりするのは現実である。接眼鏡越しに見るその遠い星にも生命はいるのだろうかと考え、想像するのがSFである。

 さて、AIが進化発展して、AIBOの新製品が販売されたというニュースに接した。高額でも30分で完売したという。ASIMOはSF作家のアシモフ由来であると思うが、そのアシモフが創設したロボット三原則では、ロボットは、自分に危害がふりかからなければ、常に人間を助け、人間を守るという大原則がある。
 しかし、人間にはそういった原則はなく、自分勝手でわがままなのが、人間である。
 高齢になって、家族でさえ、人間関係が希薄になってしまい、人生の晩年は、AIBOと共に過ごすとしたら、何と寂しいことではないかと思う。
 高齢夫妻が、我が子とではなく、ロボットのAIBOとともに生活する。そして、本来の家庭生活が十分にできないとしたら、おかしなことだ。SFの世界では受け入れられても、実際の生活ではどうだろうかと思わざるをえない。
 それだけ、現代は家族の人間関係が希薄だということだ。ロボットに、その人間関係のための架け橋ができるならいいことかもしれない。しかし、AIBOはいうだろう。「どうして、人間の家族はそんなにお互いに相いれないの?」と。

 ロボットが人間になりたいというアシモフ原作の映画を思い出した。「アンドリューNDR114」(The Bicenntenial Man)である。ロボットが人間化し、人間がロボット化する。その先は混沌である。人間もロボットもなく、人間はロボットのようになり、ロボットは人間のようになる。見分けはつかない。そんな時代がいつか来るのかもしれない。「ゼイリブ」という映画も思い出した。古いSF映画だが、「やつらは(この地球に)生きている」というわけだ。やつらとは人間そっくりの宇宙人であり、地球をのっとることを考えているのだ。ディックの作品にもその手の作品が多かったように思う。あなたの配偶者が宇宙人だとしたら?あるいはロボットだとしたら?AIBOがもっと発達して、人間と見分けがつかなくなり、人間だと思っていたら、実はロボットだったというような近未来の話はありうるだろう。ニュースはすぐ消えるが、AIBOの発達のこの手のニュースには考えさせられることが多い。

 さて、ピョンチャン・オリンピックに特に興味はないが、羽生結弦の66年ぶりの二個目の金メダル獲得のニュースやまだ中学生なのに羽生名人に勝ったという藤井聡太棋士のニュースが大きく報道され、また新聞の一面に載っているのを見るとこれはすごい快挙なのだと目を身開かされる。

 まだまだ寒い日々が続く。それでも午後6時近くまで日は延びた。3月になれば少しずつ暖かくなるだろう。冬の次は夏で、春や秋という季節がなくなってしまったかのような不順な最近の天候だが、ちょうどいい気候というのはいつでもないものだ。それは、天候だけでなく、宇宙のすべてに通じるものなのかもしれない。人間の心も極端だ。争いは二派に分かれ、いつまでも続く。スポーツでは、オリンピックの活躍が国や人々を結束させるもののようだ。

 クラークの「太陽系最後の日」の冒頭部分に次のような文がある。
(宇野 利康 訳)

 はたしてこれは、何人の責任であろうか?そうした問題が、たえずアルヴェロンを苦しめ続けた。三日のあいだ考えぬいたが、ついに結論に達しえなかった。かれがもし、もっと文明のおくれた種族に属し、もっと感受性のにぶい生物であったら、これほどまでに心を悩ませずにすんだかもしれない。運命の作用に生物が責任を持つ理由はないと、一言のもとにいいきることができたからだ。

 「運命の作用に生物が責任を持つ理由はない」という文言に深みがある。クラークがただのSF作家ではないということがわかる。

 優れたSF作家の金玉の文章が心に残る。クラークに限らず、ウェルズはもちろんのこと、ジョン・ウィンダムやフレデリック・ブラウンなど、名文を書く作家が多い。心に残る文や一節が光っている。SFを読む楽しみは、アイディアや奇想だけでなく、深みのある人類へのサタイヤや期待が描かれていると、強い印象に残っているものだ。

 今回は、AIBOの進化・発展のニュースからあれこれ考えて見た。
                  (2018・2・24)

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No.439 (Web版89号)2

手塚治虫氏の名高い名作「ロストワールド」についてあれこれ

by 渡辺ユリア

 みな様お元気ですか?まだまだ寒い日がつづいています。
さて、今回は、図書館で借りてきた復刻文庫シリーズの一冊、手塚治虫氏のマンガ「ロストワールド」について書いてみます。角川書店から平成6年11月25日に初版発行された本ですが、元々は1948年(昭和23年)12月20日に不二書房より発行された作品だそうです。復刻版は、2色ずりで(コピーしたのでわからないですが)この2コマめの山のまわりがうすい赤色です。
(印刷版PAPER MOON No.439参照)
では、ストーリーのほうに行きましょう。カバーうらに解説文がのっているので引用します。…“太古の混沌としていた地球からちぎれ、宇宙のかなたへととび去った謎の星、
ママンゴ!地球とおなじ大気を持ち、人類さえ住むというママンゴ星が五百年ぶりに地球へ接近、この星にかくされたエネルギー石を求め、とび立った敷島博士たち探検隊が見たママンゴの世界は…。”というのです。
 いろいろなアイディアがあふれた物語。敷島博士がこどもであることや、私立探偵としてヒゲオヤジさんやランプが出てきたり、そして別の博士が、植物を成長させ(進化させ)人間のような意識を持たせ、そして人の姿にさせる…という研究をしたり、敷島博士が、動物の脳を、ある手術によって人間の脳につくりかえる。そして二足歩行して、しゃべる‥というウサギくんのような動物をつくる…という研究をしているということ。今から思ってもすごいアイディアだと思っています。では
               yullia 2018.2.23

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No.439 (Web版89号)1

 シマ・リン。孤独なアストロノートの魂の軌跡       新村佳三

2018年の冬アニメ、話題作、問題作が目白押しだ。
だが、その中で最も注目を集めているのが、シマ・リン、という名の高校生の物語だ。
舞台は現代の山梨県の本栖湖あたり。シマ・リンは、そこの高校に通っている。
春夏秋は、普通の高校生として生活しているが、冬になると、一人で孤独なキャンプ生活を送る。
作品では、シマ・リンの野外での生活の様子が、淡々と描かれている。

はじめのうちは、別にとんでもない事件が起きるわけではない。静かな生活描写が続く。
冬のある日、近くのキャンプ場に自転車で出かける。管理事務所で手続きを行う。
キャンプ場のテントを張る場所を決める。冬なので、他のキャンパーはあまりいない。
「他のキャンパーが少ない」
これがシマ・リンが冬にキャンプをする理由らしい。
テントを張り、椅子を設置し、読書をする。
寒くなってくると、火を起こし、日が落ちてくると、コンロを用意して、食事をする。

これがなぜか面白い。

理由は、シマ・リンの様子である。
ほとんど表情の変化はない。だが、楽しそうなのは伝わってくる。
キャンプ場の周辺部の散策、焚き火用の枯れ木の採集の様子が、
シマ・リンのモノローグと共に描かれる。
探検者の好奇心の充実が感じられる。
まるでアストロノートのように。
シマ・リンにとっては、自転車が宇宙船であり、キャンプ場が辺境の惑星、
そしてテントが着陸船なのだ。
冬のキャンプなので、防寒のために重装備になるのも、雰囲気を出している。
積荷が満載された自転車で、すれ違う車もほとんどない寂しい山道を一人走っていく様子など、
アストロノートの孤独な宇宙飛行を思わせる。
シーズンオフのうら寂しいキャンプ場に佇み、白い息を吐くシマ・リン。
折りたたみ椅子に座って、毛布に包まれたまま暖かい飲み物を飲み、本のページをめくる。
本の内容は、地球の不可思議、怪異、もしくは宇宙の神秘、などだ。
孤独なアストロノートが、遠い故郷に想いを馳せるかのよう。
夜になれば、頭上は満天の星。
帰路の無事を願い、眠りにつく。

だが、突然、静穏は破られる。
エイリアンが現れ、喧騒と狂乱の只中に…

後は、どうか作品をご覧ください。
ナレーションは、新スタートレックのライカー副長役の大塚明夫氏です。

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