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No.443 (Web版93号)2

 SF essay(262回)

 川瀬広保

 「物言わぬは腹ふくるるわざなり」と昔から言われるが、朝からの報道番組のコメンテーターの言葉を聞いていると、あれこれきり言いたいことを言っていて実にきりがない。この人たちには、この格言は当てはまっていないのかもしれない。アメフトには全く興味も関心もなかったが、このところこの話題でどの局も喧々諤々である。興味関心がなくても一言いいたくなる。
 米朝会談もやるって言ってみたり、やめたって言ってみたりでこの話題にも事欠かない。
こうなると専門家でなくても、物をいいたくなる。その後、とうとう会談は実現したが、まだ、今後どうなるかわからない。
 西城秀樹には関心はなかったが、毎日報道されると、こんなにファンの多い愛された歌手だったのかと改めて見入ってしまった。
 テレビを見ていても、SFの話題はほとんどない。SFがニュースになることはないと言っていい。
 毎日のように、新しい事件・事故が報道される。人は自分のことでなければこうしたニュースは実は〈おいしい〉ものなのだ。
 人類の未来はこれでいいのだろうかと思ってしまう。常に「午後2時の日射し」を浴びながら、終日、芸術に時間を使っているというクラークのSFの一節を思い出した。ダイアスパーは永遠に閉ざされた惑星であり、日が沈むことはなく、常に午後2時の日差しが降り注いでいるというのだ。人々は芸術にのみ、心をくだいており、仕事もなく、生活の心配もない。午後の2時という作者の設定がすばらしい。午前8時や10時では早すぎる。午後1時ではちょっと早い。午後3時ではもうやや遅い。やはり午後2時なのだ。
 暗い未来を描く数々のディストピアSFも考えさせられるが、はるかな未来にはすべての事件・事故・争いはなく、飢えや苦難のないユートピアSFにも関心を持つ。
 あとは、ウェルズの「タイム・マシン」に出てくるエロイ族だ。こちらもすごい想像力だと今さら思う。モーロック族はエロイ族を「餌」にして生きていくのだ。現代を象徴しているようで、ウェルズの想像力のすごさを感じてしまう。富める者と貧する者、犯罪に走る者と人々にほどこす者等々、毎日のニュースを見ているとこの世は二分化していて、その極がウェルズの描く「タイム・マシン」の未来である。
 星新一の「殉教」も集団自殺の話である。死が怖くなくなったらどうなるかというテーマを描いてくれた。ジェイムス・サーバー「レミングとの対話」も非常にサタイアに富んだ短編であった。人は自虐が好きなのか、それが人の基本的性質なのかとも思う。そうでないときは、例えば、藤井聡太棋士の新段への活躍や日本がコロンビアにサッカーで勝ったときの大興奮などの時はまとまるように思う。人類の未来は明るいと思おう。クラークが人類の未来について、「私はオプティミストでね」と語ったように。


 さて、もう梅雨の季節になった。朝から空はどんよりとしている。季節は例年より先取りしているようだ。異常気象は昔からだが、その程度がだんだんひどくなっているように感じる。
 「地球よ、大丈夫か?」と聞きたい。地球が病気やケガだと、そこに住む人間や生き物にも大きな影響を与える。このごろ聞かないが、昔「ガイア仮説」というのがあった。地球そのものが一つの生命だという考え方である。このごろだれもあまり言わないが、地球にとって、人間の核実験や公害、車の排気ガスなどはいわば地球にとって「がん」のようなものであって、それらが天候異変を引き起こしているのかもしれないというようなことは、以前から言われていることだ。われわれはもっと自然を大事にして、この地球をいつくしまなければいけない。


 さて、今関心を持っているのはもうじき創元で「トリフィド時代」(「トリフィドの日」の新訳版)が出版されるということだ。名作は何回読んでもいいし、訳者が変われば、訳文の雰囲気も変わるだろうと思っている。
             (2018・6・22)

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