« No.452(Web版102号)1 | トップページ | No.452(Web版102号)3 »

No.452(Web版102号)2

SF essay(271回)

川瀬広保

 白血病に突然罹患して、オリンピックに出られるかどうかわからない18歳水泳選手の言葉が新聞の見出しに踊っている。
 「神様は超えられない試練は与えない」
 18歳の子が発する言葉としても、注目を浴びるがしっかりした人だと思う。
 問題は、本当に神様は超えられない試練は与えないのだろうか。このニュースは海外にまで届き、バッハ・オリンピック会長もメッセージを発した。
 将棋でまた新記録を伸ばし続けている藤井聡太棋士のニュースなど、若い人の活躍には注目する。なぜだろうか。高齢者だが、それを感じさせない尾畠春夫さんの活発な行動にも注目する。その後、大分までの歩いての旅は、中断せざるを得なくなった。それでも、自分ができないことには、あこがれるか尊敬するからだろう。

 さて、小惑星探査機はやぶさ2があと2日ちょっとで(これを書いている現在 2019・2・20)リュウグウに到着するそうだ。非常に狭いピンポイントの着陸点にうまく到着できるかどうかは、JAXAの専門家でもわからないのだそうだ。何が起きるかわからないという言葉は、科学が発達しても宇宙のかなたでは、遠隔操作は機能するかどうかわからないということだ。「期待したり」、「祈ったり」するらしい。期待したり、祈ったりすれば成功し、どうせ無理だと思っていれば失敗に終わるのだろうか。宇宙科学の最先端のこの話題でも、期待とか祈りはあるのだろうかといつでも思う。
 最新のニュースによると、リュウグウがいよいよ「牙」をむいてきたから、どこに着陸させるか調査していて、遅れるとのことだ。小惑星がどうなっているかなど、行ってみなければわからない。日本の宇宙科学技術もここまで来ていると思うと日本人として嬉しい。うまくいくといいなと「期待」してしまう。
 最新のニュースによると、はやぶさ2はリュウグウに無事、着地したそうだ。これは快挙だ。生命と非生命の間(アシモフの書名から)はどこにあるかわかってくるだろう。人類はどこから来たかもそのうちわかってくるだろう。4年かかってリュウグウに到着し、また帰ってくるのだ。

 「にゃんにゃんにゃん」の日だとのことで、「ねことじいちゃん」という映画が封切りされた。有名な岩合光昭さんが監督しているが、この映画の主演は猫だ。岩合さんにかかると猫も演技する。ぜひ見てみたい。猫好きのSF関係者は多く、有名なのはハインライン。「夏への扉」の主人公(?)は、猫のピートだ。猫が愛されるのは独立心が強い(independent)からだ。犬は忠実(obedient)で、猫は「おいで」と言っても来ない。それが猫好きの人にはいいのだとよく言われる。

 さて、「SFが読みたい 2019年」を買った。真っ先に見るところは各出版社の今年の出版企画だ。これによると、国書刊行会から伊藤典夫さんの本がそのうち出るとここ数年書かれている。SFスキャナーなどを含めた膨大なものになるようだ。たとえ分厚いものになってもファンとしては、出版が実現することを望んでいる。伊藤典夫という名前はSFマガジンで古くから、私の場合、53号から知り始めたビッグ・ネームである。海外SFを紹介していた「SFスキャナー」はよく読んだ。いつのころからか、その連載はなくなり、その名前はSFマガジンで一年に一度見られるかどうかになった。この本の出版が実現したら私はきっと買うだろう。
 さて、この世で一番大事なのは想像力と好奇心だ。「好奇心は猫をも殺す」が、宇宙の先はどうなっているかというような好奇心は文明を発展させる。小惑星のリュウグウまで行ったはやぶさ2は、人類の好奇心の結果であり、まだその偉業は続く。好奇心が人類を発展・進化させた。これからもきっとそうであろう。
 クラークの「太陽系最後の日」は、人類が太陽の爆発から避難するため、宇宙船に乗って、新しい地を求めて、出発するという話だ。あきらめないで新天地を探すという好奇心の物語でもある。クラークはもともとポジティブな性格らしく、彼の作品にはその傾向がある。逆にネガティブな作品を書く作家も多い。

 話は変わるが、ひな祭りは桃の節句であり、桃の精の祭りである。映画「夢」は何度見ても考えさせられる映画だ。この映画はファンタジーだろうが、SFと言ってもいいかもしれない。夜見る夢と、人類の夢や個人の将来の夢はどこかで通じているかもしれない。透明人間やタイムマシンは夢でしかなかったものも、いずれ実現するかもしれないから、映画「夢」もファンタジーと言ってはいられないかもしれないのである。桃の精や爆弾犬の怨念、死と生の境や想い、葬式の究極的な形など、考えさせられる話が多い。

 さて、だいぶ暖かくなってきた。そのうち4月だ。時間の過ぎるのはなぜこうも早いのか。いつもそう思う。これが現実だ。江戸時代の古歌に、「この世には今より他はなかりかり、過未は行かれず、よそは知られず」というのがある。今を生きるしかないらしい。

 さて、もう4月だ。エイプリル・フールだ。ハミルトンの「反対進化」のようにある日、全部逆だったよと何かがわかる日がくるかもしれない。または、小松左京の「骨」のように、実は「逆だったんだ」とみるみる白骨化していくのがわかったというラストが恐ろしかった。
 われわれ人類は進歩しているのではなくて、退化しているのかもしれない。虐待はなくならない。過去最悪だと最新のニュースが言っていた。AIに仕事は取られる。
 もっと優れたSFを読まなきゃだめだね。今挙げた2作を読み返してみよう。
                   (2019・3・14)







|

« No.452(Web版102号)1 | トップページ | No.452(Web版102号)3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« No.452(Web版102号)1 | トップページ | No.452(Web版102号)3 »