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2018年7月

No.442 (Web版92号)3

 SF essay(261回)

 川瀬広保

 野球を見ない私でさえ、「オータニ・サン!」と外人アナウンサーが絶叫する日本人活躍の画面は見てしまう。
 卓球は好きなので見る。女子卓球の中国人ナンバーワンとの試合は思わず真剣に見た。スポーツを通して、世界が友好ムードになるならよいことだ。5月なのに、夏のような気温だ。事実の方がSFより奇なりということにならないようにSFにも目を向けなくてはいけない。


 さて、世に残るSFやSF作家というのは、どんなものなのだろうかと考える。100年たっても残るものはどのぐらいあるのであろうか。映画「アマデウス」の中で、サリエリが自分の人生を思い出しながら「私のオペラはしだいに演奏されなくなり、消えていった」と自嘲気味に語る場面があるが、SFやSF作家はどうであろうか。
 星新一生誕90年だそうだ。先月書いたが、バラエティブックも出た。星新一は今後もずっと、読まれ続けるだろう。夏目漱石の「吾輩は猫である」は100年後に残っているかどうか。星新一は1000編ものショートショートを書いたが、本当に残るのはわずか10編もあるかどうかだと本人自身が思っていたようだ。不変ということはなく、消えていくかもしれない。
 未来や可能性を追求するSFとしては、どんなSFも消えてもらいたくない。SFファンがその蔵書をなかなか手放さないのは、まだ何か残っているだろうと信じているからではないだろうか。しかし、蔵書は増えるばかりで、減ることはない。作品も同様である。「星新一の気まぐれ星からの伝言」はかつてSF作家とファンが近かったころの良き時代を思い起こさせてくれる。星新一ファンの中で、50年ほど昔のファングループを知っている人たちには、この新刊は懐かしさを引き起こし、それはいつまでも消えないものである。
 星新一に限らず、記憶に残るSFやSF作家は数多い。あまり考えても仕方のないことかもしれないが、この本を読んであれこれ考えた。SFの評価にもつながる。評価などなかなかできることではなく、それは今の評価で明日になればまた変わってくるだろう。
 光瀬龍や平井和正の本も出ているがそれらはまた後日に譲ろう。

 さて、今月はあまりSFの話題がない。過去に出たものの再販や新装版を追っているときりがない。私の場合、昔からクラークが好きだが、もうクラークの新しいものは出ないだろう。日本では星、小松、光瀬、筒井らだが、星新一のこのバラエティ・ブックの他には筒井康隆のSFMに連載中の思い出話などに興味を持っている。
 事実はSFより奇なりというような世相だが、もっと想像力をたくましくしないといけないのかもしれない。
 では、この辺で。
            (2018・5・25)

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No.442 (Web版92号)2

HAL-CON 2018 アフターレポートⅡ 4/14(土)〜4/15(日)

 by 渡辺ユリア

 G.O.Hのピーター氏は残念ながら欠席。吉田徹氏のサイン会はにぎやかでした。“ボトムズ”などのメカを描かれてました。私の参加した分科会は、1日目は14:00からのSFファン交流会、4月例会でした。交流会なので、SFファン同士、小さなグループで語り合う…というイメージを私は持っていましたが、そうではなくパネルディスカッションでした。テーマが“SFの想像力 AI.そして来るべき社会”でした。小説や映画に出た人造人間とは…という話でした。さいしょに造られた人造人間はやはりフランケンシュタイン氏の創り出した“怪物”でしょう。この小説が書かれてから今年が200年だそうです。
 2日目のAM11:00から『ゲンロン大森望SF創作講座第2期やってみた』の分科会に行きました。いろいろな話がきけました。そして、12:30からの『第2期受けてみた』では実際に受講生の方々の話がきけました。受講生の方は4人みえました。
 そして、14:00からの『作家が語る新刊ラインナップ説明会』では、作家さん方が作品について語ってみえました。小川哲さん、オキシタケヒコさん方でした。もう少しすると日本SF大会ジュラコンです。星雲賞の投票は送りました。今年はどんな方が受賞されるか楽しみです
                      ではこのへんで yullia
                                                                          2018.5.24

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