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No.453(Web版103号)3

SF essay(272回)

川瀬広保

 もう5月だ。5月と言えば浜松まつり。御殿屋台の引き回し。薫風香る一番いい季節だ。SFとしては、どんな新作が書かれ、復刊されるか期待している。

 先日、ボランティアで浜松城へ行った。テキサスから来たアメリカ人が来たので、話をしたら、この浜松城へはもう何回も来ているそうだ。しかももっと詳しいことを知りたいようなことを言われた。神社、仏閣、城などの日本の文化・歴史に興味を持っている外国人が最近多くなっているようだ。具足などに興味があるらしい。日本文化をもっと世界に発信していけばいいと思った。歴史的な詳しいことを英語で理解してもらうことはなかなか難しい。
 また、逆にタイ人女性と話したときは、徳川家康は一休さんのような人ですかと言われた。一休さんはお坊さんで、思わずJapanese priestだから全く違うと答えたのだが、わかってもらえただろうか。どうやらアニメなどで伝わっているらしい。日本の歴史をもっと正しく伝えたいものだと思った。中学校の英語の教科書は日本文化を発信するのに役に立つ文章が多い。

 さて、最新のニュースによると、小惑星「リュウグウ」には水があったそうだ。水があれば、やがて生命が発生するというのは、急ぎすぎだろうか。これから生命が発生するか、すでに発生していたけれども、今はいないなどと想像力はふくらむ。

 貴景勝の勝敗に一喜一憂する。野球には関心がないが、イチローの引退のニュースで球場の観衆が全員立ち上がって、イチローを見ている画面には感動を覚えた。

 さて、ニュースによると、日本の大学で〈名前を呼んでもそっけないそぶりを見せることの多い、ネコ。実は、自分の名前と他の単語を聞き分けているとする研究結果がまとまった〉そうです。〈ただし、名前という概念を理解しているかまでは分からないということです。〉

 こうした最新ニュースに接して名前を呼んでも返事をしないときがあるのは人間でも同じ。「ご飯だよ!」と声かけられれば、お腹が空いていれば、「はーい」と返事をするでしょう。〈名前という概念を理解しているか〉は難しい。人間は本人の意思に関係なく、生まれたときに、名前を付けられ、親が呼び続けると、自分の名前というものを意識するのだ。

 うちの猫は「おいで、◯◯ちゃん」と言えばついてくるから、意識をしているように見える。しかし、用がないと思えば、名前を呼んでも、顔も見ない。

 いずれにしても、最近身近な猫についてのこれだけ興味あるニュースに接したのは珍しい。ぜひ研究し続けてほしい。
 猫と言えば、ハインラインの「夏への扉」のほとんど主人公と言ってもいい雄猫ピートがSFファンには有名だ。ハインラインは実に生き生きとこの本の中で、猫の様子を描いている。その献辞は「す べ て のaelurophile(病的に猫好き)に捧げる」とある。
 夏目漱石はまだ名前のない猫の様子を実に生き生きと描いている。名前という概念を理解しているかどうかわからないというが、きっと、いやたぶん自分の名前をわかっているのだろうと思いたい。

 「SFが読みたい 2019年」によると、伊藤典夫さんの本がそのうち出ると書かれている。〈SFスキャナー〉などを含めた膨大なものになるらしい。たとえ分厚いものになってもファンとしては、出版が実現することを望んでいる。伊藤典夫という名前はSFマガジンで古くから、私の場合、53号から知り始めたビッグ・ネームである。海外SFを紹介していた「SFスキャナー」はよく読んだ。いつのころからか、その連載はなくなり、その名前はSFマガジンで一年に一度見られるかどうかになってしまった。この本の出版が実現するよう待っている。
 ブラックホールの撮影に初めて成功したというのが、最新の大きなニュースだ。現実がSFを追い越していくように思う。SFマインド、想像力などは、忘れないようにしたいものだ。
           (2019・4・14)

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