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2018年8月

No.444 (Web版94号)2

SF essay(263回)

 川瀬広保

 7月も下旬に入ろうとしている。
 今年は豪雨による水害で日本国中の被害が甚大である。
 片付けは容易なことではできない。また、災害級の猛暑で連日、「水分を補給してください」とテレビは言い続けている。この時期は日本特有のものである。日本は災害国である。水害、地震災害等々毎年ない年はない。今年の災害は何十年ぶりの相当甚大なものだ。無用な外出をできるだけ避けよう。もう若くはないのだし。

 最近のSFマガジンはアーシュラ・K・ル・グインの追悼号である。ル・グインは読んでいなかったが、ビッグネームであることは十分承知している。
 また、「筒井康隆語る」の最終回にも注目している。今、往年の日本SF作家で活躍しているのは、この筒井康隆しか知らない。若い人は別としてだ。最後のあたりのインタビューのくだりを見ると、まだ新作を出しそうだ。短編集をあと一冊は書くと言っている。

 ハーラン・エリスンが亡くなった。84歳。往年の偉大なSF作家が没して行く。さみしい限りである。
 SF作家の訃報は新聞にあまり載らないので、知らないままになってしまうことが多い。ル・グインもハーラン・エリスンもSFマガジンで知った。

 「ジュラシック・ワールド」をテレビでやっていたので少し見た。人間が恐竜にあこがれる(?)のは、人間の中に、恐竜のように狂暴なものがあるからではないのか。しかし、自然には勝てないのだ。恐竜を飼いならすことはできないのだ。
 この映画にはそういう〈思想性〉はない。恐竜に人が食われるような画面が次々とあらわれる。そのハラハラドキドキを楽しめばいいのかもしれない。人間は何でも食べてしまうが、恐竜に食べられる恐怖は最大の恐怖だ。動物性たんぱく質は、共食でしか得られないのか。
 ハリー・ハリスンの映画にそんなのがあった。未来においては、70歳でベートーベンの「田園」がバック・ミュージックに流れるある施設へ行き、死後の自分の肉体を動物性たんぱく質として、他者に提供させられるのがわかった主人公はその現実を追求しようと奮闘するという内容の映画だった。究極のありうる未来だろう。そんな暗い未来にならないことを望む。モーロック族がエロイ族を〈食べる〉のは、タンパク質摂取のためなのだろうか。こうした暗い超未来がウェルズには見えていたのだろうか。弱肉強食は80万年後にも残っているのだ、きっと。
 さて、ダイアスパーは未来の地球につくられた永遠の都市である。予想される近未来では、クラークの静止衛星による宇宙エレベーターは、いずれ実現するであろう。人類はどこまで自然に介入して最近の水害や国書を防ぐことができるのであろうか。病気も何かが克服されたと思えば、新しい病気が次々と出てくる。心が原因の問題は容易に治らない。ますますひどくなるように思う。
 黒澤明の『夢』の最後の方で描かれたように、自然と調和して〈村〉で生きる人々の生き方が一番いいのかもしれない。結局、暗い未来を描くものより、明るい未来の方がいいのだが、人間はどうしても、警鐘のためからか、問題の多い暗い未来を描きたがるもののようだ。

 ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』がもうじき発行される。名作・傑作の再訳・再版はいいものだ。いいSFはいいのだし、読み継がれていくのだ。これは出だしの文章が良かった。発行されたら、どう訳されているのかも、味わいながら、再読したいと思っている。
                  (2018・7・22)

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No.444 (Web版94号)1

『宇宙戦艦ヤマト2202』について

 中村達彦

 好評を博した「宇宙戦艦ヤマト2199」の続編にあたる「宇宙戦艦ヤマト2202」が現在映画館で上映並びにDVD化されているが、秋にはTVで放送されるらしい。
 2クール26話予定だが、随時、映画館で上映され、5月下旬までに18話まで完成している。
 その展開は、40年前に創られ当時大ヒットしたアニメ映画「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」とそのTV版「宇宙戦艦ヤマト2」をベースにしている。
 旧作同様、宇宙に侵略をすすめる白色彗星帝国に、イスカンダルとの航海を成功させた宇宙戦艦ヤマトが対抗する。
 「宇宙戦艦ヤマト2199」は一種の宇宙冒険ものだが、続編で3年後を描いた「宇宙戦艦ヤマト2202」は宇宙戦記の色合いが強い。
 かつて、イスカンダルから提供されたコスモリバースの超技術により地球は復興したが、その副作用で地球の各地に時間の流れが通常と異なる時間断層が発生し、その結果、地球艦隊の再建やかつての敵ガミラスとの外交関係が異なってくる。第1話から地球は白色彗星帝国の存在を知り、ガミラスと共同戦線であたっている。古代進ら旧ヤマト乗組員は白色彗星帝国との戦闘中に感じた不思議な体験から、再び宇宙戦艦ヤマトに乗る。
 目指すは、かつて大宇宙文明の名残であるテレサの住むテレザート星。
 また敵である、白色彗星帝国の正体や目的についても、新たに描かれて行く。
 前作「宇宙戦艦ヤマト2199」が37年前の「宇宙戦艦ヤマト」の設定を今風に忠実にシミレーションして一定のリアリズムを持たせている(監督や脚本、デザインで参加した出渕裕の力が大きい)のに対して、「宇宙戦艦ヤマト2202」は白色彗星帝国との戦いを観ていると、リアリズムに欠けており、矛盾だらけとの声がある。「宇宙戦艦ヤマト2199」とは、違った作品カラーになっている。
 もっとも「2202」も40年前に創られたストーリー・設定が元である。一応、ヒットしているが、他にも人気のアニメ作品は多々あり、時代も違うため、昔ほどの人気は得られていない。
 制作はXEBEC(ジーベック)となっているが、主要スタッフは、監督が出渕裕から羽原信義に交代しているほか、出渕に声をかけられて「2199」に参加したアニメーターも多くが参加を見合わせている。シリーズ構成も福井晴敏に交代しており、副監督及びデザインを小林誠が担当している。特に福井は「ローレライ」などの作品で知られ、「機動戦士ガンダムUC」の原作でも知られる。「宇宙戦艦ヤマト2202」の後、「ガンダムUC」の続編にタッチするらしい。
 第18話までに、テレザート星でヤマトは白色彗星帝国や仇敵デスラー総統との再戦があり、土星で白色彗星帝国と地球の激しい戦いが発生する。戦場に到着したヤマトは敵の策略にはまってしまう。
 新戦艦「銀河」とは?
 果たして「宇宙戦艦ヤマト2202」はどのような結末を迎えるのであろうか?
 そしてスタッフに聞いてみたい。「宇宙戦艦ヤマト2202」の後もヤマトの続編を作るのであろうか?

 SF作家としても知られ、かつて虫プロ初期のアニメ作品のシナリオも手がけた豊田有恒は、「宇宙戦艦ヤマト」でブレーンを務めた。昨年、当時のことを書いた『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』と言う本を出している。
 豊田氏は、ヤマトプロデューサー西崎義展に、虫プロの縁から、最初の「宇宙戦艦ヤマト」の企画から以後続編諸作まで様々なSF設定のアイデアを提供した。
 「宇宙戦
艦ヤマト」の最初の設定は、豊田氏の案によるもので、「西遊記」をヒントにしたものである。宇宙人の侵略で地球が滅亡寸前のところを善意ある宇宙人の助けがもたらされるというものである。
 だが豊田氏は、きちんとした形で、ヤマトの成功後に西崎プロデューサーから報いられたとは言い難い。
 それは、原作者で諸設定に携わった松本零士らも同様である。松本氏と西崎プロデューサーとの不仲はヤマトがヒットしていたころから知られていた。ヤマトをめぐる著作権の裁判は有名である。
 豊田氏は、西崎プロデューサーの功績を認めるも、松本零士らの肩を持ち、『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』には、ヤマトにSF設定で関わった経緯とその顛末が記されている。
 一ファンにすぎない個人がこの著作権問題に口を挟んだり、死者にムチ打つことは慎むべきであろう。
 しかし断言したい。西崎プロデューサーがヤマトを作らなければ、そして成功後にちゃんとクリエーターに還元していれば、途中でスタッフが離脱することもなく、彼らにより「ガンダム」や「マクロス」は生まれていなかっただろう。
 本人が望んだか定かではないが……。結果的には、日本のアニメ文化興隆の一端を担っている。
 出渕裕は、続編からメカデザインで参加したが豊田・松本の両氏にお世話になった。

 ちなみに「宇宙戦艦ヤマト2199」は、当初の予定では、「宇宙戦艦ヤマト復活編」「SPACE BATLESHIP YAMATO」と同時に公開する予定であった。

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No.443 (Web版93号)3

 ふしぎなる都会 上海

 by 渡辺ユリア

 6/10〜6/12、中国の上海旅行に行ってきました。上海の浦東国際空港の滑走路も含めて、広さにびっくりしました。お昼のあとバスに乗り上海博物館へ。とくに水ぼく画と家具と陶器をみました。1時間の見学時間では余りにもみじかいです。ちなみにツアー客は、全部で11人でした。博物館の外の白い石像は幻獣が多くて見るのがたのしかった。その後、周恩来さんの元執務してみえた家へ。3階立てでしゃれた作りです。そして外灘散策へ。大きな河の見える向こうの上海タワーや中国で一番高いビルが見えました。丁度夕方だったので、ビルの側面には絵がうつるのです。動いてましたね。夜にはステキな夜景となるでしょう。
 その夜は夕食の後(夕食の間に変面ショーもみました)そのお店は元上海万博会場の近くでした。ライトが点滅してキレイな塔も近くにあります。

 あっと、夜には、オプショナルツアーで上海雑技団の鑑賞をしました。すごい演技です。人と人とがお互いを支えあうという肉体美。やわらかな女の子の演技。そして変面ショー。ラストの大きな鉄球。舞台の高さよりも高く、あみのようになって外から見えますが、その鉄球の中をバイクで走り回るショーは“すごい、もう一台入るの!?”とびっくりしました。最大5台入って走り回るのです。ショーは大成功、スゴかった。     では、このへんで
                          2018.6.20 yullia

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No.443 (Web版93号)2

 SF essay(262回)

 川瀬広保

 「物言わぬは腹ふくるるわざなり」と昔から言われるが、朝からの報道番組のコメンテーターの言葉を聞いていると、あれこれきり言いたいことを言っていて実にきりがない。この人たちには、この格言は当てはまっていないのかもしれない。アメフトには全く興味も関心もなかったが、このところこの話題でどの局も喧々諤々である。興味関心がなくても一言いいたくなる。
 米朝会談もやるって言ってみたり、やめたって言ってみたりでこの話題にも事欠かない。
こうなると専門家でなくても、物をいいたくなる。その後、とうとう会談は実現したが、まだ、今後どうなるかわからない。
 西城秀樹には関心はなかったが、毎日報道されると、こんなにファンの多い愛された歌手だったのかと改めて見入ってしまった。
 テレビを見ていても、SFの話題はほとんどない。SFがニュースになることはないと言っていい。
 毎日のように、新しい事件・事故が報道される。人は自分のことでなければこうしたニュースは実は〈おいしい〉ものなのだ。
 人類の未来はこれでいいのだろうかと思ってしまう。常に「午後2時の日射し」を浴びながら、終日、芸術に時間を使っているというクラークのSFの一節を思い出した。ダイアスパーは永遠に閉ざされた惑星であり、日が沈むことはなく、常に午後2時の日差しが降り注いでいるというのだ。人々は芸術にのみ、心をくだいており、仕事もなく、生活の心配もない。午後の2時という作者の設定がすばらしい。午前8時や10時では早すぎる。午後1時ではちょっと早い。午後3時ではもうやや遅い。やはり午後2時なのだ。
 暗い未来を描く数々のディストピアSFも考えさせられるが、はるかな未来にはすべての事件・事故・争いはなく、飢えや苦難のないユートピアSFにも関心を持つ。
 あとは、ウェルズの「タイム・マシン」に出てくるエロイ族だ。こちらもすごい想像力だと今さら思う。モーロック族はエロイ族を「餌」にして生きていくのだ。現代を象徴しているようで、ウェルズの想像力のすごさを感じてしまう。富める者と貧する者、犯罪に走る者と人々にほどこす者等々、毎日のニュースを見ているとこの世は二分化していて、その極がウェルズの描く「タイム・マシン」の未来である。
 星新一の「殉教」も集団自殺の話である。死が怖くなくなったらどうなるかというテーマを描いてくれた。ジェイムス・サーバー「レミングとの対話」も非常にサタイアに富んだ短編であった。人は自虐が好きなのか、それが人の基本的性質なのかとも思う。そうでないときは、例えば、藤井聡太棋士の新段への活躍や日本がコロンビアにサッカーで勝ったときの大興奮などの時はまとまるように思う。人類の未来は明るいと思おう。クラークが人類の未来について、「私はオプティミストでね」と語ったように。


 さて、もう梅雨の季節になった。朝から空はどんよりとしている。季節は例年より先取りしているようだ。異常気象は昔からだが、その程度がだんだんひどくなっているように感じる。
 「地球よ、大丈夫か?」と聞きたい。地球が病気やケガだと、そこに住む人間や生き物にも大きな影響を与える。このごろ聞かないが、昔「ガイア仮説」というのがあった。地球そのものが一つの生命だという考え方である。このごろだれもあまり言わないが、地球にとって、人間の核実験や公害、車の排気ガスなどはいわば地球にとって「がん」のようなものであって、それらが天候異変を引き起こしているのかもしれないというようなことは、以前から言われていることだ。われわれはもっと自然を大事にして、この地球をいつくしまなければいけない。


 さて、今関心を持っているのはもうじき創元で「トリフィド時代」(「トリフィドの日」の新訳版)が出版されるということだ。名作は何回読んでもいいし、訳者が変われば、訳文の雰囲気も変わるだろうと思っている。
             (2018・6・22)

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No.443 (Web版93号)1

 西崎とヤマト

 加藤弘一

 ヤマトの新装番の評判がいいようであるが、自分としては少々気になることがある。
オープニングのテロップ、原作西崎義展となっていることである。
松本零士ではなかったのか*****という疑問である。
昔、産経新聞に豊田有恒のコラムが掲載されていた。
ある日、松本零士が西崎にヤマトの著作権の件で裁判を起こされているという記事が載っていた。
そこでの豊田は以下のコメントを残している。
「言うまでもなく宇宙戦艦ヤマトは電光オズマを原作とした松本零士の作品である。」と。
豊田はヤマトの設定等に係わったスタッフの一人である。
その人が断言した事であるから、間違いないと思っていた。
しかし、後の記事で裁判の結果(調停により)原作権は50%づつになったと知った。
それが今回のテロップでは二人ではなく一人だけになっている。
どういうことだろうかということで、調べてみることにした。
 今では、検索エンジンでワードを入れれば資料はすぐにみられる。
とはいえ全ての事柄が真実とは限らないので、そこは割り引いて情報を集めた。
以下はその情報をもとに自分が作り出した話であるからして、真実かどうかはわからない。
ただ私がそう思っているだけである。
なお、敬称は略させていただきます。
時は1970年代に遡り、トリトンの物語から始まる。
当時虫プロダクションの社屋の一角で「海のトリトン」のオリジナルストーリーでのアニメ化の企画が練られていた。
企画室にいるのは言うまでもなく社長の手塚治虫、元社員の富野そして車内プロデューサーの西崎であった。
ところが間も無くして虫プロダクションが倒産してしまった。
そして、いつの間にか西崎率いるプロダクションにトリトン等の手塚作品の権利が全て移ってしまっていた。
とんでもなく奇妙な事であり色々な推測がなされるが、今回の件とは関係がないので割引くが、本件を暗示させる事件である。
 トリトンは視聴率が上がらず2クールで打ち切りになってしまったが、その後人気が出て映画も作られた。
しかし、映画スタッフの中にオリジナルストーリーを作った立役者の富野の名はなかった。
当時のことを富野はこう答えている。
「西崎に参加しないかと言われたが、すでに(映画の)監督は決まっていて自由にやらせてもらえる雰囲気は全くなかったので断った。」
思えば、イエスマンしか採用しない西崎という人物を最初に看破したのは彼だったのかも知れない。
しかも、映画は彼が抜けたため見るも無残な作品になった。
(あくまでも私個人の感想である。)
その後、ヤマトの企画が始まった。中心にいたのは西崎とSF設定の豊田有恒、主題歌を歌うささきいさおで、三人が武蔵高等学校の同級生だったので「宇宙戦艦ムサシ」にすれば良かったと揶揄されたが、そうしてくれればあんな裁判も起きなかったかも知れない。
ここで、松本は西崎側の記録ではSFにおける新たな雰囲気というか味わいを出してもらうために参加してもらったと、言うことになっている。
 松本がデザインした宇宙戦艦やその内部構造は独特でヤマトの大きな魅力となり後のヤマトの大ヒットの一因となった。
ここで電光オズマと光速エスパーを紐解いてヤマトとの類似点を見てみよう。
先ずは(電光)オズマから、
敵(異星人)の攻撃に遊星を自由に操る兵器が出てくる=遊星爆弾
敵の攻撃から身を守るための地底都市がある=地底メガロポリス
主人公の名前はススムで愛機の名はゼロ=古代進、コスモゼロ
敵宇宙人の侵略攻撃から地球を守るための宇宙戦艦大和を建造し、友好的異星人の女がこれを助ける=宇宙戦艦ヤマト、サーシャ
続いて(光速)エスパーから、
敵は地球を狙う異星人の独裁者=異星人ガミラスのデスラー総統
エスパー達の乗る宇宙船=サーシャの乗る銀河間航行船
独裁者の潜むタワーは宇宙船=デスラー総統府、デスラー艦
このように宇宙戦艦ヤマトの基本設定の多くは二つのシリーズから抽出されており、加えてメカ及び人物設定は松本が担当している事から原作者として名乗りを挙げても問題はないような気がする。
 しかしながら、このような場合裁判所はどちらが正しいかを判断するところではない。どちらに権利があるかを判断する所である。
同じようなケースでマクロス裁判というものがあった。
設定デザインのスタジオぬえと制作の竜の子プロダクションの争いであった。
結果としてマクロス一作目は竜の子プロが相応の制作費を負担しているということで、竜の子プロが勝訴したが、マクロスプラス以降の作品には竜の子プロの関与がなかったということで、権利が認められず敗訴した。
無から何かを産み出すということは物凄い価値のあることだと思うのだが、しかしながら制作者が対価を支払えば権利は制作者に帰属するということが判例なのである。
近年のリスクを避けるための複数の出資者を集めるナンとか制作委員会と異なり、ヤマトに関わる全ての資金は西崎が集めていた。
彼は判例等に熟知していた故に、全てヤマトが始まった当初から己のシナリオで進むように準備していたのである。
松本は敗れるべきして敗れたのである。
西崎には映像放映権を、松本には漫画化の権利が与えられた。
1980年の銀河鉄道999がヒットしていた頃、松本は
「いつかハーロックと999とヤマトが宇宙の彼方で一緒に活躍するアニメーションを創りたい。」
と語っていた。
平成30年3月
「ハーロックと999、エメラルダスの物語を創りたい。」
と語った。
松本零士のヤマトはもう見ることは出来ないのだろうか。

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