No.443 (Web版93号)1
西崎とヤマト
加藤弘一
ヤマトの新装番の評判がいいようであるが、自分としては少々気になることがある。
オープニングのテロップ、原作西崎義展となっていることである。
松本零士ではなかったのか*****という疑問である。
昔、産経新聞に豊田有恒のコラムが掲載されていた。
ある日、松本零士が西崎にヤマトの著作権の件で裁判を起こされているという記事が載っていた。
そこでの豊田は以下のコメントを残している。
「言うまでもなく宇宙戦艦ヤマトは電光オズマを原作とした松本零士の作品である。」と。
豊田はヤマトの設定等に係わったスタッフの一人である。
その人が断言した事であるから、間違いないと思っていた。
しかし、後の記事で裁判の結果(調停により)原作権は50%づつになったと知った。
それが今回のテロップでは二人ではなく一人だけになっている。
どういうことだろうかということで、調べてみることにした。
今では、検索エンジンでワードを入れれば資料はすぐにみられる。
とはいえ全ての事柄が真実とは限らないので、そこは割り引いて情報を集めた。
以下はその情報をもとに自分が作り出した話であるからして、真実かどうかはわからない。
ただ私がそう思っているだけである。
なお、敬称は略させていただきます。
時は1970年代に遡り、トリトンの物語から始まる。
当時虫プロダクションの社屋の一角で「海のトリトン」のオリジナルストーリーでのアニメ化の企画が練られていた。
企画室にいるのは言うまでもなく社長の手塚治虫、元社員の富野そして車内プロデューサーの西崎であった。
ところが間も無くして虫プロダクションが倒産してしまった。
そして、いつの間にか西崎率いるプロダクションにトリトン等の手塚作品の権利が全て移ってしまっていた。
とんでもなく奇妙な事であり色々な推測がなされるが、今回の件とは関係がないので割引くが、本件を暗示させる事件である。
トリトンは視聴率が上がらず2クールで打ち切りになってしまったが、その後人気が出て映画も作られた。
しかし、映画スタッフの中にオリジナルストーリーを作った立役者の富野の名はなかった。
当時のことを富野はこう答えている。
「西崎に参加しないかと言われたが、すでに(映画の)監督は決まっていて自由にやらせてもらえる雰囲気は全くなかったので断った。」
思えば、イエスマンしか採用しない西崎という人物を最初に看破したのは彼だったのかも知れない。
しかも、映画は彼が抜けたため見るも無残な作品になった。
(あくまでも私個人の感想である。)
その後、ヤマトの企画が始まった。中心にいたのは西崎とSF設定の豊田有恒、主題歌を歌うささきいさおで、三人が武蔵高等学校の同級生だったので「宇宙戦艦ムサシ」にすれば良かったと揶揄されたが、そうしてくれればあんな裁判も起きなかったかも知れない。
ここで、松本は西崎側の記録ではSFにおける新たな雰囲気というか味わいを出してもらうために参加してもらったと、言うことになっている。
松本がデザインした宇宙戦艦やその内部構造は独特でヤマトの大きな魅力となり後のヤマトの大ヒットの一因となった。
ここで電光オズマと光速エスパーを紐解いてヤマトとの類似点を見てみよう。
先ずは(電光)オズマから、
敵(異星人)の攻撃に遊星を自由に操る兵器が出てくる=遊星爆弾
敵の攻撃から身を守るための地底都市がある=地底メガロポリス
主人公の名前はススムで愛機の名はゼロ=古代進、コスモゼロ
敵宇宙人の侵略攻撃から地球を守るための宇宙戦艦大和を建造し、友好的異星人の女がこれを助ける=宇宙戦艦ヤマト、サーシャ
続いて(光速)エスパーから、
敵は地球を狙う異星人の独裁者=異星人ガミラスのデスラー総統
エスパー達の乗る宇宙船=サーシャの乗る銀河間航行船
独裁者の潜むタワーは宇宙船=デスラー総統府、デスラー艦
このように宇宙戦艦ヤマトの基本設定の多くは二つのシリーズから抽出されており、加えてメカ及び人物設定は松本が担当している事から原作者として名乗りを挙げても問題はないような気がする。
しかしながら、このような場合裁判所はどちらが正しいかを判断するところではない。どちらに権利があるかを判断する所である。
同じようなケースでマクロス裁判というものがあった。
設定デザインのスタジオぬえと制作の竜の子プロダクションの争いであった。
結果としてマクロス一作目は竜の子プロが相応の制作費を負担しているということで、竜の子プロが勝訴したが、マクロスプラス以降の作品には竜の子プロの関与がなかったということで、権利が認められず敗訴した。
無から何かを産み出すということは物凄い価値のあることだと思うのだが、しかしながら制作者が対価を支払えば権利は制作者に帰属するということが判例なのである。
近年のリスクを避けるための複数の出資者を集めるナンとか制作委員会と異なり、ヤマトに関わる全ての資金は西崎が集めていた。
彼は判例等に熟知していた故に、全てヤマトが始まった当初から己のシナリオで進むように準備していたのである。
松本は敗れるべきして敗れたのである。
西崎には映像放映権を、松本には漫画化の権利が与えられた。
1980年の銀河鉄道999がヒットしていた頃、松本は
「いつかハーロックと999とヤマトが宇宙の彼方で一緒に活躍するアニメーションを創りたい。」
と語っていた。
平成30年3月
「ハーロックと999、エメラルダスの物語を創りたい。」
と語った。
松本零士のヤマトはもう見ることは出来ないのだろうか。
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