No.441 (Web版91号)2
SF essay (260回)
川瀬広保
星新一「気まぐれ星からの伝言」ほか
ひまなときはついテレビを見る。テレビは一方的なので、受け身になるが、それでもいろいろと新しいニュースや最新の用語などに接することによって頭の体操にはなるかもしれない。よく見る番組のひとつに夜のNHK教育テレビの「しごとの英会話」がある。英語を学んでいない日本人の日本語的思考が陥りやすい語順や複数形を無視(?)した英語がおもしろい。日本語を学び始めた外国人の日本語がきれぎれで、何とかわかるがおかしいというようなものなのか。それを「先生」が直していって、英語らしくしていくという15分の番組だ。残念ながら、この3月で終わってしまった。また、4月から新しい英会話番組が始まるだろう。と思っていたら始まった。今度のはあまり面白くない。
さて、4月が始まった。ついこの間までは、寒い寒いと言っていたが、もう寒くはなく、夏の気温になろうとしている。寒いどころか、もう暑い。
星新一生誕90周年記念で『星新一の気まぐれ星からの伝言』(徳間書店)という本が出ていることを知らなくて、偶然知り、あわてて書店に注文して今日、手にすることができた。まず、ざっと目を通したら、最後の方に星新一がメッセージを載せたり、ファンジンに評を載せたりしている中に、昔の明治大学SF研究会発行の「テラ」に載せた星新一の書評を見つけた私は、思わず目を開いた。
その昔、私は明治大学でSF研究会を創立し、早速ファンジン「テラ」を発行した。出来上がったその一部を星新一にも送った。そのころは、住所が巻末に載っていたらしい。星新一以外にも、何人かに送った覚えがある。星新一は早速、一ファンジンの書評を返してくれた。それが、今ここに載っていて、その批評文を懐かしく思い出す!
あのころは星新一が身近だった。そして、あれから50年、この本はまた星新一をよみがえらせてくれた。その他にも、記憶に残っている有名なファンジンを数多く見つける。皆さん、星新一のところに、自分たちのファンジンを送っていたのだということが改めてわかった。そして、それらを読み、返信していたのだ。星新一はきっと楽しんでいたのだ。
星新一には二度会ったことがある。一回目はトーコン5でサインをもらったとき、もう一度はエヌ氏の会主催で確か浜松に来られた時に、ひとりひとりが氏に一言ずつ述べたときの二回だ。私は「『夢魔の標的』のような長編をもっと書いてください」と言った。ショートショートの神様にもっと長編を書けと言ったのだから、的外れだったかもしれない。しかし、星新一はニコニコしながら聞いていた。
こういう本が出て、今、私もこういう文を書いているぐらいだから、没後も、星新一の人気は衰えていないということは事実のようだ。
さて、NASAの新型宇宙望遠鏡の打ち上げが成功し、第二の地球発見を目指すとのニュースに接した。われわれが住むこの地球は青くて生命にあふれている。金星にも火星にもどうやらあまり生命はいなさそうだ。他の外惑星にも同様である。
そこで、第二の地球探しがいやおうにも始まるというわけだ。果たして何百光年もの先に地球型の惑星はあるのだろうか。これはSFではなく、現実の問いになってきたようだ。そして、さらに空想がふくらむとそこには自分にそっくりの宇宙人が住んでいるのだろうと考えたりしてしまう。星新一のショートショートにも何かあったような気がする。「われわれは孤独ではなかった」という言葉が近い未来にNASAのニュースで聞かれるようになるかもしれない。
われわれは地球上の隣人とはつながりがほとんどなくても、百光年先の惑星に住む親戚ができるかもしれないのだ。そんなことを考えさせるニュースだった。昔はSFでしかなかったことが、現実になるようだと思うと、胸がわくわくするではないか。SFは常に時代の先に行っていたのだ。
これは、あれこれ考えさせられるニュースだった。
もうじき5月。浜松は祭りで一色になるだろう。400年後にも浜松まつりは続いているだろうか。そんなことも考えた。星新一については、また書くかもしれない。
(2018・4・22)
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