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No.444 (Web版94号)2

SF essay(263回)

 川瀬広保

 7月も下旬に入ろうとしている。
 今年は豪雨による水害で日本国中の被害が甚大である。
 片付けは容易なことではできない。また、災害級の猛暑で連日、「水分を補給してください」とテレビは言い続けている。この時期は日本特有のものである。日本は災害国である。水害、地震災害等々毎年ない年はない。今年の災害は何十年ぶりの相当甚大なものだ。無用な外出をできるだけ避けよう。もう若くはないのだし。

 最近のSFマガジンはアーシュラ・K・ル・グインの追悼号である。ル・グインは読んでいなかったが、ビッグネームであることは十分承知している。
 また、「筒井康隆語る」の最終回にも注目している。今、往年の日本SF作家で活躍しているのは、この筒井康隆しか知らない。若い人は別としてだ。最後のあたりのインタビューのくだりを見ると、まだ新作を出しそうだ。短編集をあと一冊は書くと言っている。

 ハーラン・エリスンが亡くなった。84歳。往年の偉大なSF作家が没して行く。さみしい限りである。
 SF作家の訃報は新聞にあまり載らないので、知らないままになってしまうことが多い。ル・グインもハーラン・エリスンもSFマガジンで知った。

 「ジュラシック・ワールド」をテレビでやっていたので少し見た。人間が恐竜にあこがれる(?)のは、人間の中に、恐竜のように狂暴なものがあるからではないのか。しかし、自然には勝てないのだ。恐竜を飼いならすことはできないのだ。
 この映画にはそういう〈思想性〉はない。恐竜に人が食われるような画面が次々とあらわれる。そのハラハラドキドキを楽しめばいいのかもしれない。人間は何でも食べてしまうが、恐竜に食べられる恐怖は最大の恐怖だ。動物性たんぱく質は、共食でしか得られないのか。
 ハリー・ハリスンの映画にそんなのがあった。未来においては、70歳でベートーベンの「田園」がバック・ミュージックに流れるある施設へ行き、死後の自分の肉体を動物性たんぱく質として、他者に提供させられるのがわかった主人公はその現実を追求しようと奮闘するという内容の映画だった。究極のありうる未来だろう。そんな暗い未来にならないことを望む。モーロック族がエロイ族を〈食べる〉のは、タンパク質摂取のためなのだろうか。こうした暗い超未来がウェルズには見えていたのだろうか。弱肉強食は80万年後にも残っているのだ、きっと。
 さて、ダイアスパーは未来の地球につくられた永遠の都市である。予想される近未来では、クラークの静止衛星による宇宙エレベーターは、いずれ実現するであろう。人類はどこまで自然に介入して最近の水害や国書を防ぐことができるのであろうか。病気も何かが克服されたと思えば、新しい病気が次々と出てくる。心が原因の問題は容易に治らない。ますますひどくなるように思う。
 黒澤明の『夢』の最後の方で描かれたように、自然と調和して〈村〉で生きる人々の生き方が一番いいのかもしれない。結局、暗い未来を描くものより、明るい未来の方がいいのだが、人間はどうしても、警鐘のためからか、問題の多い暗い未来を描きたがるもののようだ。

 ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』がもうじき発行される。名作・傑作の再訳・再版はいいものだ。いいSFはいいのだし、読み継がれていくのだ。これは出だしの文章が良かった。発行されたら、どう訳されているのかも、味わいながら、再読したいと思っている。
                  (2018・7・22)

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