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2018年11月

No.446 (Web版96号)3

ジュラコンアフターレポートⅡ

by 渡辺ユリア

ジュラコンが終了してから(7/22)会場のホテルジュラクから西のほうの諏訪峡遊歩道をめざして歩きました。800mほど歩いたところで道の駅水紀行館に入りました。
ここは三つほど建物があって、ひとつは野菜などの即売店、ひとつは水族館(ドクターフィッシュいました)、もうひとつは食堂と、その向こうに、この写真(印刷版446号7ページ参照)のスペースがあって、化石がいっぱいあるのにはびっくりしました。下の写真(印刷版446号7ページ下段参照)は、魚やアンモナイトの化石、上の写真(印刷版446号7ページ上段参照)は、下のほうが樹木の化石と上のほうのまん中にあるのが、恐竜の歯の化石だそうです。そのうしろにしんぶんの切り抜きと、右のほうにジオグラフィックの本があります。本物にびっくりしました。
あっと、諏訪峡あたりの風景はステキです。利根川をラフティングしているところもみました。
                  2018.9.20 yullia

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No.446 (Web版96号)2

SF essay(265回)

川瀬広保

 9月に入ったと思ったら、そのうち10月になってしまう。
 今年は季節が早い。気候がおかしい。ちょうどいいものはどこにもない。人心も同じ。2歳児を助けた人が話題になった。何百人もの警察等を導入しても見つからなかったのに、わずか30分で見つけて、母親に返すまでが私の仕事だと言っていたそのボランティアの心意気に感動した。最近の人心はおかしいが、立派な行動をとる人もいるのだ。
 テレビばかり見ていてもしかたない。台風が毎日のように発生しているという。台風の話題と2歳児が無事、退院したというニュースの二つで揺れている。逆転の発想とも言うべき捜索隊が探さない上流の方を探したら、わずか30分後に見つけたという話には感動すら覚える。また、退院の時には、手をふるだけだった2歳の子が、「おじちゃん、僕、ここ」と言葉を発したという話もいざという時には声が出るのだと思い知らされた。日本中がこの話題で一色になった。最近、こんなに話題になった事件もないように思う。
 反面、なかなか捕まらない脱走した犯罪者の話や毒を盛る女の深い心の闇、よい人はどこまでもよくて、悪い人はどこまでも悪い。善と悪の究極の戦いを描いた映画「アルマゲドン」を思い出す。
 「スペースバンパイア」を思い出した。最後の場面だ。バンパイアにエネルギーを吸い取られていくラストシーンは刺激的だった。善と悪の概念は簡単に論じられるものではない。エネルギーを吸い取るものと、吸い取られるものあり、吸い取るものは他者を「餌食」にしている。優れたSF映画には、根本的な問いについて考えさせてくれるものが多い。善とは何か、悪とは何か、神はいるのか、進化とは何か等々である。生とは何か、性とは何か。
 この映画はそんな基本的で永遠の問題を考えさせてくれる。
 さて、SFマガジンに連載されていた「筒井康隆自作を語る」がもうじき一冊の本になって出版される。現存の日本人SF作家といえば、もう筒井康隆ぐらいしかいない。星新一も小松左京も光瀬龍も平井和正もお亡くなりになった。昔、あの時どうだったかについて話してくれる人はこの筒井康隆だけだ。83歳になるが、まだ新作の意欲はありそうだ。
 一冊にまとまったら、また読み返してみたい。

 関西空港が冠水した。50年に一度あるかないかの水害だ。それでも人々は旅行へ行きたがる。人工物は自然の猛威の前にはひとたまりもない。強風の怖さを知らされた。車は吹き飛ばされるし、トラックも横転する。この自然災害も復旧すれば、記憶が遠のくのだろう。
そして、ますます巨大ビルを構築し、スピードを競う。進歩発展は危険性を伴うものなのであろうか。
 SFでは、ユートピアを描き、その逆のディストピアも描いた。病気や事件・事故のない世界がユートピアなら、次から次へと新しい病気が出現し、予想もしない事故が多発するのがディストピアだ。あるいは、個人が完全に支配された「1984」のような世界は昔から描かれている通りだ。星新一にも「はい」という名品がある。言われた通りにして、一生を終わる人間の話だ。心に残る一品だった。また、強烈なサタイアでもある。ロボットでさえ、従わないときもあるのに。

 今度は大地震だ。9月6日、深夜3時8分。北海道で震度7の大地震。まるで神様が怒っているようだ。広島、大阪に続いて、札幌である。日本列島が揺れている。
 昔のSFに次のような話があった。そのころ、科学を信じる世の中であるが、彗星が現われ、不吉な前兆だと魔女のようなおばあさんが出てきて人心を乱す。そんな話があった。だが、どんなに世の中が進んでも、科学は万能ではないことは誰でもわかるだろう。この世の中に永遠というものはないのだ。

 さて、少しずつ復旧してきた。電気がつくようになり、飛行機も飛ぶようになった。テレビもだんだんこのニュースについて言わなくなる。そして、忘れられていく。

 9月9日に天文台で行われた「天文講演会」へ行ってきた。90人ぐらい来た。申込制。講演者は布施哲治氏という政府出向でハワイのすばる望遠鏡を使って働いている研究者だった。47歳、新進気鋭だ。
 人間は太古の昔から、星を見てあれは何だろうと考えてきた。そして、望遠鏡が発明され、星が引き寄せられた。たった4センチのガリレオ望遠鏡からすばる望遠鏡へ、そしてハッブル宇宙望遠鏡へと進化発展した。
 最近、天文ファンが増えたと思う。その証拠に浜松の片田舎にある天文台で開かれた講演会に90人も来たのだから。熱心に質問する人もいた。私も質問してみた。
「ハワイやアメリカの天文教育はどうなっていますか」
 どうやら、予算があって何パーセントかが国から払われて、専門家が派遣されるようだ。
 国や地方がどれだけかかわって、お金も出してくれるか日本とは違う。何でもボランティアで行わせる日本とは違うと思った。
 日本の子供は天文であれ何であれ、図鑑や写真集から入る。本物の土星を望遠鏡で見て、本当に輪があるとわかった時の喜びは一生続く。自分で紙製の簡単な望遠鏡を手作りで作って見れば、喜びは倍増して、天文ファンは一生続く。天文ファンが高じて、研究者にまでなる人は少ないだろう。
 昔読んだあるSFの中に次のような書き出しの文があった。天文学者には二種類の人がいる。一つは、無辺の宇宙の中に生き、食べ物も着る物にも関心がないような人。もう一方は、今日はどのネクタイをしていこうか、そしてデートはどうしようかと考えるような人がいる。さて、このSFの主人公は前者であったというような書き出しであった。
 自分の生活を考えないで、研究に没頭することはなかなかできるものではない。
 さて、曇天が続く。テレビは次から次へと新しい話題について、報道している。今日の話題は大坂なおみの日本帰国とそのインタビューについてである。フィーバーしている。ついこの間までは、スーパーボランティアの話題で日本中が沸騰した。日本人は熱しやすく冷めやすい。私もそうかもしれない。

 さて、暑さ寒さも彼岸までという。今度は寒さに話題が集まる。あまりSFエッセイらしくない内容だった。来月は、もっとSFの話題について書きたい。
                 (2018・9・20)

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